石本寅三
石本 寅三(いしもと とらぞう、1890年(明治23年)11月5日[1][2] - 1941年(昭和16年)3月13日[1][2])は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 経歴本籍兵庫県[1]。石本新六陸軍中将の三男として生れる[1]。陸軍中央幼年学校予科、同校本科を経て、1911年5月、陸軍士官学校(23期)を卒業[1][2][3][4]。同年12月、騎兵少尉に任官し、騎兵第14連隊付となる[1][3]。陸軍騎兵学校付などを経て、1922年11月、陸軍大学校(34期)を首席で卒業した[1][2]。 騎兵第14連隊中隊長、陸軍省軍務局付勤務、ドイツ駐在、ドイツ大使館付武官補佐官を務める[1]。帰国後、参謀本部付、陸軍兵器本廠付、参謀本部員兼陸大教官、兼軍令部参謀などを歴任[1][5]。1933年4月、騎兵集団参謀となり、関東軍参謀、陸軍兵器本廠付(陸軍省調査班長)などを歴任し、二・二六事件の軍法会議判士を務めた[1][5]。 1936年8月、軍務課長に就任[1][5]。以後、騎兵第25連隊長、駐蒙兵団参謀長を務め、1938年3月、陸軍少将に進級[1][2][5]。駐蒙軍参謀長、兵器本廠付、農林省馬政局次長、兵務局長など歴任[1][2][5]。1940年12月、陸軍中将となり第55師団長に親補されたが、1941年3月、在任中に死去した[1][2][5]。 親族
脚注参考文献 |