Share to: share facebook share twitter share wa share telegram print page

 

今夜は最高!

今夜は最高!
WHAT A FANTASTIC NIGHT
当番組の収録が行われた
日本テレビ旧本社東京都麹町
ジャンル トーク番組 / コントバラエティ番組
演出 矢野義幸、須沼望、棚次隆
監修 和田誠(タイトルアドバイザー)
出演者 タモリ
土居甫
九十九一
久本雅美
柴田理恵
渡辺信子
鈴木“コルゲン”宏昌
中村誠一
松木恒秀
岡沢章
渡嘉敷祐一
ほか
エンディング星に願いを
(When You Wish upon a Star)
製作
製作総指揮 中村公一(前期)、原薫太郎(後期)
プロデューサー 五歩一勇(前 - 中期)
棚次隆(後期)
制作 日本テレビ
放送
音声形式ステレオ放送
放送国・地域日本の旗 日本
第1期
放送期間1981年4月4日 - 1982年4月3日
放送時間土曜日 23:00 - 23:30
放送分30分
第2期
放送期間1982年9月4日 - 1989年10月7日
放送時間同上
放送分同上分
回数全413

特記事項:
スポンサーパイオニア一社提供番組
テンプレートを表示

今夜は最高!』(こんやはさいこう! / 副題:WHAT A FANTASTIC NIGHT)は、日本テレビ系列局1981年4月4日から1982年4月3日(第1期)、および1982年9月4日から1989年10月7日(第2期)まで毎週土曜日の23:00 - 23:30(JST)に放送されていた、タモリ司会を務めた、トークコントバラエティ番組ステレオ放送文字多重放送を実施していた。スポンサーパイオニア一社提供番組。

概要

毎回、多彩なゲスト1人とそのゲストに関係する女性パートナーゲストを1人呼び(パートナーが2人だった事が2回だけある)、メイン司会のタモリとのトークやコントミュージカル、生歌・演奏などを織り交ぜた番組内容で放送が行われていた[1]。最終回までに出演したゲスト総数は302人、パートナー総数は173人を数えた。

番組前半は、タモリとゲストらによるオープニングコントとトークコーナー、後半では長尺のコントが行われた。クライマックスでは、タモリ自らが、トランペットフルートで伴奏(「コルゲン」鈴木宏昌率いるザ・プレイヤーズの演奏が主体)に加わってゲストが歌うコーナーがあった。そして、歌い終えた後にパートナーの「ところで○○さん、今のご気分は?」を受けて、ゲストが「今夜は最高!」と答えるのを例とした。

オープニングは、マンハッタンの夜景をイメージしたセットが作られ、建物の間からタモリ自ら顔を覗き出す演出が行われていた。これらは「タイトル撮り」と呼ばれ、毎回スタジオ内で撮影されVTR収録を行っていた。番組末期となる1989年3月からは「タイトル撮り」の部分を含めたオープニングがCGを使用したものに変更された。

愛染恭子の出演回では、彼女が全身金粉塗れのヌード姿で登場し、ダンスなどを披露した。また、メイン司会のタモリの名キャラクターのひとつ「大魔神子」は当番組で誕生した。これを気に入った、中村吉右衛門は、ゲスト出演の際に自ら「大魔神子」に扮し、持ち歌の「恋の大魔神」を歌うといったサプライズもあった。

第1期の視聴率は平均12%(ビデオリサーチ、関東地方)を記録し人気番組となっていた[2]1982年4月10日から8月28日までの半年間は当番組の放送を一時中断[注釈 1]。その間は穴埋め番組として、女優の桃井かおりコーラス・グループダークダックスによる同趣向のバラエティ番組『日曜はダメ!!』が放送されていた。

