★SAPPORO新春スポーツスペシャル 東京箱根間往復大学駅伝競走ジャンル
スポーツ 中継 演出
松岡祐樹(総合D、2023年 - ) 出演者
平川健太郎 (放送センター実況、2015年 - )ほか オープニング
久石譲 「Runner of the Spirit」 (2009年 - ) エンディング
同上 製作 プロデューサー
望月浩平 (2021年 - ) 市川浩崇(CP 、2022年 - ) 制作
日本テレビ (箱根駅伝 特別後援)
放送 映像形式 リアルタイム字幕放送 音声形式 ステレオ放送 放送国・地域 日本
番組公式サイト
往路 放送期間 1987年 1月2日 - 現在放送時間 毎年1月2日 7:00 - 14:05 放送分 425分 回数 38
復路 放送期間 1987年1月3日 - 現在 放送時間 毎年1月3日 7:00 - 14:18 放送分 438分 回数 38 特記事項: 放送時間は2016年のもの。 2018年までおよび2024年は中断して放送される『NNNニュース 』を含む。 放送回数は、各年の往路・復路の放送をまとめて各1回とする。テンプレートを表示
『新春スポーツスペシャル箱根駅伝 』(しんしゅんスポーツスペシャルはこねえきでん)は、日本テレビ 系列 で、1987年 から放送されている東京箱根間往復大学駅伝競走 (箱根駅伝)の生中継 番組である。
冠スポンサー ・筆頭スポンサーであるサッポロビール の冠番組 で、冠名を含めた正式名称は『★SAPPORO新春スポーツスペシャル 第○回東京箱根間往復大学駅伝競走 』(サッポロビールしんしゅんスポーツスペシャル だい○かいとうきょうはこねかんおうふくだいがくえきでんきょうそう)[ 注釈 1] と筆頭スポンサーと箱根駅伝の開催回数を含めたものとなる。
概要
日本テレビによる箱根駅伝の生中継は、第63回(1987年 )から開始された[ 1] [ 2] 。ただし初回中継時は往路が7:55 - 10:25、12:00 - 13:55、復路が7:55 - 9:25、12:00 - 13:55の計4部構成となっており、3区・4区・7区 - 9区は中継が中断されていた。第64回(1988年 )は往路の10:25 - 10:50、復路の10:30 - 11:00に別番組が放送されたため、3区・8区が一部中断となった。
第65回(1989年 )から全区間での完全生中継が行われている[ 3] 。過去には数分間のニュース 中断があったものの、その間も画面左下のワイプ 画面で中継映像を映し出すなどの配慮があった。また、第73回(1997年 ) - 第76回(2000年 )はCS★日テレ でも同時放送された。
番組のキャッチコピーは「ニッポンのお正月。 」[ 注釈 2] 。毎年25%以上の高視聴率 を上げる正月 恒例の大型番組となっており[ 注釈 3] 、テレビ番組 の視聴率調査を行っているビデオリサーチ でも『NHK 朝の連続テレビ小説 』や『NHK紅白歌合戦 』などの様に箱根駅伝の歴代視聴率に関する専用ページを設けている程である[ 6] 。
番組の開始まで
日本テレビが中継を始める前の第55回(1979年 )[ 7] から第62回(1986年 )までは東京12チャンネル→テレビ東京 が箱根駅伝の中継番組を放送していたが、1月3日 12:00 - 13:54の録画ダイジェスト放送(ゴールは生放送、中継を開始した1979年は13:25 - 14:10に放送)であった[ 7] [ 8] 。この当時、日本テレビの1月2・3日は全国ネットを含むバラエティの正月特別番組を中心とした編成を組んでいた。
元々、山岳部の地理的条件などから箱根駅伝の完全生中継は不可能と思われており、他にも「長時間の中継を視聴者が観てくれるのか」「たかが、関東の大会でスポンサー が付くのか」「沿道での事故や放送事故 が起きたら、会社の経営にダメージを与える」などの反対意見が日本テレビ内であったほか、更に年末年始に開催されていて、本番組の企画や立ち上げに携わった坂田信久 (当時・プロデューサー)が同じく中継番組の立ち上げに関わっていた全国高等学校サッカー選手権大会 との兼ね合いなど、多数の難題を抱えながらも番組成立にこぎつけた[ 9] [ 10] [ 11] [ 12] 。
なお、日本テレビの動きとは別に関東学生陸上競技連盟 (関東学連)でも当時日本体育大学 の学生だった日隈広至(現・関東学連副会長)が箱根駅伝のラジオ中継を行っていたNHK(日本放送協会 )に対して、テレビの生中継放映権を売り込んでいた。しかし、前述の日本テレビ内での反対意見や懸念材料と同じ理由で却下された[ 注釈 4] 。その後、箱根駅伝を共催している読売新聞社 (現・読売新聞グループ本社 )による協力もあり、日本テレビが箱根駅伝の放映権を獲得。テレビ東京から中継番組が移行された[ 8] [ 12] 。
二子山 に中継拠点を作り、箱根山間部での中継問題が解決するまでにはかなりの苦労があり、坂田や田中晃 (当時・総合演出、現・WOWOW 代表取締役社長)によると、箱根の山は霧が掛かっているのが日常茶飯事のため、ヘリコプター を飛ばすのが困難、更に当時はドローン も存在しなかったこともあり、クレーン や気球 に受信機を付けて中継拠点にする案もあったという[ 注釈 5] [ 10] 。
日本テレビによる中継開始決定後に同局が中継スタッフの宿泊予約を箱根の各旅館に打診したが、宿泊日が年末年始ということもあって、各旅館共に満室で断られた。しかし、小涌園 から「宴会場なら貸せる」との申し出があり、日本テレビもその条件で同意した。宴会場なので布団や食事は自前ではあったが、暖房と温泉は利用できた。そのため、感謝の意味を込めて現在でも必ず番組内で紹介されている他[ 注釈 6] 、小涌園前にリポーターも配置している[ 14] 。
本番組の開始当時、箱根駅伝は正月の混乱を回避したいとの理由で警視庁 からコース変更または大会自体の中止を要請されており、存続の危機にあった。本番組の成功により、箱根駅伝は正月の風物詩となるスポーツイベントとなり、コース変更並びに大会自体の中止の話は自然と消えていった[ 8] 。
放送時間
1月2日
0 5:50 - 0 6:45 : 事前番組『箱根駅伝 絆の物語&スタート直前生情報』(ローカルセールス枠 ・任意ネットのため、一部地域は非ネット。詳細は後述 )
0 7:00 - 0 7:50 : 第1部『まもなく箱根駅伝 往路』
0 7:50 - 14:05 : 第2部『★SAPPORO新春スポーツスペシャル 第○回東京箱根間往復大学駅伝競走 往路』
1月3日
0 5:50 - 0 6:45 : 事前番組『箱根駅伝 往路ダイジェスト&復路直前生情報』(ローカルセールス枠 ・任意ネットのため、一部地域は非ネット。詳細は後述 )
