吉永朴
吉永 朴(よしなが すなお[1]、1897年(明治30年)8月23日[2] - 1989年(平成元年)12月24日[2])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 経歴1897年(明治30年)に熊本県で生まれた[2]。陸軍士官学校第31期、陸軍大学校第38期卒業[2]。1940年(昭和15年)に陸軍航空兵大佐に進級し[1]、1942年(昭和17年)に第3軍高級参謀に就任した[1]。1944年(昭和19年)3月1日に陸軍少将に進級し[1]、陸軍航空総監部附となる[3]。4月19日に浜松陸軍飛行学校を経て[4]、6月20日に第2航空軍参謀長に就任し[2]、1945年(昭和20年)7月16日に陸軍航空士官学校幹事に転じた[2]。 1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[5]。 脚注
参考文献
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