中山惇
中山 惇(なかやま まこと、1889年(明治22年)4月1日[1] - 1967年(昭和42年)1月30日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 経歴1889年(明治22年)に香川県で生まれた[1]。陸軍士官学校第23期、陸軍大学校第33期卒業[1]。1935年(昭和10年)に陸軍歩兵大佐に進級し、旭川連隊区司令官に就任した[2]。1937年(昭和12年)に歩兵第49連隊長を経て、1939年(昭和14年)に陸軍少将に進級し、留守第1師団司令部附に転じた[2]。 1940年(昭和15年)に独立混成第14旅団に転じ[2]、日中戦争に出動[1]。九江の警備に当たり、冬季反撃作戦、浙贛作戦で戦果を収めた[1]。1942年(昭和17年)4月に陸軍中将に進級し[2]、独立混成第14旅団を根幹に新設された第68師団長に親補される[1]。1943年(昭和18年)に参謀本部附となり[1]、1944年(昭和19年)3月1日に待命[3]、3月2日に予備役に編入された[1]。同年4月20日に召集され、留守第3師団長に就任[1]。1945年(昭和20年)3月31日に西部軍管区兵務部長に転じ[4]、7月5日に関東軍総司令部附となる[5]。7月16日には第136師団長に親補され[1]、奉天市で終戦を迎えた[1]。 脚注
参考文献
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