佐伯清一
佐伯 清一(さえき せいいち、1885年(明治18年)11月3日[1] - 没年不明[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 経歴1885年(明治18年)に山口県で生まれた[1]。陸軍士官学校第17期、陸軍大学校第29期卒業[1]。1929年(昭和4年)8月1日に陸軍歩兵大佐進級と同時に陸軍歩兵学校教官に着任[2]。1930年(昭和5年)5月に歩兵第44連隊長に転じ[2]、1931年(昭和6年)8月に陸軍歩兵学校教導連隊長[2]、1932年(昭和7年)4月に第20師団参謀長を歴任した[2]。 1934年(昭和9年)3月5日に陸軍少将進級と同時に歩兵第30旅団長に着任[1][2]。4月2日に第20師団司令部附となり[1]、12月10日に歩兵第12旅団長に転じ[1]、1935年(昭和10年)12月に陸軍歩兵学校幹事に就任した[2]。1937年(昭和12年)3月1日に東京湾要塞司令官に就任し[1]、8月2日に陸軍中将に進級[2]。同年8月26日に参謀本部附となり[1]、1938年(昭和13年)7月15日に待命[1]、7月27日に予備役に編入された[1]。 1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[3]。 栄典
脚注参考文献
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