芳村正義
芳村 正義(よしむら まさよし、1895年(明治28年)5月18日[1] - 1978年(昭和53年)10月1日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 経歴1895年(明治28年)に奈良県で生まれた[1]。陸軍士官学校第28期、陸軍大学校第37期卒業[1]。1937年(昭和12年)に上海派遣軍作戦参謀として日中戦争に出動[2]。1938年(昭和13年)3月に独立混成第1旅団参謀となり[2]、7月に陸軍歩兵大佐に進級した[2]。1939年(昭和14年)に第18師団参謀長として翁英作戦を指揮した[1]。同年9月に陸軍歩兵学校研究部幹事に転じ[2]、1940年(昭和15年)に歩兵第64連隊長に就任した[2]。 1941年(昭和16年)に陸軍運輸部附を経て[2]、1942年(昭和17年)7月に第1船舶輸送司令官に就任し[2]、8月に陸軍少将に進級[2]。門司で勤務する[1]。1943年(昭和18年)に第4船舶団長に転じ[1]、ニューブリテン島に出動[1]。1944年(昭和19年)に第17軍司令部附となり[1]、1945年(昭和20年)4月に陸軍中将に進級[2]。同年5月5日に船舶司令部附となり[3]、5月7日に陸軍船舶練習部長に就任した[1]。 脚注参考文献
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