テレビに出たいやつみんな来い!!
『テレビに出たいやつみんな来い!!』(テレビにでたいやつみんなこい)は、日本テレビ系列ほかで放送されていた日本テレビ製作のバラエティ番組である。通称「テレ来い」。全10回。日本テレビ系列では1982年1月20日から同年3月24日まで、毎週水曜 19時30分 - 20時00分(日本標準時)に放送。 概要一般人や若手芸人たちが一芸を披露するアメリカの『ザ・ゴングショー』風の番組で、3人のゲスト審査員が彼らの合否を判定するというものであった。司会はツービートが務めていた。しかしその一芸の内容は、例えば「シャネルズ」と称した出演グループがメンバーの顔面に塗ったチョコレートを舐め合ったり、体全体にガムテープを張り付けてそれを剥していく「ミイラ男」、早野凡平のパロディで女性用下着を使用して最終的に「仮面ライダー」に成りきるという「下着ホンジャマー」、男性が舞台上でパンツを下ろしてでん部や陰茎を露出して「桃」「象」と称したりと低俗を極めた。番組は1クール持たず、放送回数わずか10回で打ち切りとなった[1][2][3]。 他には、合格者の中から今週のチャンピオンを選考する時間を利用してトークを行う「おたけちゃんスペシャル」コーナーがあった。この中であった、「街で見かけた変な写真」というビートたけしが街中のおかしな風景写真に面白おかしくツッコミを入れるネタのコンセプトは、後に『スーパージョッキー』の「JOCKEY-2」や『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』の「たけしメモ」(いずれも日本テレビ系列)などのコーナーに引き継がれた。 出演者司会審査員
レギュラー
強制退場のおにいさん
スタッフ
放送リスト
参考:『読売新聞縮刷版』読売新聞社、1982年1月20日 - 同年3月24日付のラジオ・テレビ欄。 放送局系列は番組終了時(1982年3月)のものを記載。
エピソード明治大学サークル時代の大川興業総裁の大川豊もこの番組に出演。手品を披露し、強制退場となった(歴代11人目)。大川にとってはこれが初のテレビ出演作となった[4]。また、後に『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』で人気となったニューハーフのセリーヌ管も管正春の本名で出演。女子学生の制服姿で『アタックNo.1』を振り付きで歌うも強制退場(歴代10人目)となり、さらに勝手にステージに戻ってきてしまい、史上初の再強制退場となる。 前述のように出場者のレベルがテレビ放送に堪えうるものでない者が少なくなかったことや、それに伴う早期打ち切りを回避させるべく、数合わせの意味合いで若手時代の片岡鶴太郎も毎週本名の荻野繁雄名義で挑戦者として出演していた[1]。審査員の近江俊郎からは「あの人プロになれると思う」と講評された(前述の通り片岡は既にプロ)ものの、最終回ではあえなく強制退場(歴代12人目)となった。前述の「ミイラ男」や「下着ホンジャマー」を披露していたのは片岡である[1][2]。片岡は後にテリー伊藤との対談において「下着ホンジャマー」について触れ、「早野凡平が帽子をいろんなものに変えるホンジャマーを下着でやったらどうだ」と言われて芸を披露した他、新宿の三平ストアに女性用下着を買いに行った際も、放送作家と一緒に行った事を明かしている[2]。なお片岡の場合は、素人の参加ではなくタレントとしての出演であったのでギャラが発生していた。金額は、たけしの証言によると[どこ?]1か月で15万円であったという。 審査員には、お笑い芸人やタレントのみならず、大物俳優や政治評論家などが起用された。グアム島で発見された元日本兵の横井庄一や、一億円拾得事件で一億円を取得した大貫久男(お笑い芸人、元タカダ・コーポレーションのツッコミ役・大貫幹枝の祖父)も審査員として出演した。最後の方になると、2月に前前番組『おてんば宇宙人』の主演者・高見知佳まで出演。この時高見は、たけしに前々番組の打ち切りの事で散々からかわれていた。 人見プロデューサーは「自分の才能や恥部を隠していた時代はもう終わり。いまやそれをさらけ出す時代。“一億総馬鹿”の親分のような、ワーストNo.1と呼ばれる番組になりたい」といったことを語っていたことがある[5]。なお、優勝賞品としてグアム島旅行と副賞10万円が用意されていたことがあり[5]、オーディションで落選した参加者には交通費1000円のみが渡されていた[5]。 脚注
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