大谷清麿
大谷 清麿(おおたに[1] きよまろ、1886年(明治19年)8月29日[2] - 1966年(昭和41年)5月10日[2])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。功四級[3]。 経歴1886年(明治19年)に宮城県で生まれた[2]。陸軍士官学校第18期、陸軍大学校第26期卒業[2]。フランス駐在を経て[3]、1922年(大正11年)2月に陸軍砲兵少佐[4]、1926年(大正15年)8月に陸軍砲兵中佐に進級し[4]、同時に野砲兵第1連隊附となった[4]。1928年(昭和3年)8月に陸軍重砲兵学校教官兼同校研究部部員に転じ[5]、1929年(昭和4年)3月に陸軍重砲兵学校研究部主事兼同校教官に転じ[1]、海軍砲術学校教官を兼ねた[1]。 1930年(昭和5年)8月1日、陸軍砲兵大佐進級と同時に陸軍兵器本廠附となり[3]、1931年(昭和6年)10月に野砲兵第2連隊長(第2師団[6][7])に就任した[3]。1933年(昭和8年)12月に近衛師団司令部附となり[2]、東京帝国大学に配属された[2]。1935年(昭和10年)3月15日に陸軍少将進級と同時に待命となり[2][3]、3月30日に予備役に編入された[2]。 栄典
脚注参考文献
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