蒲穆
蒲 穆(かば あつし、1879年(明治12年)1月15日[1] - 1960年(昭和35年)5月21日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 経歴・人物福井県出身[1][2]。1900年(明治33年)陸軍士官学校第12期卒業、翌年、陸軍騎兵少尉に任官[1][3]。その後、1906年(明治39年)陸軍大学校に入学し、1909年(明治42年)同校第21期卒業[1][2]。 1920年(大正9年)8月に参謀本部附を経て、1922年(大正11年)2月に陸軍騎兵大佐に進級[2]。同年8月より稔彦王附武官を兼職する[2]。 2年後の1924年(大正13年)12月に騎兵第5連隊長に転じ、1926年(大正15年)3月に陸軍少将・第8師団司令部附となる[1][2]。 ついで、1927年(昭和2年)7月に騎兵第3旅団長、1928年(昭和3年)3月に陸軍兵器本廠附、同年4月に国連陸軍代表を経て、1930年(昭和5年)8月に参謀本部附となったのち、翌年の1931年(昭和6年)8月に陸軍中将に進級し、陸軍運輸部長に任ぜられた[1][2]。 さらに、1932年(昭和7年)4月に第10師団留守司令官、1933年(昭和8年)3月に第16師団長を経て、1935年(昭和10年)8月に参謀本部附となり、翌月の9月20日に待命し、同月25日に予備役に編入した[1][2]。 1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[4]。 栄典
著作
脚注参考文献
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