陸軍大学校卒業生一覧(りくぐんだいがっこうそつぎょうせいいちらん)は、日本陸軍の陸軍大学校卒業生の一覧である。
卒業生
- ※冒頭太字は入校年月日、卒業年月日、卒業者数の順で並べた。
- ※第7期卒業生までは全ての卒業生を掲げ、以後は成績優秀者及び主要なる人物を掲げた。
1期 (明治18年卒)
- 明治16年4月12日入校、明治18年12月24日卒業、10名
2期 (明治19年卒)
- 明治17年2月15日入校、明治19年12月28日卒業、9名
3期 (明治20年卒)
- 明治18年4月入校、明治20年12月10日卒業、7名
4期 (明治21年卒)
- 明治19年1月19日入校、明治21年11月28日卒業、13名
5期 (明治22年卒)
- 明治20年1月31日入校、明治22年12月9日卒業、10名
6期 (明治23年卒)
- 明治20年11月20日入校、明治23年12月23日卒業、12名
7期 (明治24年卒)
- 明治21年11月27日入校、明治24年11月28日卒業、9名
8期 (明治25年卒)
- 明治22年12月2日入校、明治25年12月2日卒業、17名
9期 (明治26年卒)
- 明治23年11月23日入校、明治26年11月30日卒業、14名
10期 (明治29年卒)
- 明治24年11月入校、明治27年7月24日中退、明治29年2月29日復校、明治29年3月11日卒業、17名(日清戦争期の為変則)
11期 (明治30年卒)
- 明治25年12月入校、明治27年7月24日中退、明治29年2月29日復校、明治30年12月13日卒業、14名(日清戦争期の為変則)
12期 (明治31年卒)
- 明治26年11月27日入校、明治27年7月24日中退、明治29年2月29日復校、明治31年12月27日卒業、17名(日清戦争期の為変則)
13期 (明治32年卒)
- 明治29年12月入校、明治32年12月21日卒業、41名
14期 (明治33年卒)
- 明治30年12月28日入校、明治33年12月20日卒業、39名
15期 (明治34年卒)
- 明治31年12月27日入校、明治34年11月28日卒業、40名
16期 (明治35年卒)
- 明治32年12月13日入校、明治35年11月28日卒業、44名
17期 (明治36年卒)
- 明治33年12月15日入校、明治36年11月28日卒業、45名
18期 (明治39年卒)
- 明治34年10月入校、明治37年2月9日中退、明治39年3月20日復校、明治39年11月28日卒業、34名(日露戦争期の為変則)
19期 (明治40年卒)
- 明治35年8月9日入校、明治37年2月9日中退、明治39年3月20日復校、明治40年11月30日卒業、33名(日露戦争期の為変則)
20期 (明治41年卒)
- 明治36年8月3日入校、明治37年2月9日中退、明治39年3月20日復校、明治41年11月30日卒業、38名(日露戦争期の為変則)
21期 (明治42年卒)
- 明治39年11月22日入校、明治42年12月3日卒業、55名
22期 (明治43年卒)
- 明治40年12月10日入校、明治43年11月29日卒業、51名
23期 (明治44年卒)
- 明治41年12月25日入校、明治44年11月29日卒業、52名
24期 (大正元年卒)
- 明治42年12月25日入校、大正元年11月25日卒業、54名
25期 (大正2年卒)
- 明治43年12月12日入校、大正2年11月26日卒業、55名
26期 (大正3年卒)
- 明治44年12月12日入校、大正3年11月27日卒業、62名
27期 (大正4年卒)
- 大正元年12月13日入校、大正4年12月11日卒業、56名
28期 (大正5年卒)
- 大正2年12月13日入校、大正5年11月25日卒業、56名
29期 (大正6年卒)
- 大正3年12月12日入校、大正6年11月27日卒業、57名
30期 (大正7年卒)
- 大正4年11月29日入校、大正7年11月29日卒業、60名
31期 (大正8年卒)
- 大正5年12月9日入校、大正8年11月26日卒業、60名
32期 (大正9年卒)
- 大正6年12月10日入校、大正9年11月22日卒業、59名
33期 (大正10年卒)
- 大正7年12月11日入校、大正10年11月28日卒業、66名