0 7:00 - 0 7:50 : 第1部『まもなく箱根駅伝 復路』
0 7:50 - 14:18 : 第2部『★SAPPORO新春スポーツスペシャル 第○回東京箱根間往復大学駅伝競走 復路』
14:18 - 15:00 : 事後番組『続報!箱根駅伝』(テレビ大分 ・テレビ宮崎 を除くNNN 28局ネット)
第1部はローカルスポンサー枠だが、日本テレビなど一部の局ではサッポロビールがスポンサーに付いている。オープニング映像は、第2部冒頭の7:50に流れる。
第1部のオープニングでは「○○○○年1月2日」・「○○○○年1月3日」の表示がなされる。
第67回(1991年)までは、復路も14:05まで(第63回(1987年)は、往路・復路共に13:55まで)の放送であった為、ゴールが時間内に放送されなかった大学もあった。
第81回(2005年 )までは、7:00 - 7:45を『見どころ』(番組表の表記は『まもなく箱根駅伝』)として放送し、実況中継は7:45からとなっていた。一部の地方局でも『見どころ』をネットしない地域があった。それらの地域は『笑点 』のスピンオフ番組『新春演芸宝船→おはよう笑点 』などに差し替えていた。
第82回(2006年 )以降、全てのネット局で7:00からの放送となり、新聞やテレビ情報誌の番組表上は、見どころと実況中継の区分が無くなっている。
各放送局で決めている実際のプログラムでは、7:00 - 7:50を第1部、7:50以降を第2部としている。7:00 - 7:50はローカルセールス扱い で、7:50から『★SAPPORO新春スポーツスペシャル 』である。EPG では従来通り、「まもなく箱根駅伝」と本編の「SAPPORO新春スポーツスペシャル」を区分して掲載している。
第85回(2009年 )までは放送センターの出演者は第2部に入ってから登場していたが、第86回(2010年 )からは若干構成が変わり、7:00のオープニングの時点で一旦放送センターの出演者が挨拶してから、スタート地点にいる第1部進行のアナウンサーに引き渡す形となった。
日本テレビの中継放送体制
日本テレビ中継車107号 横浜市 パシフィコ横浜 にて
箱根駅伝の先頭を走る中継車(2004年)
箱根駅伝のテレビ中継車(2004年)
体制概要
第89回(2013年 )時点で、中継ポイント50カ所、テレビカメラ81台、移動中継車2台、オートバイ中継車4台、固定中継車12台、ヘリコプター3機、実況アナウンサーとサブアナウンサー20名、スタッフ総勢1000名という日本のテレビ局におけるスポーツ中継としては最大規模の体制で行っている[ 15] 。日本テレビや関連会社だけでは全ての放送機材とスタッフを賄えないため、系列各局[ 注釈 7] や他系列の関連会社からも機材や人員の協力を受けている。例として2013年の大会においては、実況アナウンサー(日テレ本社内の本部総合実況、中継所、移動中継車担当)14人が参加。その他実況はしないものの日テレ本体から6人、その他各系列局のアナウンサー[ 注釈 7] の若干名が中継のサポートスタッフとして参加し、彼らは前回大会から1年をかけて、スポーツ新聞の番記者と同じ要領で取材する学校をあらかじめ決める「学校担当制」を採用して密着取材し、出場者それぞれについてのプロフィールなどをまとめて、それを放送で紹介する補足資料などとして紹介している[ 15] 。なお、第63回(1987年)の初回中継時、スタッフ数は約700名であった。
東京都港区 東新橋(汐留 )の日本テレビ本社内に放送センターが設けられる。アナウンサーや箱根駅伝OBのゲスト解説者[ 注釈 8] が配置されるとともに中継映像のスイッチングや計測タイムのとりまとめなども含め、スタッフ全体のコントロール拠点となる。中継映像や音声は最終的に全てこの放送センターに集められ、全国ネット局に送られる。その他、箱根のNTT 双子無線中継所と湘南平にも中継拠点が設置され、ヘリコプターを介した山間部の中継車映像などを集め日本テレビ本社内の放送センターに送信する。5区・6区の山間部は電波が届きづらく、電波中継するヘリコプターが悪天候で飛べないことも想定し、コースと中継基地の両方が見える駒ケ岳 、明星ヶ岳 、久野林道など数箇所に中継機材を設置し、中継車の映像をそこに一旦集めてから放送センターに映像を送る形式としている。
第76回(2000年 )から、移動中継車からの電波にはアナログ波に代えてデジタル波を使うようになった。
移動中継車の1号車は、1位選手がゴールするまでは先頭を走り常に1位を映す。2号車は2位から5位前後の主に順位が変わりそうなところに付く。3号車は往路では2号車より後ろを走る注目選手を、復路では10位前後のシード校争いの模様等を映す。第79回(2003年 )からは4号車としてオートバイによる中継が開始され、その機動力を生かして3台の移動中継車でまかなえない部分をカメラ車と実況車の2台でカバーしている。第86回(2010年)からは移動中継車を1号車と3号車の2台体制とし、2号車と4号車にはトライク (3輪バイク)を活用している[ 16] 。放送上の表記は4号車のみ「バイク」と表記していたが、第93回(2017年 )から第98回(2022年 )では1 - 3号車と同様に「4号車」へと変更された。第99回(2023年 )では再度「バイク」表記に戻されている。なお第80回(2004年 )までは画面上に号車の表記はなされておらず、距離表示の色を変えることで区別していた[ 注釈 9] 。なお2号車と4号車はそれぞれ「中継カメラ担当のトライク(3輪バイク)」と「実況アナウンサー乗車のバイク」[ 17] の1チーム2台編成で、2号車と4号車で計4台のバイクを使用している[ 18] [ 19] 。なお、6区の下り坂区間ではバイク走行の安定性の問題もあり、実況アナウンサー乗車のバイクは平地区間となる残り3km地点から合流する形で運用し、その間の2号車と4号車の映像には1号車、3号車あるいは放送センターのアナウンサーが実況を充てている[ 20] 。
その他、各所(全中継点およびポイントとなる場所)に固定カメラが設置され、随時順位の正確な把握がなされているとともに選手の通過タイムを独自に計測している。箱根の函嶺洞門 と日本橋では、クレーンカメラを使ったダイナミックな映像を撮影し放送している。
ハイビジョン化
2003年12月から順次開始された地上デジタル放送 に合わせ、第81回(2005年)では放送センターのみハイビジョン 画質だったものが第82回(2006年)では移動中継車もハイビジョン対応に更新[ 注釈 10] したことや対応機材の整備、電波送受の体制がとりあえず整ったことを受け、各中継所など固定カメラの映像をハイビジョンに移行、箱根エリアと東京エリアをハイビジョンで中継した。さらに第83回(2007年)では湘南エリアもハイビジョン化し、第84回(2008年 )では全ての中継映像がハイビジョン化された(ENG取材映像などではまだアナログ機材によるものも残る)。