番組構成は、タモリと交友が深い高平哲郎が担当していた。タモリ以外のレギュラー出演者には、九十九一や番組中盤から参加した久本雅美柴田理恵渡辺信子らのWAHAHA本舗メンバーらがいる。中村誠一をはじめ、伴奏の担当ミュージシャンもコントのコーナーに多数登場した。バンマスの鈴木宏昌はもちろん、スタジオミュージシャンとして有名な松木恒秀岡沢章渡嘉敷祐一がコントをするという、普通では見られない姿が流れていた。

タモリと女性パートナーの2人で男性ゲストを迎える形だが、パートナーは基本的に2週毎に交代する(稀に1週交代の時もあった)。トークコーナーではタモリと女性パートナーが男性ゲストを挟む形に座る事が多かった。ゲストは300回記念などのスペシャル版を除けば毎週変更され、女性ゲストだった回(沢たまき、戸川純、松金よね子、田中裕子)やゲスト無しの回(1981年9月5日、1983年1月29日・9月24日、1988年1月2日)もあった。

番組の撮影と収録は麹町・日本テレビの「Gスタジオ」で主に行われていた。各回の収録は木曜日から土曜日[注釈 2]までの最低3日間はかかっていて、タモリによると週4日かかっていた事も多かった。

当番組では、タモリがサングラスを取る姿は珍しくなかった。女装やモノマネでは、素顔、普通のメガネ顔、かつてのアイパッチ姿の名残のある片方のみのサングラスメガネなど、サングラス無しの顔が頻繁に見られた。

斎藤晴彦和田アキ子がゲストの1985年2月9日放送分の「オペラ昭和任侠伝」が、同年の民間放送連盟賞のテレビ娯楽番組部門最優秀賞を受賞した(後述)。

当番組には芸能人だけではなく、当時タモリのマネージャーをしていた田辺エージェンシーの前田猛やフジテレビの社員である横澤彪三宅恵介小林豊(当時の『森田一義アワー 笑っていいとも!』スタッフ)といった裏方の人物も度々当番組にゲスト参加していた。

こうした内容が大人の視聴者層から人気を呼び、全盛期の1986年には年間平均視聴率が14%台に達し、20%を超えることも度々あった[3]

前述の通り、当番組はパイオニア一社提供で放送された。パイオニアは、それまで山城新伍芳村真理が司会を務めた『金曜娯楽館』(金曜22時)のスポンサーを務めていたが、当番組枠を移動し、『夜も一生けんめい。』まで10年以上土曜23時枠の一社提供スポンサーを務めた。提供の読み上げ[注釈 3]は、後期に入るまで松永二三男(当時日本テレビアナウンサー)が担当していた。

尚、日本テレビに於ける本放送時の放送マザーは、番組開始当初は2吋スーパーハイバンドVTRで1983年頃から1吋CタイプVTRに切り替わりステレオMAが施された完パケが使用された。

横浜市放送ライブラリーには、4回分が収集保存されている[注釈 4]

出演者

司会

レギュラー

ほか

番組記録

出演回数が多かったゲスト

順位 ゲスト 出演回数 備考
第1位 所ジョージ 17回出演 最多出演
第2位 竹下景子 14回出演 女性最多出演
第1、2回のパートナーとしての出演者でもある。
第3位 たこ八郎斎藤晴彦 13回出演
第5位 谷啓 11回出演
第6位 小松政夫 10回出演

最年長・最年少ゲスト

ゲスト 誕生年
最年長 服部良一 明治40年(1907年)
最年少 喜多嶋舞 昭和47年(1972年)

オペラ昭和任侠伝

1985年2月9日に放送された(ゲストは斎藤晴彦和田アキ子)「昭和残侠伝シリーズ」のパロディコント。ヤクザ映画をクラシックオペラ風にし、ほんのわずかだが当時「トルコ風呂」を「ソープランド」と改称する騒動をトルコ行進曲のメロディに乗せて揶揄する風刺等が評価され、昭和60年度民間放送連盟賞、テレビ娯楽番組部門最優秀賞受賞をした。最優秀に限定すればテレビドラマドキュメンタリーが獲得する傾向の同賞において、一介のバラエティコントが受賞するのは非常に珍しく一際異彩を放っている。これを記念して、1985年末の12月28日には再放送も行われた。