34期 (大正11年卒)
- 大正8年12月1日入校、大正11年11月29日卒業、68名
35期 (大正12年卒)
- 大正9年12月7日入校、大正12年11月29日卒業、72名
36期 (大正13年卒)
- 大正10年12月14日入校、大正13年11月29日卒業、64名
37期 (大正14年卒)
- 大正11年12月14日入校、大正14年11月27日卒業、72名
38期 (大正15年卒)
- 大正12年12月26日入校、大正15年12月7日卒業、58名
39期 (昭和2年卒)
- 大正13年12月26日入校、昭和2年12月6日卒業、59名
40期 (昭和3年卒)
- 大正14年12月26日入校、昭和3年12月12日卒業、47名
41期 (昭和4年卒)
- 大正15年12月24日入校、昭和4年11月29日卒業、49名
42期 (昭和5年卒)
- 昭和2年12月26日入校、昭和5年11月27日卒業、51名
43期 (昭和6年卒)
- 昭和3年12月24日入校、昭和6年11月28日卒業、51名
44期 (昭和7年卒)
- 昭和4年12月13日入校、昭和7年11月29日卒業、49名
45期 (昭和8年卒)
- 昭和5年12月12日入校、昭和8年11月29日卒業、49名
46期 (昭和9年卒)
- 昭和6年12月12日入校、昭和9年11月29日卒業、51名
47期 (昭和10年卒)
- 昭和7年12月10日入校、昭和10年11月29日卒業、45名
48期 (昭和11年卒)
- 昭和8年12月12日入校、昭和11年11月29日卒業、39名
49期 (昭和12年卒)
- 昭和9年12月13日入校、昭和12年10月28日卒業、41名
- 草地貞吾 大佐、優等、関東軍作戦主任参謀、1949年ソ連国内法(刑法第58条第4項 資本主義幇助罪)により強制労働25年の判決を受け、1956年12月26日シベリア抑留より復員。
- 吉田元久 大佐、首席
- 芝生英夫 中佐、優等
- 野原博起 中佐、優等
- 水町勝城 中佐、優等
- 吉川源三 中佐、優等
50期 (昭和13年卒)
- 昭和10年12月13日入校、昭和13年5月28日卒業、41名
- 竹田宮恒徳王 皇族、中佐
- 近藤伝八 大佐、首席、戦死
- 重野誠雄 大佐、優等、南方軍参謀(兵站主任)、陸軍大学校教官、陸軍省軍務局戦備課高級課員
- 吉橋戒三 大佐、陸将、優等、陸軍大学校教官、侍従武官、第5管区総監(陸自)、西部方面総監、陸上自衛隊幹部学校長
- 鹿子島隆 中佐、優等
- 山口英治 中佐、優等
- 和田盛哉 中佐、優等
- 加登川幸太郎 中佐
- 藤原岩市 中佐、陸将、第21軍参謀(広東)、陸上自衛隊調査学校長、第12師団長(陸自)、第1師団長(陸自)、国防政策研究会会長
- 吉江誠一 中佐、陸上幕僚長たる陸将、閑院宮載仁親王付武官、大本営参謀、第13師団長(陸自)、統合幕僚会議事務局長兼統合幕僚学校長、陸上幕僚長
51期 (昭和13年卒)
- 昭和11年12月14日入校、昭和13年12月8日卒業、51名
- 李鍵公 王族、中佐
- 岩越紳六 中佐、優等
- 梅沢治雄 中佐、優等
- 越次一雄 中佐、優等、戦死
- 瀬島龍三 中佐、首席、大本営参謀、関東軍参謀、1946年極東国際軍事裁判にソ連側証人として草場辰巳大将らと共に出廷後、ソ連刑法(第58条第4項 資本主義幇助罪並びに同条第6項 スパイ罪)による戦犯として強制労働25年の判決を受け受刑後、1956年8月18日に復員、伊藤忠商事会長
- 竹下正彦 中佐、陸将、優等、参謀本部編制班長兼動員班長、陸軍省軍務局軍務課内政班長、防衛大学校幹事、第9混成団長、第4管区総監、第4師団長(陸自)、陸上自衛隊幹部学校長
- 宮崎舜市 中佐、優等
- 尾関正爾 中佐、川島町長
52期 (昭和14年卒)
- 昭和12年11月1日入校、昭和14年11月27日卒業、52名
53期 (昭和15年卒)
- 昭和13年6月11日入校、昭和15年6月17日卒業、49名
54期 (昭和16年卒)
- 昭和13年12月27日入校、昭和16年7月31日卒業、73名
55期 (昭和16年卒)
- 昭和14年12月13日入校、昭和16年12月5日卒業、70名
56期 (昭和17年卒)
- 昭和15年12月26日入校、昭和17年11月30日卒業、96名
