佐藤要
佐藤 要(さとう かなめ、1888年(明治21年)9月19日[1] - 1980年(昭和55年)3月4日[1])は、大日本帝国陸軍軍人、陸軍司政長官。最終階級は陸軍少将。功三級[2]。 経歴1888年(明治21年)に大分県で生まれた[1]。陸軍士官学校第23期、陸軍大学校第32期卒業[1]。1935年(昭和10年)8月1日、陸軍歩兵大佐進級と同時に福島連隊区司令官に着任した[2]。1937年(昭和12年)3月に台湾歩兵第1連隊長(台湾守備隊司令部[3])に転じ[2]、日中戦争に出動した。 1938年(昭和13年)7月15日、陸軍少将進級と同時に歩兵第32旅団長(関東軍・第4師団[4][5][6])に着任した[1][2]。1940年(昭和15年)7月1日に留守第12師団司令部附(西部防衛司令部[7][8])となり[1]、同年12月2日に待命[1]、12月28日に予備役に編入された[1]。1942年(昭和17年)4月に陸軍司政長官となって中部ルソン軍政支部長に就任し[9]、1943年(昭和18年)12月までその任にあった[9]。 脚注
参考文献
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