一田次郎
一田 次郎(いちだ じろう、1894年(明治27年)12月29日[1] - 1962年(昭和37年)5月10日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。功四級[2]。 経歴1895年(明治28年)に福岡県で生まれた[1]。陸軍士官学校第29期、陸軍大学校第37期卒業[1]。1938年(昭和13年)7月に参謀本部附となり[2]、1939年(昭和14年)3月に陸軍砲兵大佐に進級し[2]、11月に印度駐箚武官に就任した[2]。 1942年(昭和17年)11月に第54師団参謀長(緬甸方面軍)に就任し[1]、ビルマ方面に出征[1]。1943年(昭和18年)8月に陸軍少将に進級し[2]、1944年(昭和19年)3月22日に緬甸方面軍参謀副長に就任し[3]、4月1日に兼ビルマ国在勤帝国大使館附武官となった[4]。 1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[5]。 脚注
参考文献
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