雨宮巽
雨宮 巽(あまみや たつみ、1892年(明治25年)12月15日[1][2] - 1945年(昭和20年)6月30日[1][2])は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 経歴山梨県出身[1][2][3]。名古屋陸軍地方幼年学校、中央幼年学校を経て、1914年(大正3年)5月、陸軍士官学校(26期)を卒業[1][2][4]。同年12月、歩兵少尉に任官し歩兵第49連隊付となる[1][4]。1925年(大正14年)11月、陸軍大学校(37期)を卒業した[1][2][3]。 1926年(大正15年)12月、参謀本部付勤務となり、参謀本部付(支那駐在)、歩兵第49連隊大隊長、参謀本部員(支那課)、兼陸大教官、南京駐在武官、陸軍省軍務局付などを経て、1937年(昭和12年)11月、歩兵大佐に進み大本営報道部企画課長に就任[1][3]。 1938年(昭和13年)7月、北支那方面軍参謀(2課長)に発令され日中戦争に出征[1][2][3]。1939年(昭和14年)7月、陸軍兵器本廠付(商工省物資調整官)に転じ、1940年(昭和15年)8月、陸軍少将に進級した[1][2][3]。 1941年(昭和16年)3月、北支那方面軍司令部付(天津特務機関長)に発令され、1943年(昭和18年)6月、独立混成第6旅団長に転じ京漢線沿線警備に従事した[1][2][3]。同年10月、陸軍中将に進級[1][2][3]。1944年(昭和19年)2月、第24師団長に就任し満州に駐屯[1][2][3]。その後、第32軍隷下に転じて沖縄戦に参戦し、1945年6月30日に自決した[1][2][3]。 栄典
著作
脚注参考文献 |