Share to: share facebook share twitter share wa share telegram print page

 

永津佐比重

永津 佐比重
生誕 1889年3月1日
日本の旗 日本 愛知県
死没 (1979-09-19) 1979年9月19日(90歳没)
所属組織 日本陸軍
軍歴 1911 - 1945
最終階級 陸軍中将
テンプレートを表示

永津 佐比重(ながつ さひしげ[1][2]1889年明治22年)3月1日[1][3] - 1979年昭和54年)9月19日[1][3])は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将

経歴

愛知県[1][2][3]西春日井郡師勝村[要出典](現在は北名古屋市)出身。

愛知一中(現愛知県立旭丘高等学校)を経て、1911年(明治44年)5月、陸軍士官学校(23期)を卒業[1][3][4]。同年12月、歩兵少尉に任官し歩兵第18連隊付となる[1][4]1920年(大正9年)11月、陸軍大学校(32期)を卒業[1][2][3]

歩兵第18連隊中隊長、参謀本部付勤務、支那駐屯軍司令部付、同軍参謀、参謀本部員などを歴任し、1925年(大正14年)2月から1927年(昭和2年)12月まで、アメリカに駐在[1]。帰国後、陸大教官、参謀本部員、歩兵第68連隊大隊長、支那公使館付武官補佐官歩兵第49連隊付、関東軍参謀などを歴任[1][2]1934年(昭和9年)6月から12月まで欧米に出張[1]。関東軍参謀を経て1935年(昭和10年)8月、陸軍大佐に昇進[1][2]。参謀本部課長、歩兵第22連隊長を歴任し、1938年(昭和13年)7月、陸軍少将に進級、北支那方面軍司令部付(北支臨時政府最高軍事顧問)となった[1][2][3]

1941年(昭和16年)3月、陸軍中将に進み、翌月、第20師団長に親補され朝鮮に駐屯した[1][2][3]1942年(昭和17年)8月、支那派遣軍総参謀副長兼上海陸軍部長となり、さらに第13軍司令官を経て、第58軍司令官に就任[1][2][3]済州島連合軍の上陸に備えていたが、交戦することなく終戦を迎えた[3]1945年(昭和20年)11月に復員[1]

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[5]

栄典

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 『日本陸海軍総合事典』第2版、115頁。
  2. ^ a b c d e f g h 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』292頁。
  3. ^ a b c d e f g h i 『日本陸軍将官辞典』518-519頁。
  4. ^ a b 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』289、292頁。
  5. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」106頁。
  6. ^ 『官報』第4409号「叙任及辞令」1941年9月16日。

参考文献

  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
Kembali kehalaman sebelumnya