日本テレビが開催した「デジテク2007」での展示によれば、自社で所有する移動中継車および中継用ヘリコプターを全てフルハイビジョン対応しているテレビ局は世界でも日本テレビのみとのことである。また同展示会での展示内容によると、箱根駅伝は同社の映像中継技術を磨くための場としても用いられており、最新の技術を全て投入して安定かつ高画質な映像を配信できるようにしているとのことである。
箱根芦ノ湖の折り返し地点は、日本テレビ系の中継が始まってから数年間の例外 はあったものの、隣接する系列局の静岡第一テレビ (SDT)が子会社 である静岡第一ビデオ(現・SDTエンタープライズ)と共に担当してきた。しかし、地上デジタル放送の開始と中継映像のハイビジョン化という流れの中でハイビジョン中継の設備を持ち合わせていない静岡第一テレビは、第82回(2006年)以降「固定中継点全てのハイビジョン化」という日本テレビの方針に合致できず、人員及び一部機材のみの応援となった。なお、中継車を含む機材については在京の技術会社であるテレテック からレンタルされている。また大手町スタート・ゴールではテレビ新広島 (TSS、フジテレビ系列 )の完全子会社であるTSSプロダクション から中継車や機材をレンタル(ただし、これは在京の技術会社・千代田ビデオ を経由しているものである[ 注釈 11] [ 21] )するなど、遠方にある他系列の関係会社からも機材やスタッフをレンタルするケースもある。
第84回(2008年)では、1号車に使われた日本テレビ中継車107号が屋根上の箱根駅伝のシンボルマークを付けたまま、1月5日 から7日 までパシフィコ横浜 で開催されたトミカ博 (日本テレビ主催、タカラトミー 協力)の会場内に展示および車内公開され、子供たちの注目を集めた。
インターネット配信
第96回(2020年)以降、番組公式サイトで、テレビ版と同じ内容をスタート10分前から配信する(但しCMの流れている時間帯も中継映像が配信される場合があり、その際は交通規制や沿道の観戦についての案内が流れる、ニュースおよび今昔物語の時間帯は中継映像のみの配信)。また、第93回(2017年)から番組公式サイトで、各区間1か所から定点カメラの映像を配信する。第94回(2018年)はHulu でも配信され、第96回(2020年)からはTVer でも配信されている(CM中の扱いは公式配信と同様)[ 22] 。第100回大会まであと100日となった2023年9月24日より、番組公式サイトにおいて日本テレビが中継を開始した第63回以降の本大会および第68回以降の予選会のダイジェスト動画を無料で配信する[ 23] 。5・10区のダイジェストには当時時間の都合により放送されなかった学校のゴールシーンも含まれている。
番組としてのウェブサイトは第73回大会から公開されており[ 24] 、当時のウェブサイトの様子はアーカイブサイトなどで確認ができる[ 25] 。当時は中継所及びチェックポイントにおける通過記録を、主にテキスト情報で速報していた。また、大会ごとの担当アナウンサーや解説・ゲストの紹介などのページも設けられており、過去大会のウェブサイトの内容は後年に渡り当時のまま閲覧可能であったが、番組サイトのリニューアルにより公開終了となった[ 23] 。
シンボルマーク
日本テレビ系「箱根駅伝」番組シンボルマーク
「箱根駅伝」オフィシャルロゴマーク
第81回(2005年)からは、富士山 と日の出 をモチーフにしたデザイン(上図左)を番組シンボルマークとして使用している。
「HA KO NE EKIDEN」の「A 」の文字の裾を広げたデザインで富士山を、「O 」の文字を赤く塗りつぶしたデザインで日の出を表現している。シンボルカラーは日本テレビが当時、新CI・VIとして制定していた「日テレ」ロゴに準じている[ 注釈 12] 。また、「SINCE 1920」の表記は第1回箱根駅伝の開催年を表す。
第70回(1994年)から第80回(2004年)まで、「箱根駅伝」の4文字を刻印調に表した箱根駅伝オフィシャルロゴ(上図右)を放送に使用していた時期があり、このロゴは現在でもスタッフジャンパーや箱根駅伝グッズなどに使用されている。なお、このロゴは読売新聞東京本社の登録商標(第3228005号ほか)である。
第63回(1987年)から第69回(1993年)までは直線の上下に「東京箱根間往復」「大学駅伝競走」とゴシック(写研 「ゴナU 」)斜体で横書きし、そのうち「箱根駅伝」の文字のみを拡大したロゴ(当時の箱根駅伝公式プログラムでも使用されていたもの[ 26] )が使用されていた。
テーマ曲
第85回(2009年)以降のテーマ曲
第85回(2009年)から、オープニング・エンディングともに久石譲 が制作したオリジナルテーマソング「Runner of the Spirit 」が用いられている[ 27] 。この曲はテレビ番組のテーマ曲としては珍しく吹奏楽曲 として作曲されており、これは中学校の吹奏楽部にも演奏できて親しみやすくするという趣旨である。番組内で流れる曲は東京佼成ウインドオーケストラ が演奏を担当している。
第84回(2008年)までのテーマ曲
オープニングテーマには、映画『ネバーエンディング・ストーリー 』のサウンドトラック 『ネバーエンディング・ストーリー / オリジナル・サウンドトラック 』に収録されている「喜びの飛行 」(Happy Flight, クラウス・ドルディンガー 作曲)が使用されていた。初期のスタッフである平谷修三 がディレクターに推薦したとされる。第85回で「Runner of the Spirit」が使用されるようになってからは本編では使用されなくなったが他番組で箱根駅伝が紹介される時に時折使われることもあり、2023年 4月6日 に放送された『日テレ系生番組の祭典 生デミー賞2023 』でも「喜びの飛行」がBGMとして流れた。
第83回(2007年)までのエンディングテーマには、「I Must Go! 」(作詞作曲:ヴァン・マッコイ 、歌:トミー・ヤング (英語版 ) )が使用されていた。
第84回(2008年)では「I Must Go!」が使用されることはなく、エンディングでは「喜びの飛行」のフル・バージョン(サウンドトラックでは『バスチアンの飛行 』〔Bastian's Happy Flight〕の題で別収録)が流された。
第63・64回(1987・1988年)では、日本テレビの「スポーツ行進曲 」が使われていた時間帯もあった。
