ビートたけしのお笑いウルトラクイズ
『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ!!』(ビートたけしのおわらいウルトラクイズ)は、1989年1月2日から1996年4月6日にかけて日本テレビ系列で放送された特別番組で、ビートたけしの冠番組。2007年1月1日の20:30から、3時間の正月特番として11年ぶりに復活した。 概要日本テレビの看板番組だった『史上最大!アメリカ横断ウルトラクイズ』をモチーフとしたお笑いタレント版クイズ番組としてスタート。芸人数十人を集め、熱海(静岡県)やスパリゾートハワイアンズ(福島県いわき市・湯本温泉)など関東周辺の温泉地に宿泊しながらロケを行い、クイズで体力・知力を競い優勝者を決する番組である。 たけしは本番組の目的を「売れない芸人をテレビに出してやること」としていた。たけし自身も本番組がかなり気に入っていたらしく、週刊文春の連載で(のちに『場外乱闘』に収録)(『たけし・逸見の平成教育委員会』が予想外に好視聴率な一方で)「オイラの一番大好きな」本番組の支持が振るわないことを嘆いている(ただし放送回によっては高視聴率を獲得した時もある)。 放送回数を重ねるたびにクイズ番組という本旨から大きく離れていき、例えば爬虫類での過激な度胸試しといった1980年代の『ザ・ガマン』(フジテレビ)や『ザ・しごき』(日本テレビ)を髣髴とさせる内容になったり、プロレスラーとの対戦やスカイダイビング、爆破、カースタントといった過激で無茶な企画に挑まされる芸人達のリアクション芸に重きが置かれるようになる。過去に実績を残した芸人数名が毎回ターゲットとなって勝ち残り、問題に答える手段あるいは問題に不正解した罰として過酷なゲームにチャレンジさせられ、残った1人が「優勝セレモニー」(ウィニング・ラン)という名の罰ゲームに挑戦させられるという「様式美」が完成された。 優勝者には賞金と、第6回から栄光の「唐草模様のジャケット」が贈られることになっているが、毎回、何らかの理由をつけて(無茶なゲームをさせて)、与えようとはしなかった。実際には優勝者にはオーストラリア旅行などの海外旅行が与えられることもあった。また、出演している話題の人物にちなんだ副賞(というネタ)もあった。 第19回までは文字スーパーは殆ど表示せずに必要最低限に抑えていたが、復活版の第20回ではクイズ毎に説明スーパーが常に表示された状態であり、出演者が発する言葉にもコメントスーパーがたくさん表示されていた。 2006年元日の『大笑点』では、事実上当番組をそのまま復活した企画が多数放送されていた。そして同年、盛り上がりを見せていたお笑いブームと相まって約11年振りに復活した。収録は12月5日・6日。放送時間は、2007年1月1日20:30-23:30のゴールデンタイム枠(前日の2006年12月31日11:40-13:45には一部地域を除いてPR番組が放送された)。たけしの出演はもちろん、不祥事発覚後『NEWS23』を降板して以来テレビ等に出演していなかった山本モナがこの番組で復帰した。 復活版はディテール面で過去のプロットを着実に踏襲していたが、平均視聴率は11.1%(関東地区)に留まった。 スタジオ収録部分にて、たけしによって第20回大会のTV放映未公開シーンを収録したDVDが発売されることが明らかにされた(詳しくは日本テレビの公式サイトを参照)。 出演者の出川哲朗によると、番組出演料は「2日間で10万円」。この額は第一線の芸能人としては当時の相場より安い。更に粉に落ちる、蝋をかけられる、トリモチに落ちると出演料とは別に数千円前後の手当てがあり、収録終了後にスタッフから現金で渡される(いわゆる「取っ払い」)。「ほとんど出ているダチョウ倶楽部は多く貰っていた」と出川は語っている。 また当番組は『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』とよく比較されがちであるが、日本テレビ側のスタッフは『元気が出るテレビ!!』と同じチームが担当していたものの、制作プロダクション側の担当は『元気が出るテレビ!!』を制作しているIVSテレビ制作ではなく、渡辺プロダクション(当時。現・ワタナベエンターテインメント)系の制作会社であるザ・ワークスが担当していた(後述の「スタッフ」欄も参照。なお、IVSテレビ制作はこの番組においても一部スタッフを派遣していた)。前述の理由により、本番組と「元気が出るテレビ」との関連性はあまり強くない。『元気が出るテレビ』の総合演出であるテリー伊藤もスタッフ関与してはいたものの、当番組においては演出には一切関与せず、構成・プロデュースのみに徹していた(総合演出は日本テレビ所属スタッフの財津功が一貫して担当した)。 2011年7月より、CS放送の日テレプラスにて第1回から順次再放送が行なわれている。ただし、第2回と第5回と第7回の再放送は予定されていない。また放送されている回でも、現在の社会規範などに沿わない企画や出演者は、映像のカットや加工(ボカシなど)が施されている。 審査員本編の過激さからあまり語られることはないが、クイズロケ出場者(紹介時には、たけしが「一般の観覧者の皆さん」「豊田商事被害者の会」などとボケる)が一堂にそろうスタジオ収録部分があり、女優審査員を集めてロケVTRを見るというのが番組の基本的なスタンスである。とはいっても彼女達は別に何の審査もせず、単なるゲスト扱いでバカバカしいVTRの内容に呆れてコメントするのが定番。ごくたまに、クイズコーナー(例:“指パッチンは何回できるか?”、“たけしの「今のモノマネは誰でしょう?」”など)もあったが、このクイズで競うことはない。出演した審査員全員にはなぜか、お笑いタレントの優勝賞品よりも、豪華で金額のはる多数の賞品が贈られていた。1996年春の回はスタジオ収録自体は行なわなかった。 アメリカ横断ウルトラクイズとの関連
出演者主な司会者主なアシスタント
ナレーション主な出場者
あ行か行さ行た行な行は行ま行やらわ行第20回大会から参加
主な人気企画基本的に“クイズ”というのは建前に過ぎず、解答の正誤よりも芸人としてのリアクションが重視される。そのため優勝者は大抵目立った参加者や芸人として「おいしかった参加者」という傾向がある。カースタントや火薬を使って爆破させる企画が多く、芸人達が体を張って挑戦した。 ○×クイズ
人間ロケットクイズ
ダジャレクイズ
粘着もの
ロウかけもの
プロレス(格闘技)字読みクイズ
たけし十番勝負
人間性クイズ
スタントクイズ
ヘリコプタークイズ
スカイダイビングクイズ
その他(人気企画)
メイキングクイズ
主な出来事
放送日時・歴代優勝者
※「第432回」の様に、デタラメな放送回数が番組タイトルに含まれるのが名物であった。 主な開催地
※ひねった地名やマイナーな箇所などを意図して開催することがある。 テーマ曲
スタッフ第1回(1989年1月2日放送)
第2回(1990年1月1日放送)
第4回(1990年9月30日放送)
第5回(1991年1月1日放送)
第6回(1991年4月6日放送)
第7回(1991年9月30日放送)
第9回(1992年4月4日放送)
第10回(1992年10月16日放送)
第11回(1993年1月1日放送)
第12回(1993年4月10日放送)
第13回(1993年10月16日放送)
第14回(1994年1月1日放送)
第15回(1994年4月8日放送)
第17回(1995年10月5日放送)
第18回(1996年1月1日放送)
第19回(1996年4月6日放送)
第20回(2007年1月1日放送)
お笑いウルトラ講座・オールスタッフ
ネット局系列は第20回放送時(2007年1月)のもの。
脚注注釈
出典参考文献
関連項目
外部リンク
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