第5飛行師団(だいごひこうしだん)は、日本陸軍の航空師団の一つ。前身は1940年に創設された第5飛行集団で、1942年に第5飛行師団に改称されたものである。
沿革
1940年に編成した。太平洋戦争開戦後、フィリピンの戦いに参戦。
1942年にはビルマに投入され、同年4月に第5飛行師団と改称。ビルマでの諸作戦に投入された。ビルマ各地での航空戦で戦力を消耗し、1945年5月にビルマから撤退。司令部はプノンペンに後退し、部隊の一部はサイゴンに移動し終戦を迎えた。
師団概要
歴代師団長
第5飛行集団長
- 小畑英良 中将:1940年12月2日 - 1942年4月15日
第5飛行師団長
- 小畑英良 中将:1942年4月15日 - 1943年5月1日[1]
- 田副登 中将:1943年5月1日 - 1944年12月26日[2]
- 服部武士 中将:1944年12月26日 - 終戦[3]
歴代参謀長
第5飛行集団参謀長
第5飛行師団参謀長
- 三好康之 大佐:1942年4月15日 - 1943年8月2日[5]
- 鈴木京 大佐:1943年8月2日 - 1945年4月28日[6]
- 桑塚城 大佐:1945年4月28日 - 終戦[7]
最終司令部構成
- 参謀長:桑塚城大佐
- 高級副官:斎藤照之助中佐
- 兵器部長:岡本熊吉大佐
- 経理部長:遠藤多喜主計大佐
- 軍医部長:西郡彦嗣軍医大佐
最終所属部隊
- 戦闘部隊
- 第4飛行団司令部:辻本隼三中佐
- 飛行第64戦隊(戦闘):宮辺英夫少佐
- 飛行第81戦隊(司偵):鈴木正雄少佐
- 飛行場部隊
- 第1航空地区司令部:塚本初雄大佐
- 第7航空地区司令部:伊藤稔中佐
- 第15飛行場大隊:斉藤武夫大尉
- 第17飛行場大隊:豊島幸三郎少佐
- 第19飛行場大隊:平井静少佐
- 第23飛行場大隊:岩持昌克大尉
- 第34飛行場大隊:大和勇三大尉
- 第52飛行場大隊:橋本政雄大尉
- 第75飛行場大隊:泉永二郎少佐
- 第78飛行場大隊:大宮司明少佐
- 第81飛行場大隊:時任早夫少佐
- 第82飛行場大隊:加藤美知雄少佐
- 第85飛行場大隊:古沢義四郎少佐
- 第90飛行場大隊:臼井喬少佐
- 第92飛行場大隊:熊谷芳己少佐
- 第94飛行場大隊:市川浩大尉
- 第7野戦飛行場設営隊:白川弘大尉
- 第8野戦飛行場設営隊:藤枝操大尉
- 高射砲第20連隊:野中侃中佐
- 野高第36大隊(乙):柳町平八郎少佐
- 通信関連部隊
- 整備・補給関連部隊
脚注
- ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』289頁。
- ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』348頁。
- ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』374頁。
- ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』391頁。
- ^ a b 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』428頁。
- ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』463頁。
- ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』452頁。
参考文献
- 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
- 外山操・森松俊夫編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
- 『別冊歴史読本 戦記シリーズNo.32 太平洋戦争師団戦史』、新人物往来社、1996年。
- 木俣滋郎『陸軍航空隊全史』航空戦史シリーズ90、朝日ソノラマ、1987年。
- 防衛研修所戦史室『陸軍航空の軍備と運用(3)大東亜戦争終戦まで』 朝雲新聞社〈戦史叢書〉、1976年。
関連項目
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師団 |
常備師団(第1から第20) | |
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特設師団(1937年、38年) | |
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1937年9月,38年4月,38年6月 | |
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1939年 | |
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1940年 | |
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1941年 | |
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1942年 | |
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1944年 | |
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1945年 | |
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戦車 | |
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近衛(改編後) | |
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高射 | |
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飛行 | |
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挺身 | |
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