他にCM入り時のBGMとして「風光る」(演奏:姫神)のイントロ部分、「NEVER RUN AWAY 」(歌:楠木勇有行 )のイントロ部分や「箱根八里 」(瀧廉太郎 作曲)などが、第1部のBGMとして「銀河伝承」(服部克久 作曲)が使用されていた。第85回(2009年)以降はこれらのほか提供クレジット表示中、番宣CM中の曲も全て「Runner of the Spirit」に差し替えられた。
コース紹介時のBGM(本間勇輔 作曲「友だちだから -夕子のテーマ-」〈フジテレビ系アニメ『名門!第三野球部 』サウンドトラックより。作詞:岩里祐穂 、歌:山咲夕子 〉の冒頭10秒をループ編集させたBGM)のみ第85回(2009年)以降も継続して使用されていたが、第96回(2020年)にて変更されている。それまでインターネット配信ではコース紹介時に配信中断していた(原盤権 の兼ね合いと思われる)が、この変更後はコース紹介映像も中断せずに配信されている。
「I Must Go!」について
日本テレビが中継を開始した第63回(1987年)からエンディングテーマとして使われ、当初は復路のみ使用であったがその後は往路でも使用され、番宣CMにも使われていた。
曲が使用されていた時期は毎年反響が大きく、日本テレビへの問い合わせも数多く寄せられていた。そのため、番組公式サイトのトップ画面に曲名や歌手名、楽曲のCDが発売されていない旨が記載されていた年もあった。この曲は、1978年 にアメリカで放送されたテレビ映画『モーゼと呼ばれた女性 (英語版 ) 』のサウンドトラックに収録されていた曲であるが、中継開始時点では収録LPは既に廃盤になっていた。映画はアメリカで黒人奴隷 の脱走・南部各州から北部各州への避難を支援した地下組織「地下鉄道 」(Underground Railroad)を描いた作品で、そのシステムが駅伝そのものだったために選ばれたとみられる。
番組のラストは、「I Must Go!」に合わせて競走の印象的だったシーンを流し、優勝校のアンカーがゴールテープを切る映像を最後に、東京都心上空のヘリコプター映像へオーバーラップ、番組の制作協力にあたった系列各局[ 注釈 13] や技術・制作プロダクション、関係機関、そして中継に関わった技術担当者などおおよそのスタッフの氏名(サブアナウンサーも含む)がエンドロールでクレジットされ、例年14:14頃、延べ14時間にわたる中継は終了していた。第69回(1993年)まではエンドロールの最後に「製作著作 日本テレビ」とともに「WE MUST GO」のテロップを表示していた時期もあった。
名物コーナー「箱根駅伝今昔物語」
中継放送の中で数回、過去の大会を走った選手や支援者などのエピソードが紹介される「箱根駅伝今昔物語」が放送される。
もともとは中継映像が途切れた場合の予備映像として制作していたものであったが、制作した日本テレビ側には「これまでに走ったことのある人の話も伝えなければ、箱根駅伝を放送したとは言えない」という自負もあり、箱根駅伝にまつわる様々な逸話や裏話を楽しめるコーナーとなっている。
特に太平洋戦争によって大会そのものの続行が危ぶまれ、その中で学生が軍部との折衝の末に開催を果たした第22回 (1943年 )の経験や、戦地に散った選手が少なからずいた中で生き残った当時の選手達による歴史ある大会を後世に繋げていくためのメッセージに焦点が当たることが多く、伝統と歴史に裏打ちされた駅伝であることを視聴者に印象付けるものである。
このコーナーは沿道のスポンサーのライバル企業の事業所が存在している区間で流されることが多く、かつてはキリンビール の工場がある生麦 付近(2区・9区)で放送されていた。
初出場校・学生連合チーム初招集校の元箱根選手の指導者などを取り上げる事もある。後者の場合、当該走者が走行している区間で走者を映しながら今昔物語を放送する。
資料や証言の募集は年間を通して随時行われ、新しい資料・証言があれば、それを次年度の中継で紹介することもある。
CM前アイキャッチ では、過去の大会の名場面やゴールシーンを放送している。
2023年12月12日には、箱根駅伝第100回を記念し、「箱根駅伝『今昔物語』100年をつなぐ言葉のたすき」(日本テレビ編著・文藝春秋刊、ISBN 4163917926 、ISBN 978-4163917924 )が書籍として発売された[ 28] 。
関連番組
第89回(2013年)より、12月の第4日曜日の夕方にランナーとそれを支える人たちの「絆」に注目した『箱根駅伝 絆の物語』が放送され(一部地域を除く)、第90回(2014年)より『箱根駅伝 絆の物語&スタート直前生情報』が往路の中継直前の5:50 - 6:45に、第95回(2019年)からは『箱根駅伝 往路ダイジェスト&復路直前生情報』が復路の中継直前の5:50 - 6:45に放送される(一部地域を除く)。
第84回(2008年)より、復路の全国ネット中継終了後に『箱根駅伝エクストラ』(2008年・2009年)、『続報!箱根駅伝』(2010年 - )が15:00まで放送される(テレビ大分・テレビ宮崎を除く)。総合優勝チームへのインタビューが行われるほか、中継枠で紹介しきれなかった各選手の様子、監督の談話などをカバーしている。
関東地区では中継後の週末に、選手に随行する運営管理車の中の監督・コーチに密着した事後番組『もうひとつの箱根駅伝』が放送される。箱根人気の影響で地方での放映を求める声もあるが、地上波 での放送はネットスポンサーのつかない番組販売 の形になるため、一部地域でのみの放送となっている。ただし、衛星放送 (BS日テレ と日テレG+ )を通じて全国で視聴が可能である。
BS日テレ・日テレG+では、本大会に向けた各校の様子を取材した『密着!箱根駅伝』を毎年9月以降に月1回放送するほか、加えて日テレG+では、過去に日本テレビで実況が行われた1987年度以後の大会を再編集した「箱根駅伝名勝負」や、「箱根駅伝シンポジウム」や「監督激突トークバトル」といった関連イベントの模様を大会直前に放送している。
中継翌日から年内最初の放送が始まる日本テレビの各情報番組では必ずと言っていいほど箱根駅伝の関連特集が組まれる。各番組のスタジオには優勝校の監督・選手全員が招かれ、キャスターからインタビューを受けるのが恒例となっている。
スポンサー
この放送では大会特別協賛であるサッポロビール が全時間帯の筆頭スポンサーとなっており、「サッポロビール (現在の表記は★SAPPORO )新春スポーツスペシャル 」の冠が付く。ただし、1社単独協賛番組 ではなく複数企業との連合協賛である。サッポロビールでは、現在のコーポレートスローガン「乾杯をもっとおいしく。 」と併用する形で、スポーツ中継については協賛社提供クレジット のフレーズを「スポーツマンシップに乾杯! 」と表示している。
