森寿
森 壽(もり ひさし、1879年(明治12年)9月2日[1][2] - 1952年(昭和27年)3月10日[要出典])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。功五級[3]。 経歴1879年(明治12年)に山口県で生まれた[1]。陸軍士官学校第11期、陸軍大学校第21期卒業[1]。日露戦争に出征し、その功により功五級金鵄勲章を授与された[3]。1918年(大正7年)7月に陸軍大学校教官に就任し[4]、1919年(大正9年)8月に陸軍騎兵大佐に進級した[4]。1920年(大正10年)7月に騎兵第26連隊長に転じ[4]、1922年(大正12年)3月に騎兵監部部員となった[4]。 1923年(大正13年)2月4日に陸軍少将進級と同時に騎兵監部附[1][4]、陸軍技術会議議員となった[3]。1925年(大正15年)3月に陸軍騎兵学校長に就任し[1]、1928年(昭和3年)3月に騎兵第3旅団長を経て[1]、1929年(昭和4年)7月1日に騎兵監となり[1]、8月1日に陸軍中将に進級した[4]。1930年(昭和5年)11月7日に第19師団長に親補され[1]、満州事変が発生すると[1]、師団隷下の歩兵第38旅団を基に編成した混成第38旅団を出動させ[1]、第2師団を救援した[1]。1933年(昭和8年)3月18日に待命[1]、3月31日に予備役に編入された[1]。 1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[5]。 脚注参考文献
|