永津佐比重
永津 佐比重(ながつ さひしげ[1][2]、1889年(明治22年)3月1日[1][3] - 1979年(昭和54年)9月19日[1][3])は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 経歴愛知県[1][2][3]西春日井郡師勝村[要出典](現在は北名古屋市)出身。 愛知一中(現愛知県立旭丘高等学校)を経て、1911年(明治44年)5月、陸軍士官学校(23期)を卒業[1][3][4]。同年12月、歩兵少尉に任官し歩兵第18連隊付となる[1][4]。1920年(大正9年)11月、陸軍大学校(32期)を卒業[1][2][3]。 歩兵第18連隊中隊長、参謀本部付勤務、支那駐屯軍司令部付、同軍参謀、参謀本部員などを歴任し、1925年(大正14年)2月から1927年(昭和2年)12月まで、アメリカに駐在[1]。帰国後、陸大教官、参謀本部員、歩兵第68連隊大隊長、支那公使館付武官補佐官、歩兵第49連隊付、関東軍参謀などを歴任[1][2]。1934年(昭和9年)6月から12月まで欧米に出張[1]。関東軍参謀を経て1935年(昭和10年)8月、陸軍大佐に昇進[1][2]。参謀本部課長、歩兵第22連隊長を歴任し、1938年(昭和13年)7月、陸軍少将に進級、北支那方面軍司令部付(北支臨時政府最高軍事顧問)となった[1][2][3]。 1941年(昭和16年)3月、陸軍中将に進み、翌月、第20師団長に親補され朝鮮に駐屯した[1][2][3]。1942年(昭和17年)8月、支那派遣軍総参謀副長兼上海陸軍部長となり、さらに第13軍司令官を経て、第58軍司令官に就任[1][2][3]。済州島で連合軍の上陸に備えていたが、交戦することなく終戦を迎えた[3]。1945年(昭和20年)11月に復員[1]。 1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[5]。 栄典脚注参考文献
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