なお、第86回(2010年)までは正午以降の時間帯でビールなどアルコール商品のCMを流していたが、サッポロビールを含む大手ビールメーカー各社が加盟しているビール酒造組合 が「未成年者の飲酒防止の取り組みを強化する」事を理由に、2010年秋より午前5時から午後6時までノンアルコール飲料を除く酒類のテレビ広告放映が自粛(禁止ではなく同組合の「自主基準」に基づいた自主規制)されたため、第87回(2011年)よりアルコール商品のCMが番組内から消滅し、同社の企業CMや箱根駅伝に絡んだ内容のCM、自粛対象とならない一部のノンアルコール商品のCMに限り放映されている。
ネット局
日本テレビでは、以下のNNS加盟局 (テレビ大分を除く)からスタッフ及び中継機材の協力も受けている。なお、当大会の模様は、クロスネット局 を含めすべての日本テレビ系列の放送局で生中継をしている。
■印…事前番組[ 注釈 14] ネット局。
過去のネット局
放送対象地域
放送局
現在の系列
備考
石川県
石川テレビ (ITC)
フジテレビ系列
テレビ金沢開局前の1988年、1989年に番販扱いで放送(復路のみ)[ 29] 。
長崎県
テレビ長崎 (KTN)
1991年まで日本テレビ系列・フジテレビ系列のクロスネット。
長崎放送 (NBC)
TBS系列
テレビ長崎がネットできない場合に一時期放送。
鹿児島県
鹿児島テレビ (KTS)
フジテレビ系列
1994年 まで日本テレビ系列・フジテレビ系列のクロスネット(第69・70回(1993 ・1994年)は非ネット)。
沖縄県 では日本テレビ系列の放送局がないため、地上波では一切放送されない。
なお、鹿児島読売テレビのスピルオーバー 電波を区域外再放送 する形で2020年から沖縄ケーブルネットワーク の「テレビにらい 」、2023年から宮古テレビ にて、本番組のリアルタイム放送を行っている[ 30] [ 31] [ 32] [ 33] [ 注釈 16] 。これにより、一部エリアには限定されるが、沖縄県でも箱根駅伝の視聴が可能になった。
宮崎県では、本番組をテレビ宮崎が放送している一方、日本テレビが筆頭幹事社となっている『全国高等学校サッカー選手権大会 』の民間放送43社共同制作機構には宮崎放送 (TBS系列)が参加しているため、試合の組み合わせによっては宮崎県代表の出場試合が本番組の裏番組として宮崎放送で放送される場合がある。
歴代視聴率
※以下のデータはビデオリサーチ 調べ、関東地区・世帯・リアルタイム[ 6] [ 34] [ 35] [ 36] [ 37] 。赤文字 は歴代最高、青文字 は歴代最低の記録。
回
年
視聴率
往路
復路
1部
2部
1部
2部
第63回
1987
18.0%
18.7%
14.1%
21.2%
第64回
1988
22.1%
19.2%
19.4%
20.3%
第65回
1989
20.9%
18.7%
19.9%
21.7%
第66回
1990
17.6%
19.4%
20.3%
22.3%
第63回(1987年) - 第66回(1990年)は往路・復路共に2部構成。
第63回(1987年)は往路の10:25 - 12:00、復路の9:25 - 12:00の時間帯は中継を中断していた。
第64回(1988年)は往路の10:25 - 10:50、復路の10:30 - 11:00の時間帯は中継を中断していた。
回
年
視聴率
往路
復路
第67回
1991
19.7%
22.7%
第68回
1992
23.2%
26.1%
第69回
1993
26.1%
27.8%
第70回
1994
24.9%
27.3%
第71回
1995
27.1%
28.8%
第72回
1996
29.2%
28.2%
第73回
1997
26.8%
25.4%
第74回
1998
25.7%
26.1%
第75回
1999
25.3%
28.3%
第76回
2000
26.8%
29.0%
回
年
視聴率
往路
復路
第77回
2001
24.5%
27.5%
第78回
2002
27.5%
27.0%
第79回
2003
29.3%
31.5%
第80回
2004
25.2%
26.6%
第81回
2005
23.7%
29.9%
第82回
2006
27.6%
29.1%
第83回
2007
27.3%
28.5%
第84回
2008
25.4%
27.7%
第85回
2009
26.5%
27.5%
第86回
2010
27.2%
27.9%
回
年
視聴率
往路
復路
第87回
2011
25.1%
29.5%
第88回
2012
27.9%
28.5%
第89回
2013
29.1%
27.9%
第90回
2014
26.8%
27.0%
第91回
2015
28.2%
28.3%
第92回
2016
28.0%
27.8%
第93回
2017
27.2%
28.4%
第94回
2018
29.4%
29.7%
第95回
2019
30.7%
32.1%
第96回
2020
27.5%
28.6%
回
年
視聴率
往路
復路
第97回
2021
31.0%
33.7%
第98回
2022
26.2%
28.4%
第99回
2023
27.5%
29.6%
第100回
2024
26.1%
28.3%
歴代実況アナウンサー・解説・ゲスト
本大会実況アナウンサー
下記に記載する実況アナウンサー以外にも、放送には出てこない大勢のアナウンサーが裏方として参加している(年末年始にニュースや生放送の特番、高校サッカー選手権を担当するアナウンサーは参加しない)。
※往路担当は☆、復路担当は★、事後番組担当は▲、○は芦ノ湖スタート・フィニッシュ、●は大手町フィニッシュ。
回
年
放送 センター
移動中継車
中継所
小涌園
沿道 リポート
スタート フィニッシュ
インタビュー
事前番組 事後番組
1号車
2号車[ 38] (バイク[ 39] )
3号車
4号車(バイク)
鶴見
戸塚
平塚
小田原
63回
1987
小川光明
芦沢俊美
山下末則
小倉淳
(運用なし)
白岩裕之
多昌博志
(配置なし)
白岩裕之
多昌博志
(配置なし)
舛方勝宏
増田隆生
(不明)
64回
1988
松永二三男
多昌博志
船越雅史
増田隆生
多昌博志
船越雅史
今井伊佐男
日高直人
65回
1989
山下末則
多昌博志
船越雅史
増田隆生
保坂昌宏
船越雅史
増田隆生
村山喜彦
66回
1990
多昌博志
船越雅史
増田隆生
保坂昌宏
村山喜彦
増田隆生
浅見源司郎
山下末則
保坂昌宏☆ 村山喜彦★
67回
1991
村山喜彦
船越雅史
松永二三男
船越雅史
福澤朗
白岩裕之
保坂昌宏☆ 松永二三男★
68回
1992
船越雅史
保坂昌宏
松永二三男
鈴木健
保坂昌宏
後藤俊哉
多昌博志
松永二三男
69回