- 松永真一郎 中佐、優等、第18軍参謀、戦死
- 堀栄三 中佐、陸将補、大本営陸軍部第2部第6課(米国班)参謀、第14方面軍作戦参謀、陸軍省軍務局課員、陸上幕僚監部第2部国外班長、駐西ドイツ大使館防衛駐在官、統合幕僚会議第2室長、西吉野村長
- 酒井正美 少佐、優等、大本営参謀、陸軍省軍務局軍事課課員、新潟ゴム常務、新潟ゴム代表、日加工業(現・日加商工)常務
- 田中俊資 少佐、首席、関東軍参謀、大本営参謀、南朝研究家、田中静壱陸軍大将の次男
- 戸梶金次郎 少佐、優等、参謀本部部員(大本営陸軍参謀)
- 中村龍平 少佐、統合幕僚会議議長たる陸将、優等、関東軍参謀、大本営参謀、第3普通科連隊長、東部方面総監部幕僚副長、統合幕僚会議事務局第2幕僚室長、第11師団長(陸自)、東部方面総監、陸上幕僚長、統合幕僚会議議長
- 渡辺博 少佐、陸将、優等、第14方面軍参謀、陸上幕僚監部第3部長、第2師団長(陸自)、第1師団長(陸自)、中部方面総監
- 野口省己 少佐、陸将補、第56師団参謀、第33軍参謀、第9普通科連隊第3大隊長、出雲駐屯地司令兼第8普通科連隊第1大隊長、第3管区総監部第3部長、陸上自衛隊幹部学校教官、登山家野口健の祖父
- 野中国男 少佐、第31師団参謀、自決
- 津野田知重 少佐、第36師団参謀、大本営参謀、日本科学技術振興財団専務理事、津野田是重陸軍少将の三男
57期 (昭和18年卒)
- 昭和16年12月24日入校、昭和18年11月30日卒業、93名
- 金冨与志二 中佐、優等、ビルマ方面軍参謀、日本工業新聞専務、サンケイビル取締役、サンケイビル社長、スバス・チャンドラ・ボースの遺骨返還に尽力
- 薬丸兼教 中佐、戦死
- 大橋吉夫 少佐、優等、南方軍参謀
- 中島純雄 少佐、優等
- 登東洋夫 少佐、優等、参謀本部ロシア課員、公安調査庁神奈川地方公安調査局長、公安調査庁研修所長
- 笛田房吉 少佐、空将補、優等、第17方面軍参謀、航空幕僚監部防衛部副部長、航空自衛隊幹部学校副校長兼市ヶ谷基地司令、航空自衛隊幹部候補生学校長
- 山口二三 少佐、空将補、優等、南方軍参謀、航空幕僚監部防衛部長、航空幕僚長候補だったが、防衛庁機密漏洩事件の捜査の最中に自殺
- 後勝 少佐、緬甸方面軍参謀、東洋紙業株式会社副社長、同最高顧問
- 堀江正夫 少佐、陸将、第18軍参謀、東部方面総監部幕僚長兼市ヶ谷駐屯地司令、第3師団長、陸上幕僚監部第5部長、陸上幕僚副長、西部方面総監、自由民主党参議院議員、日本郷友連盟会長、英霊にこたえる会会長、同名誉会長
58期 (昭和19年卒)
- 昭和17年12月13日入校、昭和19年7月31日卒業、103名(内、航空学生の一部16名は昭和19年5月に卒業する。)
- 盛厚王 皇族、少佐、第36軍情報参謀、貴族院議員、皇籍離脱、帝都高速度交通営団監事
- 中津川七良 中佐、優等、戦死
- 古賀秀正 少佐、自決
- 小林一男 少佐、優等、陸軍省兵務局兵務課員
- 是松俊夫 少佐、優等(昭和19年5月卒業)、第14方面軍参謀
- 高杉恭自 少佐、陸将、優等、関東軍参謀、陸上自衛隊富士学校特科教育部長、陸上幕僚監部第2部収集班長兼情報計画班長、防衛研修所副所長、陸上自衛隊通信学校長兼久里浜駐とん地司令、第4師団長(陸自)、東北方面総監
- 田中岩男 少佐、優等(昭和19年5月卒業)、第4航空軍参謀
- 南 重義 少佐、優等、第1総軍参謀
- 倉澤清忠 少佐(昭和19年5月卒業)
- 白川元春 少佐、統合幕僚会議議長たる空将(昭和19年5月卒業)
- 曲 壽郎 少佐、 陸上幕僚長たる陸将
- 上田泰弘 少佐、航空幕僚長たる空将
- 山口立 少佐 陸上自衛隊陸将、第4師団長(陸自)・陸上自衛隊富士学校長、隊友会常務理事
59期 (昭和19年卒)
- 昭和18年12月1日入校、昭和19年12月20日卒業、199名
60期 (昭和20年卒)
- 昭和20年2月11日入校、昭和20年8月6日卒業、120名
専科1期 (昭和9年卒)
- 昭和9年卒業、9名
専科2期 (昭和10年卒)
- 昭和10年卒業、11名
専科3期 (昭和11年卒)
- 昭和11年卒業、9名
専科4期 (昭和12年卒)
- 昭和12年卒業、16名
専科5期 (昭和13年卒)
- 昭和11年卒業、44名