水野桂三
水野 桂三(みずの けいぞう、1897年(明治30年)5月8日[1] - 1960年(昭和35年)3月28日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。功三級[2]。 経歴1897年(明治30年)に東京府で生まれた[1]。陸軍士官学校第30期、陸軍大学校第42期卒業[1]。ソ連駐在を経て[2]、1937年(昭和12年)9月に第18師団参謀(第10軍のち第21軍)に就任し[1][2]、日中戦争に出動[1]。杭州湾に上陸し[1]、南京攻略戦に参加し[1]、広徳周辺で掃討戦に任じた[1]。ついでバイアス湾に上陸し[1]、広東攻略戦に参加した[1]。1939年(昭和14年)1月19日に陸軍大学校教官に転じ[2]、3月9日に陸軍歩兵大佐に進級した[2]。1941年(昭和16年)3月に陸軍大学校附となり[2]、1943年(昭和18年)8月に陸軍大学校研究部主事に就任した[2]。 1944年(昭和19年)1月に陸軍兵器行政本部附兼陸軍省兵務局附となり[3]、1945年(昭和20年)3月1日に陸軍少将に進級[2]。5月10日に陸軍歩兵学校附を経て[4]、7月1日に東京湾兵団参謀長(第1総軍)に就任し[1]、本土決戦に備えた[1]。 1948年(昭和23年)1月31日、公職追放仮指定を受けた[5]。 脚注参考文献
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