1993
鈴木健
村山喜彦
保坂昌宏
後藤俊哉
村山喜彦
河村亮
山下末則
松永二三男
70回
1994
村山喜彦
保坂昌宏
鈴木健
増田隆生
保坂昌宏
後藤俊哉
多昌博志
71回
1995
芦沢俊美
山下末則
河村亮
松永二三男
小川光明
72回
1996
松永二三男
増田隆生
河村亮
保坂昌宏
後藤俊哉
平川健太郎
藤井貴彦
村山喜彦
73回
1997
山下末則
船越雅史
増田隆生
金子茂
平川健太郎
今井伊佐男
吉田填一郎
後藤俊哉
鈴木君枝
松永二三男
74回
1998
平川健太郎
松永二三男
河村亮
羽鳥慎一
舟津宜史
村山喜彦
75回
1999
多昌博志
平川健太郎
河村亮
村山喜彦
羽鳥慎一
若林健治
増田隆生
76回
2000
船越雅史
村山喜彦
平川健太郎
河村亮
羽鳥慎一
矢島学
77回
2001
船越雅史
村山喜彦
河村亮
羽鳥慎一
平川健太郎
矢島学
蛯原哲
町田浩徳
多昌博志
吉田填一郎
小川光明
78回
2002
平川健太郎
矢島学
羽鳥慎一
小倉淳
菅谷大介
79回
2003
河村亮
羽鳥慎一
町田浩徳
平川健太郎
蛯原哲
矢島学
菅谷大介
高橋雄一
小川光明柴田倫世 寺島淳司 瀬古利彦
80回
2004
矢島学
羽鳥慎一
高橋雄一
新谷保志
平川健太郎
小川光明
小川光明 柴田倫世
81回
2005
船越雅史
河村亮
平川健太郎
蛯原哲
町田浩徳
菅谷大介
新谷保志
高橋雄一
森圭介
村山喜彦
山下末則
山下末則杉上佐智枝
82回
2006
平川健太郎
矢島学
森圭介
新谷保志
田中毅
町田浩徳
高橋雄一
83回
2007
村山喜彦
蛯原哲
町田浩徳
田中毅
森圭介
新谷保志
河村亮
菅谷大介
菅谷大介 杉上佐智枝
84回
2008
新谷保志
町田浩徳
森圭介
高橋雄一
田中毅
上重聡
菅谷大介佐藤良子
85回
2009
河村亮
蛯原哲
矢島学
町田浩徳
森圭介
新谷保志
上重聡
高橋雄一
青木源太
平川健太郎
86回
2010
町田浩徳
森圭介
新谷保志
高橋雄一
菅谷大介
矢島学
矢島学 佐藤良子
87回
2011
新谷保志
町田浩徳
森圭介
青木源太
佐藤義朗
矢島学森麻季 佐藤良子▲
88回
2012
森圭介
町田浩徳
青木源太
菅谷大介
上重聡
矢島学☆ 菅谷大介★
矢島学 佐藤良子
89回
2013
町田浩徳
新谷保志
菅谷大介
佐藤義朗
辻岡義堂
矢島学☆ 佐藤良子★
矢島学徳島えりか
90回
2014
新谷保志
森圭介
上重聡
町田浩徳
佐藤義朗
青木源太
菅谷大介
蛯原哲
平川健太郎☆ 徳島えりか★
平川健太郎水卜麻美
91回
2015
平川健太郎
町田浩徳
佐藤義朗
森圭介
辻岡義堂
安藤翔
徳島えりか☆ 菅谷大介★
村山喜彦 水卜麻美
92回
2016
町田浩徳
森圭介
佐藤義朗
青木源太
上重聡
菅谷大介
辻岡義堂
後藤晴菜 ☆ 徳島えりか★
93回
2017
蛯原哲
町田浩徳
辻岡義堂
安藤翔
上重聡
山本健太
菅谷大介
杉野真実 ☆ 後藤晴菜★
村山喜彦 水卜麻美 徳島えりか
94回
2018
上重聡
山本健太
安藤翔
平松修造
村山喜彦 辻岡義堂 水卜麻美 徳島えりか
95回
2019
蛯原哲
森圭介
上重聡
安藤翔
山本健太
辻岡義堂
町田浩徳
村山喜彦☆ 後藤晴菜★
河村亮 徳島えりか 水卜麻美 杉野真実
96回
2020
佐藤義朗
森圭介
平松修造
伊藤大海
徳島えりか
河村亮 後藤晴菜 水卜麻美▲ 杉野真実▲
97回
2021
安藤翔
山本健太
町田浩徳
伊藤大海
平松修造
梅澤廉
森圭介
後藤晴菜☆ 菅谷大介★
菅谷大介☆ 杉野真実☆▲ 徳島えりか★ 後藤晴菜★ 水卜麻美▲
98回
2022
山本健太
上重聡
平松修造
梅澤廉
伊藤大海
町田浩徳
後藤晴菜
杉野真実☆ 菅谷大介★
菅谷大介☆杉原凜 ☆ 杉野真実★佐藤梨那 ★ 徳島えりか▲石川みなみ ▲
99回
2023
森圭介
中野謙吾
山本健太
平松修造
安藤翔
大町怜央
杉野真実
上重聡○ 菅谷大介●
町田浩徳☆ 上重聡★
菅谷大介☆市來玲奈 ☆ 町田浩徳★ 佐藤梨那★ 徳島えりか▲弘竜太郎 ▲
100回
2024
山本健太
平松修造
伊藤大海
梅澤廉
北脇太基
町田浩徳
上重聡○ 森圭介●
村山喜彦☆ 菅谷大介★
菅谷大介☆[ 40] 村山喜彦★ 弘竜太郎 徳島えりか▲ 石川みなみ▲
101回
2025
蛯原哲
平川健太郎
梅澤廉
北脇太基
杉野真実
大町怜央
杉原凛
石川みなみ
中野謙吾
佐藤梨那☆ 菅谷大介★
町田浩徳 弘竜太郎 辻岡義堂▲ 佐藤梨那▲
本大会解説・ゲスト
※往路担当は☆、復路担当は★、第1部担当は△、第2部担当は▲。
予選会
回
年
放送センター
2号車
3号車
後続実況
リポート
実況
解説
ゲスト
第68回
1991年
多昌博志
(配置なし)
(配置なし)
(配置なし)
(配置なし)
鈴木健
第69回
1992年
芦沢俊美
横溝三郎
上田誠仁
多昌博志 鈴木健
第70回
1993年
進藤吉紀
第71回
1994年
千葉信彦
村山喜彦
保坂昌宏 松永二三男
第72回
1995年
(配置なし)
松永二三男
増田隆生
平川健太郎 村山喜彦
第73回
1996年
山下末則
藤脇友介
船越雅史
金子茂
今井伊佐男 吉田塡一郎 平川健太郎 松永二三男
第74回
1997年
磯松大輔
松永二三男
平川健太郎
舟津宜史 吉田塡一郎 羽鳥慎一 増田隆生
第75回
1998年
碓井哲雄
山本佑樹
多昌博志
河村亮
羽鳥慎一 吉田塡一郎 若林健治 増田隆生
第76回
1999年
船越雅史
村山喜彦 矢島学 増田隆生
第77回
2000年
河村亮
(配置なし)
(配置なし)
(配置なし)
(配置なし)
第78回
2001年
平川健太郎
第79回
2002年
河村亮
碓井哲雄
多昌博志 平川健太郎
第80回
2003年
平川健太郎
高橋雄一
第81回
2004年
河村亮
蛯原哲 森圭介
第82回
2005年
(配置なし)
第83回
2006年
平川健太郎
町田浩徳
第84回
2007年
高橋雄一
杉上佐智枝 松尾英里子
第85回
2008年
菅谷大介 松尾英里子
第86回
2009年
森圭介
(配置なし)
第87回
2010年
新谷保志
松尾英里子
第88回
2011年
矢島学
菅谷大介
第89回
2012年
森圭介
水卜麻美
第90回
2013年
平川健太郎
早川翼
菅谷大介
辻岡義堂
徳島えりか
第91回
2014年
菅谷大介
寺田夏生
新谷保志
森圭介 徳島えりか
第92回
2015年
碓井哲雄 渡辺康幸
(配置なし)
安藤翔
山本健太
青木源太 平川健太郎 後藤晴菜
第93回
2016年
平川健太郎
碓井哲雄
村山紘太
町田浩徳
後藤晴菜 上重聡
第94回
2017年
戸田雅稀
上重聡
後藤晴菜 梅澤廉
第95回
2018年
上重聡
栃木渡
山本健太
梅澤廉
