星駒太郎星 駒太郎(ほし こまたろう、1897年(明治30年)7月6日[1] - 1979年(昭和54年)12月1日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。功四級[2]。 経歴山形県出身[1][2]。1919年(大正8年)5月に陸軍士官学校第31期卒業[3]。同年12月に陸軍砲兵少尉に任官[3]。1926年(大正15年)陸軍大学校に入学し、1929年(昭和4年)同校第41期卒業[4]。 砲兵から航空兵に転科し、1940年(昭和15年)3月、下志津陸軍飛行学校教官を経て、同年8月、陸軍航空兵大佐に進み、飛行第10戦隊長に任官[2]。ついで1941年(昭和16年)7月、第10独立飛行隊長に任じ、大東亜戦争に突入し、1942年(昭和17年)11月、下志津陸軍飛行学校幹事、1943年(昭和18年)10月、独立第104教育飛行団長、1944年(昭和19年)2月、第104教育飛行団長を経て、同年8月、陸軍少将に進級[2]。同年11月、浜松教導飛行師団長、1945年(昭和20年)8月、北部軍管区参謀副長となり終戦を迎えた[1][2]。 1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[5]。 脚注参考文献
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