阿部貞次郎阿部 貞次郎(あべ さだじろう、1862年9月8日(文久2年8月15日[1][2]) - 1922年(大正11年)1月6日[1])は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。位階および勲等、軍功は正四位・勲二等・功四級。 経歴越後国(現新潟県)出身[1]。平民阿部勘次郎の次男として生まれる。1878年5月、分家し一家を創立。1880年(明治13年)1月、陸軍士官学校に入学。1882年(明治15年)12月、工兵少尉任官[3]。1884年(明治17年)7月、士官学校(旧5期)を卒業[1][4]。1889年(明治22年)12月、陸軍大学校(5期)を卒業した[1][4][5]。 1902年(明治35年)5月、陸大幹事に就任し、同年12月、工兵大佐に昇進[4]。1904年(明治37年)3月、第2軍工兵部長に発令され日露戦争に出征[1][4]。1905年(明治38年)2月、第2師団参謀長となる[4]。1908年(明治41年)12月21日、陸軍少将に進級し清国駐屯軍司令官に発令された[6]。 1912年(明治45年)4月、対馬警備隊司令官に就任[1][4]。1913年(大正2年)8月、由良要塞司令官に転じ、1914年(大正3年)5月、築城部本部長となり、同月、陸軍中将に進んだ[1][4]。1916年(大正5年)8月、待命となり、1917年(大正6年)1月、予備役に編入された[1][4]。大正11年1月6日卒去。行年62歳。墓所は雑司が谷霊園1種22。 家族栄典
脚注
参考文献 |