平川健太郎 杉野真実
第96回
2019年
碓井哲雄 渡辺康幸
堀尾謙介
伊藤大海
梅澤廉 後藤晴菜
第97回
2020年
碓井哲雄
前田康弘 伊藤達彦
(配置なし)
安藤翔 梅澤廉 平松修造
第98回
2021年
森圭介
渡辺康幸
長門俊介 阿部弘輝
菅谷大介 徳島えりか 山本健太 伊藤大海
第99回
2022年
安藤翔
藤原正和
菅谷大介
森圭介 徳島えりか 弘竜太郎
第100回
2023年
平川健太郎
大八木弘明
弘竜太郎 伊藤大海
北脇太基 佐藤梨那
第101回
2024年
蛯原哲
大後栄治
伊藤大海
弘竜太郎
(配置なし)
北脇太基 山本里咲
スタッフ
2024年(第100回)現在
マイクロプラン:藤原将展(第100回)
音声プラン:瀧島要介(第99回-)
エリアTD(テクニカルディレクター):沼田広美(第99回-、以前はマイクロプラン)
総合TD(テクニカルディレクター):岡田直紀(第100回、以前はマイクロプラン)
テクニカルマネージャー(TM):川合亮(第99回-、以前は音声プラン)
ディレクター:生山太智、上本一(共に第100回)
総合ディレクター:松岡祐樹(第99回-、以前はディレクター)
プロデューサー:望月浩平 (第97回 - 、以前は総合ディレクター)
チーフプロデューサー:市川浩崇(第98回 - 、以前は総合ディレクター→プロデューサー)
製作著作:日本テレビ
歴代番組スタッフ
技術:矢沢直樹、中村洋二(札幌テレビ)、渡辺洋、古井戸博、天野重幸、北野政憲、村上孝一、宮下英俊、山岸真、杉本好造、一本哉、片柳幸夫、今村公威、勝見明久、原泰造、熨斗賢司、福王寺貴之 、山口裕司、山本英雄、島村隆宏、小椋敏宏、渡邊勇二、鎌倉和由、保刈寛之、蔦佳樹、各務裕之、大竹弘一、牛山雅博、清野理、伊東俊哉
マイクロプラン:江頭恭二、小野敏之、尾山直樹
音声プラン:清水秀明、岡田洋一、櫻田勝博、中島和真
総合テクニカルディレクター:須田昌宏、天野重幸、勝見明久、柴田康弘、佐治佳一、山本英雄、神田洋介、渡邊勇二、菅谷典彦、上野豊(上野→以前はエリアTD)、高橋尚志(第98,99回)
エリアテクニカルディレクター:大西一孝、山中隆吉、大森達雄、水島光一、矢込宏敬、神田洋介、小澤郁彌、菅谷典彦、山口裕司、黒木貴博、鈴木雄仁、上野豊、大越克人(大越→以前は技術)、小峰祐司
テクニカルマネージャー:佐治佳一、山本聡一(山本→以前は技術、エリアTD)
ディレクター:平谷修三、竹下洋、丸山公夫、菊池剛太、黒岩直樹、梅垣進、新井直彦、村手武治、実成俊也、宮本修二、岡部智洋、稲垣眞一、柴田哲志、松本達夫 、橋本敦、岡田謙吾、酒井基成、渡瀬慶吾、市川浩崇、笈川真、紀内良彦、水田貴久、木村拓也、松本和将(松本和→第98,99回)
総合ディレクター:田中晃 、実成俊也、橋本敦、岡部智洋、稲垣眞一、木戸弘士、市川浩崇、椿亮輔(椿→以前はディレクター)
プロデューサー:坂田信久 、柴田哲志、黒岩直樹、新井直彦、今村司 、土谷幸弘、橋本敦、鶴田史隆、木村拓也(木村→以前はディレクター)
チーフプロデューサー:黒岩直樹、岩崎泰治、宗田英成、木戸弘士(木戸→第95-97回、以前は総合ディレクター)
制作:島田康生、稲垣利照、中畑成、福田泰久、小湊義房、長尾泰希 、今村司、松本達夫、新井直彦
予選会中継
10月中旬の土曜日 に陸上自衛隊 立川駐屯地 →立川市 街地→国営昭和記念公園 の全長21.0975kmのコースで行われる予選会は『★SAPPOROスポーツスペシャル 第○回箱根駅伝予選会 』(サッポロビールスポーツスペシャル だい○かいはこねえきでんよせんかい)として、本大会同様にサッポロビール が筆頭スポンサーとなって放送される。
第90回(2013年)以降の対応
日本テレビ で9:25 - 11:25[ 注釈 18] に生放送 される。スタート直前の様子から結果発表までを生中継で放送する。
BS日テレ でも本大会同様に当日夜に録画放送される[ 42] 。
日テレG+ では翌週の週末に特別編が放送される[ 42] 。地上波 では伝えられなかったレースの裏側、監督やチームメイトの反応、結果発表後の各チームの悲喜こもごもをドキュメンタリー タッチで放送する。ただし、第100回(2023年)はBS日テレ版と同一内容であった。
第100回(2023年)は全国の大学に参加資格があることを受けて、全国ネットで放送された[ 43] [ 44] 。
第89回(2012年)以前の対応
日本テレビでの予選会録画中継は第68回(1991年)から開始された。日テレG+では第78回(2001年)から生中継を開始した。
地上波では当日午後に90分枠でダイジェスト版が放送されていた。山梨放送でも同時ネットされる場合があった(例:山梨学院大学が本大会でシード権獲得できなかった回の翌予選会等)。
日テレG+では9:15 - 12:00に生放送されていた。第89回(2012年)はBS日テレで翌日午後にダイジェスト版が放送された。
大井埠頭 で日曜日 に開催されていた時期は、地上波では当日午後に放送していた。立川での土曜日開催となった第77回(2000年)以降は、第81回(2004年)までは翌週日曜日、第82回(2005年)・第83回(2006年)は翌日の放送となり、第84回(2007年)からは再び当日午後の放送となった。立川移行当初の第77回から第78回は解説者がおかれず放送時間も短縮となるなど大幅に放送体制が縮小されていた。開催から放送までの期間が空いていたこともあり、第77回はレース内容よりも出場校への取材VTRに重点を置いた構成となっていた。
日本テレビ以外の系列局は任意ネットとなっていた。
青森放送 では、かつては本大会往路直前の1月2日早朝に、その後は年末の午前に放送していた。
読売テレビ でも10月下旬頃、もしくは年末の深夜に録画放送を実施していたことがあった。
第86回(2009年)は札幌テレビ 、山形放送 で同時ネットされた。
番組に関するエピソード
第63回(1987年)では最終10区を走っていた順天堂大学のランナーが突然興奮して飛び出してきたファンと接触し転倒するも、動揺することなく走り続けたシーンが生中継された。最近では、放送中に必ず沿道の観戦についての注意がアナウンスされており、特に往路で観客と運営管理車の接触事故が発生[ 45] した第87回(2011年)では、復路の放送の際に繰り返し注意を呼びかけていた。
第64回(1988年)の復路の中継で選手が箱根登山鉄道 の踏切を渡る前に遮断機が下り始め、移動中継車が踏切の手前で立ち往生する間に選手が遮断機を潜り抜け、後から移動中継車がなかなか追いつけなかったというハプニングがあった。当時は駅伝の状況に関わらず、鉄道の運行を優先するルールとなっていた。こうした選手たちの遮断機の潜り抜けが危険なことから、箱根登山鉄道は2000年ごろより電車とランナーが交錯しそうなときは、電車を踏み切り近くで止め、ランナーを優先にしている[ 46] 。
