篠原次郎
篠原 次郎(しのはら じろう、1887年(明治20年)10月2日[1] - 1949年(昭和24年)[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 経歴1887年(明治20年)に長野県で生まれた[1]。陸軍士官学校第20期、陸軍大学校第27期卒業[1]。1932年(昭和7年)に陸軍歩兵大佐進級と同時に関東軍高級副官に任官された[2]。1933年(昭和8年)に歩兵第38連隊長[2]、1935年(昭和10年)に第12師団参謀長を経て[2]、1936年(昭和11年)8月に東京陸軍幼年学校に就任した[2]。同年12月に陸軍少将に進級[2]。 1938年(昭和13年)に歩兵第30旅団長として日中戦争に出動し[1]、武漢作戦、襄東会戦で戦果を収めた[1]。1940年(昭和14年)に陸軍中将に進級と同時に留守第5師団長に就任した[1][2]。1941年(昭和16年)10月15日に待命[1]、12月2日に予備役に編入された[1]。1945年(昭和20年)3月31日に召集され、神戸連隊区司令官兼神戸地区司令官に補された[3]。 脚注参考文献
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