佐々誠
佐々 誠(ささ あきら[1]、1890年(明治23年)8月5日[2] - 1948年(昭和23年)4月23日[2])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 経歴1890年(明治23年)に東京府で生まれた[2]。陸軍士官学校第23期、陸軍大学校第32期卒業[2]。1935年(昭和10年)8月1日に陸軍航空兵大佐進級と同時に飛行第4連隊長に着任[1]。1937年(昭和12年)7月31日に飛行第8大隊長に転じ[1]、11月1日に下志津陸軍飛行学校幹事に就任した[1]。 1938年(昭和13年)7月に陸軍少将に進級[1]。1939年(昭和14年)8月に第2飛行団長に就任し[2]、会寧に駐屯した[3]。1940年(昭和15年)8月に中部軍司令部附となり[2]、1941年(昭和16年)8月に中部軍兵務部長に就任した[2]。1942年(昭和17年)8月にタイ俘虜収容所の初代所長に就任し[2][4]、1943年(昭和18年)6月10日に中部軍司令部附となり[2]、6月22日に予備役に編入された[1]。1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[5]。 終戦後は戦犯として逮捕され、シンガポールで収監された[6]。タイ俘虜収容所長在任時に行われた泰緬鉄道建設において[6]、捕虜虐待や死者を出したことの管理責任を問われ[6][7]、絞首刑の判決が下り[7]、1948年(昭和23年)4月23日に執行された[1][2][7]。 脚注参考文献
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