香椎秀一
香椎 秀一(かしい しゅういち/ひでかず/ひでいち、1874年2月23日 - 1962年4月13日)は、大正から昭和期の日本陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。陸軍中将香椎浩平の兄。 経歴福岡県出身。福岡県立尋常中学修猷館を経て、1895年(明治28年)1月1日に陸軍士官学校(6期)を卒業。同年5月、歩兵少尉任官。1903年(明治36年)11月、陸軍大学校(17期)を卒業。のちドイツ駐在となる。 1914年(大正3年)8月、大分連隊区司令官に就任。1915年(大正4年)8月、歩兵大佐に昇進し、同年9月21日、歩兵第61連隊長となる。1917年(大正6年)4月5日に関東都督府(後の関東軍)高級参謀に転じた。翌年シベリア出兵に参加。1919年(大正8年)6月28日、陸軍少将に進級し浦塩派遣軍作戦課長となる。 1920年(大正9年)10月28日、歩兵第33旅団長に就任。1922年(大正11年)5月10日、第10師団司令部付に発令。1924年(大正13年)2月4日、陸軍中将に進み由良要塞司令官となる。1926年(大正15年)3月2日に待命、同月22日、予備役編入となった。 1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[1]。 栄典
脚注参考文献
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