中村儀十郎
中村 儀十郎(なかむら ぎじゅうろう、1899年(明治32年)1月15日[1] - 1975年(昭和50年)1月5日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 経歴1899年(明治32年)に栃木県で生まれた[1]。陸軍士官学校第32期、陸軍大学校第39期卒業[1]。米国駐在を経て[2]、1939年(昭和14年)10月に輜重兵第41連隊長(第1軍・第41師団)に就任し[1][2]、日中戦争に出動した[1]。1940年(昭和15年)8月1日に陸軍輜重兵大佐に進級し[2]、10月10日に陸軍省整備局資源課長に着任[2]。1941年(昭和16年)4月に陸軍省整備局燃料課長となった[2]。 1944年(昭和19年)5月16日に南方軍兵站参謀長に就任し[2]、太平洋戦争に出征[1]。8月1日に陸軍少将に進級し[2]、12月30日に第6野戦輸送司令官(第14方面軍)に転じてフィリピン防衛戦で兵站を支えた[1]。1945年(昭和20年)2月20日に東部軍管区司令部附となり終戦となった[3]。 1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[4]。 脚注参考文献
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