東郷辰二郎
東郷 辰二郎(とうごう たつじろう、1868年11月10日〈明治元年9月26日〉[1] - 1919年〈大正8年〉9月28日[2])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 経歴・人物福井県士族[1][2][3]。滋賀県士族・東郷伝蔵の次男として生まれる[1]。 1891年(明治24年)、陸軍士官学校第2期卒業[2][3]。翌年、陸軍歩兵少尉に任官[1]。のち1901年(明治34年)、陸軍大学校第15期卒業[2][3]。 参謀本部附、歩兵第64連隊附、歩兵第8連隊大隊長、歩兵第19連隊附を経て、1910年(明治43年)11月に陸軍歩兵大佐・歩兵第14連隊長に任官する。この間、日清戦争および日露戦争に出征し、日露戦争では捕虜となり、ロシア第199連隊本部構内に収容された[1][4]。 その後、1913年(大正2年)4月に第4師団参謀長、1915年(大正4年)3月に歩兵第16連隊長を経て、同年12月に陸軍少将に進級と同時に予備役に編入した[2][3]。 栄典脚注参考文献 |