因みにクラッシックオペラは業界ウケも良かった様で、斎藤本人が出演したモノなどTV-CMが何本か作られており、翌年の今夜は最高でジャズバージョン(桃太郎)をした際のゲスト出演した斎藤晴彦に対してタモリから「CMで忙しくなったね」とツッコミを入れられていた。

流れ者のやくざ斎藤秀次郎(斎藤)は兄弟分の東雲組親分下河原重蔵(タモリ)を尋ね客人となる。東雲組の縄張りはかつて緋牡丹のお竜(和田)の父の物で一人前になったお竜がいつまでも居座る東雲組に手を引いてもらおうと交渉する中、秀次郎はお竜に「重蔵は信用してはならない」と説得する[4]

モダンジャズオペラ桃太郎昭和任侠伝

オペラ昭和任侠伝が好評だった事もあり、1986年3月1日にジャズバージョンとして第二弾が放送された。ゲストは団しん也マリーンだが、斎藤晴彦も特別ゲストで出演している。

出演者(配役)

  • マリーン(桃太郎)
  • 団しん也(お爺さん•サル)
  • タモリ(お婆さん•キジ)
  • 中村誠一(イヌ)
  • 斎藤晴彦(赤鬼)

使用曲

  • Now‘s The Time
  • Lotus Blossm
  • Milestones
  • Misterioso
  • Blue Monk
  • Sister Saide
  • Waltz ForDebby

(タモリバイオリン模技、団フルート模技)

  • 危険な関係のブルース

(タモリドラム模技、団ベース模技)

  • Blues March
  • Doxy
  • Five Spots AfterDark
  • Cleopatra‘s Dream

秋田県に伝わります、豊作を願うキジの舞〜!

  • Comin‘ Home Baby
  • 処女航海
  • Donna Lee
  • Cherokee
  • Fables of Faubus
  • Round Midnight
  • Momen‘t Notice
  • St.Thomas

合計13分03秒の作品。

ひばりスペシャル

美空ひばりがパートナーとなった放送回(1987年4月11日18日放送分)の4月18日放送回を『ひばりスペシャル!』と題して、坂上二郎団しん也斎藤晴彦所ジョージ原田芳雄小林完吾和田誠チャンバラトリオなど男性ゲストと和田アキ子平野レミの女性ゲストが出演して放送された(4月11日放送回はゲスト原田芳雄とパートナー美空ひばりという通常スタンスで作成されてはいた)。 ひばりスペシャルにも「大魔神子」が登場したが、所属レコード会社がコロムビアだったりと、美空ひばりへの気遣いも見られた。 タモリが恐縮していたが、ひばり本人は苦笑い状態だった。

その後のひばりの急逝に伴い、1989年6月24日放送分では、急遽『美空ひばり追悼』と題し、1987年4月11日・18日放送分を編集して再放送した。

ひばりは普段バラエティ番組には滅多に出演しなかったため、この出演回が後年に貴重映像として取り上げられるようになり、日本テレビでひばり特集が組まれると必ずと言っていい程、本番組での姿が流れる。

番組の終焉とその後

1989年春の改編でスタッフの大幅な入れ替えを実施。音楽担当の鈴木宏昌や振付の土居、WAHAHA本舗といったレギュラーメンバーも降板し、新たに音楽は佐橋俊彦、コントレギュラーには田口トモロヲ福原一臣が加入。オープニングもリニューアルされたが、裏番組『ねるとん紅鯨団』の影響で視聴率は伸び悩んだ。そして同年10月7日放送分で最終回を迎え、中断期間を含めて8年半・413回の歴史に幕を下ろした。タモリはまだ本番組を続けていくつもりであったものの、タモリの所属事務所の田辺エージェンシー側と日本テレビ、番組スポンサーのパイオニア側との間にトラブルが起こり、半ば仲違いをする形で番組は終了した[注釈 5]

