松村正員
松村 正員(まつむら まさかず[1]、1884年(明治17年)2月14日[2] - 没年不明[2])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。二葉会の会員[3]。 経歴1884年(明治17年)に福井県で生まれた[2]。陸軍士官学校第17期、陸軍大学校第28期卒業[2]。1928年(昭和3年)3月24日に陸軍大学校教官に就任し[1]、8月10日に陸軍歩兵大佐に進級した[1]。1930年(昭和5年)8月に近衛歩兵第1連隊長に転じ[1]、1931年(昭和6年)8月に陸軍省軍務局徴募課長に就任した[1]。 1933年(昭和8年)8月1日に陸軍少将に進級し[1]、歩兵第19旅団長に着任[2]。1935年(昭和10年)8月に第4師団司令部附となり[2]、1937年(昭和12年)2月8日に下関要塞司令官に就任し[2]、3月1日に陸軍中将に進級した[1]。1938年(昭和13年)3月1日に待命[2]、3月25日に予備役に編入された[2]。 1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[4]。 脚注参考文献
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