竹下平作
竹下 平作(たけした へいさく、1865年1月14日(元治元年12月17日) - 1927年(昭和2年)10月31日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 経歴熊本県出身。竹下幸太郎の長男として生まれる。1885年(明治18年)6月、陸軍士官学校(旧7期)を卒業し陸軍少尉任官。同期には宇都宮太郎・島川文八郎両大将や柴勝三郎中将らがいる。1890年(明治23年)12月、陸軍大学校(第6期)を卒業。 陸軍戸山学校教官、陸士教官、台湾総督府副官、陸士教官、陸士生徒隊中隊長、第12師団参謀、参謀本部員、歩兵第10連隊大隊長。歩兵第14連隊大隊長、後備歩兵第20連隊長などを経て、歩兵第14連隊長として日露戦争に出征。遼陽会戦、奉天会戦などに参戦した。 歩兵第46連隊長、台湾歩兵第2連隊長などを経て、1911年(明治44年)10月、陸軍少将に進級。歩兵第27旅団長、歩兵第1旅団長を歴任。1916年(大正5年)8月、陸軍中将に進級し待命となり、翌年1月、予備役に編入された。 栄典
親族脚注参考文献 |