本番組の終了後、タモリが日本テレビ系列のレギュラー番組を持つことはなく、日本テレビ系列の番組にも数える程度しか出演していない。 ただし、田辺エージェンシーは日本テレビおよび系列局に対する絶縁などの報復は行わず、所属タレントの出演は継続している。

スタッフ

  • 構成:高平哲郎
  • タイトルアドバイザー:和田誠
  • 音楽:鈴木宏昌(前期 - 中期)、佐橋俊彦(後期)
  • TD(テクニカルディレクター):佐藤公則、伊藤邦雄、鈴木康介、長谷部義夫、矢島敦
  • カメラ:佐藤公則、小林秀樹、折原博樹、松村興、坂東秀明、遠藤裕二
  • ロケ撮影:浅野一憲
  • 音声:小泉準之助、吾妻光良、新開宏、原泰造、一ノ瀬健次、新名大作、小笠原主悦、斉藤勝彦、坂本親保、鳥飼弘昌
  • 照明:渡辺一成、尾上勝男
  • 調整:笠井高明、北村嘉明、北村正憲、黒木忠雄、斉藤智徳、坂本誠二、関根義則、牧野和侑、鈴木利之
  • MA(マルチオーディオ):青木伸次、吉田秀明、東里聡、目黒達朗、国末光敏、宮沢金一、松村輿、山宮広己
  • レコーディング・ミキサー:石野和男
  • SW(スイッチャー):長谷部義夫、矢島敦、進藤裕二、八村耕治
  • オーディオ・コーディネーター:島飼弘昌
  • 編集:八木義則、秋山朋芳、小野寺博、吉本浩、曽根幸夫、山宮革
  • 音効:小川彦一
  • 美術:山浦俊夫、渡辺俊孝
  • デザイン:田原英二、道勧英樹
  • 装置•大道具:石橋豊、細川敬一
  • 装飾•小道具:藤間広美
  • 持道具:横井靖人
  • 電飾:梅沢修
  • ヘアメイク:伊藤敬、大古ひろみ、橋本直枝、広田千秋、町田初江、田中親、ヤックメイクアップアカデミー
  • ヘアー:谷口愛子
  • 結髪:大下保、大橋京子
  • メイク:橋本直枝(タモリ担当)
  • スタイリスト:埴原良子、菅沢ひろみ、菅野由美子、矢野悦子(タモリ担当)、篠島範華(タモリ担当)
  • 衣装:菊池廣雄、八田嶺夫、樋口唱平
  • デザイン:田原英二
  • 殺陣:武田浩
  • スチール:金沢栄一
  • デスク:後藤槙子
  • PR:行木則雄
  • ボイス・ボーカル・トレーナー:古賀義弥、大本恭敬
  • 振り付け:土居甫
  • 協力:帆足敏
  • 演出:矢野義幸、木島隆、須沼望、棚次隆
  • ディレクター:棚次隆(末期ではプロデューサー兼任)、矢野義幸、須沼望、佐藤健二郎、古野千秋
  • プロデューサー:五歩一勇(前期 - 中期)、棚次隆(後期)
  • 制作:中村公一、原薫太郎
  • 音楽協力:CMC[要曖昧さ回避]、ミュージック・ランド
  • 制作協力:田辺エージェンシー
  • 製作著作:日本テレビ