第100回(2024年)の往路の中継において、第1部『まもなく箱根駅伝 往路』は体裁上放送されたものの、本来送るべき直前情報は大幅に縮小され、実質的に令和6年能登半島地震 関連の報道特別番組 となった。報道フロアからは前枠の『NNNニュース』から引き続き辻岡義堂 と浦野モモ が担当した。また、中継本編(1区と4区の2回)でも2018年以来6年ぶりにニュース中断の設定を行った。なお、復路の中継の第1部『まもなく箱根駅伝 復路』は従来通りの内容で放送された。
ミニ番組
2011年からは出場するチームのエピソードや注目選手を紹介するミニ番組が日本テレビで年末に放送されている。
2011年と2012年の10月から12月の毎週日曜日 0:50 - 0:55(土曜深夜)にはサッポロビール など翌年放送分の『箱根駅伝』のスポンサー提供のミニ番組『箱根駅伝への道』が放送されていた。
2013年には12月10日から31日までの火曜日 - 金曜日 の未明に全12話のミニ番組『箱根駅伝のツボ』が放送された。
2014年には12月9日から31日までの火曜日 - 金曜日 の未明に全12話のミニ番組『箱根駅伝の刻』が放送された。
2015年には12月8日から火曜日 - 木曜日 の未明にミニ番組『箱根駅伝の風』が放送される。
箱根駅電
第83回(2007年)にはJR東日本 山手線 の一部電車を「DIGITAL箱根駅電 」と称し、日本テレビの地上デジタル放送 を活用した車内での生放送を実施した[ 47] 。また「箱根駅伝ギャラリー列車」と称し、各出場大学の襷 を模したラッピングが施された山手線車両を運行した(第84回(2008年)も実施(第546編成))。
関連項目
風が強く吹いている - 三浦しをん の小説。2009年に映画化、2018年にTVアニメ化され、箱根駅伝を目指す学生を取り上げた。なお、映画内では日本テレビアナウンサーによる実況とリポートが放送[ 注釈 22] され、往路のゴール[ 注釈 23] シーンでは、ゴール地点の中継を担当する河村亮アナウンサー[ 注釈 24] も登場した。また、本番の中継でも使われる日本テレビ中継車も使われた。
脚注
注釈
^ 初期のアイキャッチ のタイトルでは「サッポロビールスペシャル・箱根駅伝」と表示されていたが、現在は「★SAPPORO新春スポーツスペシャル・箱根駅伝」となっている。
^ 第97回(2021年 )については新型コロナウイルス感染拡大防止の観点から、「応援したいから、応援にいかない。 」を、第98回(2022年 )については「さあ、山を越えて 」をそれぞれキャッチコピーに用いていた。
^ 箱根駅伝が高視聴率番組となって以降、同時間帯の裏番組 はNHKを除く民放各局は新規収録番組を編成せず、ドラマ・バラエティの再放送 を編成することがほとんどとなり、系列局はさらに独自編成を組んでいる例が多い。なお、箱根駅伝中継が行われていなかった頃は、新規収録の全国ネット特番を編成する局もあった[ 4] [ 5] 。
^ なお、NHKは1980年(第56回)に当時モスクワオリンピック (後日日本は出場ボイコットを決定)の男子マラソン に出場することが有力視されていた瀬古利彦(早稲田大学)が2区を走ることから、2区の模様のみ、『日本の新春』という列島リレー番組にてテレビ中継したことがある[ 13] 。
^ 後者に関しては実際にテストも行ったが、気球を目撃した地元住民から「UFO を見た」と警察 に通報が入る騒動も起きた。
^ 中継で場所を伝える際は地名や公共施設を紹介するのが原則となっている。
^ a b 同時期開催・同系列放送の『全国高等学校サッカー選手権大会 』との兼務、ないしはシフト担当者あり。
^ 陸連役員や実業団チームの監督・コーチのほか、現在実業団チームの陸上部で活躍する現役選手も2 - 3名程度参加。中にはニューイヤー駅伝 を元日に走り終えてからこの箱根駅伝の解説に参加する選手もいる。また、DeNA陸上部総監督(2013年までは「ヱスビー食品スポーツ推進局長」)で早稲田大学OBの瀬古利彦 も、2014年を除き、ニューイヤー駅伝の解説を務めた後、当中継の解説を務める。
^ 第80回(2004年)時点では1号車=黄、2号車=青緑、3号車=白、4号車(バイク)=桃となっていた。第71回(1995年 )以前は1号車=黄、2号車=桃、3号車=青緑であった。
^ 2006年に東京国際マラソン 、横浜国際女子駅伝 、札幌国際ハーフマラソン 、24時間テレビ チャリティーマラソンにおいて使用実績あり。青森県民駅伝競走大会 では更新後も2007年 まで標準画質で運用。
^ 2005年(第81回大会)から2017年(第93回大会)まで使用された。
^ 2021年(第97回)は前述の「応援したいから、応援にいかない。」のキャッチコピーに合わせて完全赤色のロゴも使用している。
^ クロスネットでありNNSに加盟していない(NNNには加盟している)テレビ宮崎 は含まれない。
^ 2013年以降の『箱根駅伝 絆の物語&スタート直前生情報』・『箱根駅伝 往路ダイジェスト&復路直前生情報』。
^ 第83回(2007年 )までの往路は深夜にダイジェストを放送。第84回(2008年 )から第90回(2014年 )の往路は12:00飛び乗り。第91回(2015年 )・第92回(2016年 )の往路は9:00飛び乗り。第86回(2010年 )と第87回(2011年 )の復路は7:00 - 8:00に『ボクらの時代 新春SP』を放送したため8:00飛び乗り。
^ ただし、字幕放送・連動データ放送には対応していない。
^ 設楽悠太 も出演予定だったが、体調不良のため欠席となった。
^ 第90回(2013年)は9:30 - 11:25。
^ 特に『ZIP! 』や『スッキリ 』、『news every. 』といった生番組の放送がなくなり当該時間帯がローカルセールス枠になる時期に集中している。
^ 青森放送 の場合、2014年は12月26日15時50分から、2015年は12月30日14時05分から、2016年は12月31日17時30分からそれぞれ放送。
^ BS日テレでは絨毯の上にカラー表示(冠筆頭・サッポロビールはバナー表示)を行う局独自の方式になっている。
^ 但し、テロップ類は独自のもの。
^ 本番のゴール地点は東京・大手町の「読売新聞(旧)東京本社前」だが、映画でのゴール地点は設定上は大手町だが、実際は大手町ではない。
^ 本番の大会では「移動中継車1号車」からの中継を担当。
出典
外部リンク
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