放送時間・ネット局

  • 1981年4月4日 - 1982年4月3日(第1期)、1982年9月4日 - 1989年10月7日(第2期)
  • 毎週土曜日 23:00 - 23:30(JST
    • なお、週末の日本テレビという事もあり、19:00 - 20:54(JST)のプロ野球中継が最大30分延長放送される事も多くなり、プロ野球シーズン中は23:30から放送される事も少なくなかった。
    • 上記の通りパイオニアの1社提供番組であったため、日本テレビ系列が所在しないエリアや当時他系列とのクロスネット局が所在したエリアでも当番組をネットする地域が多かったが、同時ネットで放送されていた地域ばかりではなく、日本テレビ系列局でも当該時間に他系列の番組を編成したため遅れネットとした地域もあった。
    • 秋田放送では土曜日深夜→金曜日23:50(第2期開始当初)→火曜日23:55(第2期末期)[5]から、青森放送テレビ岩手(第2期の途中まで[6])・山形放送[7]・FNS系列の石川テレビ等では日曜日23:00から放送。南海放送では、火曜日深夜に放送されていた。四国放送はネットを行わなかった[8]。一方で、テレビ信州テレビ宮崎鹿児島テレビ(1986年4月以降同時ネット) • 沖縄テレビでは、日本テレビと同じく土曜日23:00から放送されていた。

特別企画・姉妹番組

タモリの素晴らしき今夜は最低の仲間達

1981年8月23日に第4回『24時間テレビ』の深夜の1コーナーにて日本青年館から中継された企画。タモリと赤塚不二夫によるショートコントやアルフィー所ジョージのライブコーナーが行われた。 放送時間が完全な深夜帯だった事もあり、最初は通常のショートコントが行われていたが、途中から徐々に内容が加速して“金粉ショー”等の超密室芸が行われていた。コントのタイトルを紹介する進行役は中原理恵

当日は台風直撃だった事もあり客席はほとんど空席状態。急遽、ステージ上にひな壇を設置して来客全員に移動させたが、それでもひな壇に空きがあったので、本番時はスタッフも座ってひな壇を埋めた。

終了後、始発電車までの時間に映画『リンゴ・スターおかしなおかしな石器人』が上映された。

なお、あまりにもチャリティーにそぐわない内容であったため、この企画を担当した棚次隆ディレクターは次の年から24時間テレビの制作から外されている[注釈 6]

最高一座 狂奏 旗揚げ公演!

1982年8月22日午前1〜3時に『24時間テレビ「愛は地球を救う」5』にて日本青年館から中継された企画。

前半は新撰組をベースにしたお笑い時代劇「大笑い!東海道は日本晴れ」。後半は坂田明SEXTETとTHE PLAYERSをメインにジャズ演奏。さらに、所ジョージの演奏を挟んで再度「Night Train」のジャズ演奏、その終盤に谷啓のギャグ「ガチョーン」を入れた後、前半の時代劇も含めた出演者の全員が舞台上に集まり、狂気のごとく大騒ぎして中継が終了。

24時間テレビにおけるタモリの出演はこの年が最後となっている。

主な出演者(役名)

納涼ダンサーズ(茶摘み女達)

•ゆかり(巡礼女)、ひろみ(百姓娘)、由美めぐみ(鳥追女)

ミュージシャン(楽器)

  • タモリ(tp)
  • 谷啓(tb)
  • 最高ガールズ

旗揚げオーケストラ(三味線•和太鼓•ラテン•チャンチキ)

今夜は営業中!

番組終了から10年になる1999年9月18日に、タモリが木村拓哉らと共演したスペシャルドラマ『今夜は営業中![注釈 7]が放送され、当日がかつての放送枠である土曜夜など当番組をかなり意識したような作りとなった。

タモリ教授のハテナの殿堂?

日本テレビ開局55周年を記念して、『タモリ教授のハテナの殿堂?』が、2008年11月29日 21:00 - 23:18 (JST) に放送された特別番組。日本テレビ系列の番組出演は、前述のドラマ『今夜は営業中!』以来約9年ぶりである。

当番組のエンディングで、研究員のゲストで出演していた、新垣結衣が「今のご気分は?」と問い、タモリが「今夜は最高!」と答えるという嘗て『今夜は最高!』で恒例の掛け合いが復活。流れていたBGMも『今夜は最高!』と同じ『星に願いを(When You Wish upon a Star)』であり、このエンディング場面が放送された時間も『今夜は最高!』と同様に土曜日23時枠であった。

関連書籍

  • タモリ『今夜は最高!』(日本テレビ放送網、1982年)
  • タモリ『今夜は最高! part2』(日本テレビ放送網、1982年)
  • タモリ『今夜は最高! part3』(日本テレビ放送網、1982年)
  • タモリ『新・今夜は最高!』(日本テレビ放送網、1983年1月)
  • タモリ『新・今夜は最高! part2』(ISBN 9-8334-2112-1)(日本テレビ放送網、1983年3月)
  • タモリ『コレが、今夜は最高だ!?』(日本テレビ放送網、1983年4月)
  • タモリ『新・新今夜は最高!』(日本テレビ放送網、1983年12月)
  • タモリ『新・新今夜は最高! part2』 (ISBN 9-8400-4392-7)(日本テレビ放送網、1984年2月)

脚注

注釈

  1. ^ メイン司会のタモリが1982年4月からテレビ朝日系列局で放送された音楽番組『夢のビッグスタジオ』の司会に起用されたことによるもの。また、同時期に全国ツアー「ラジカル・ヒステリー・ツアー」が実施されてスケジュールの確保が難しくなった理由もある。プロデューサーの五歩一勇は「番組一本作るのにスタッフは一週間かかりっきりなので休みが取れず疲労が溜まっている。これはタモリさんを含めたスタッフの休養」ということを話している[2]
  2. ^ 木曜・金曜の場合は『笑っていいとも!』の生放送が終わった後の14時から収録を始め、1987年4月からの金曜収録分は『ミュージックステーション』の生放送のため、タモリが居ない時間帯にタモリが出ないシーンの収録を行っていた。
  3. ^ 提供読みは「この番組は、音と光の未来をひらく、パイオニア(開始当初は“世界のステレオ、パイオニア”)の提供でお送りします(しました)」だった。
  4. ^ 第1回(パートナー:竹下景子・ゲスト:浅井慎平)、第185回(パートナー:五十嵐まゆみ・ゲスト:高島忠夫)、第235回(パートナー:美空ひばり・ゲスト:原田芳雄)、最終回。
  5. ^ しかし高平哲郎はこれを否定しており、3者の間に一体何があったかはわからないとしている。
  6. ^ 2003年8月2日に放送された開局50周年特別番組『ダウンタウンのバラエティ50年史』によると、同様にチャリティーにそぐわない内容のコーナーを担当したことから、以後24時間テレビに関与されなくなったのは菅賢治土屋敏男の両名であると明かされている(当企画ディレクターは「T次」と紹介)。
  7. ^ 元ネタは、この年の夏までステーションキャッチコピーで使われた「日テレ営業中!」。

出典

  1. ^ 「テレ・ばらえてい」『婦人生活』第39巻第3号、婦人生活社、1985年3月1日、106 - 107頁、NDLJP:2324847/106 
  2. ^ a b 週刊TVガイド 1982年2月26日号 p.22「REPORT・人気番組『今夜は最高!』三月いっぱいで終了!」
  3. ^ 1989年9月1日読売新聞夕刊「バラエティー「オレたちひょうきん族」と「今夜は最高!」が消える」
  4. ^ オペラ昭和任侠伝
  5. ^ 東奥日報』1982年9月と10月及び1989年7月と8月付け朝刊ABSテレビ欄
  6. ^ 『デーリー東北』1983年3月付及び1989年3月付と『東奥日報』1983年5月付の各テレビ岩手テレビ欄。なお、テレビ岩手では、第1期は未ネット。(『デーリー東北』1981年10月付及び1982年3月付の各テレビ岩手テレビ欄)
  7. ^ 山形新聞』1989年3月26日付朝刊テレビ欄。
  8. ^ 週刊TVガイド岡山・四国版1986年1月18日 - 24日号

参考文献

日本テレビ系列 土曜23時台
前番組 番組名 次番組
今夜は最高!
【第1期】
日曜はダメ!!
今夜は最高!
【第2期】
Kembali kehalaman sebelumnya