鹿児島県
鹿児島県(かごしまけん)は、日本の九州地方に位置する県。県庁所在地は鹿児島市。 概要令制国の薩摩国と大隅国に該当するが、824年まで多禰国、1581年まで肥後国、1872年まで日向国、1879年まで琉球国[注釈 2]、1897年まで日向国だった地域もある。 島津家が藩主を務めていた薩摩藩は、幕末期には長州藩(現在の山口県)とともに薩長同盟を締結して明治維新に大きく貢献した。そのため、西郷隆盛や大久保利通、松方正義、五代友厚など政財界の要人を多数輩出した。 霧島山、桜島、種子島宇宙センター、世界自然遺産の屋久島、奄美大島や徳之島などがあり、自然・文化・観光・産業などの面において、豊富な資源を有している。県庁所在地の鹿児島市は南九州地方の中心都市として栄えている。 名称鹿児島神宮(霧島市隼人町)に由来する。「鹿児島」の語源は、天津日高彦穂々出見尊(山幸彦)が海神宮(わたつみ)に行く際に乗った舟が鹿児山で作られたという説や、「神籠もる島」という説、「カゴ」は崖という意味で、四方が崖に囲まれている桜島は「カゴ島」と謂われ、鹿児島は桜島の古い名であるという説、など諸説ある。 現在鹿児島市と鹿児島神宮は離れているが、鹿児島郡設置当初は天降川までが鹿児島郡内であった。 小惑星(4703) Kagoshimaは鹿児島に因んで命名された[2]。 地理・地域離島には天草諸島の一部(長島列島)、甑島列島、宇治群島、草垣群島、薩南諸島(大隅諸島・吐噶喇列島・奄美群島)などがあり、鹿児島湾内・志布志湾内にもある。離島の数は1,256に上り、長崎県・北海道に次ぐ全国3位。うち有人離島の数は28で、離島人口は全国1位である。 東端は志布志町内之倉、南端かつ西端は与論島、北端は蜂ノ島で、南北約600km、東西約270kmにわたる。海岸線延長は2,643kmに及び、北海道・長崎県に次ぐ全国3位。本土・島嶼部を合わせた県域全体の面積は 9,187 km2 で、全国10位、岐阜県を東日本とみなせば西日本で最大となる。 本土は、霧島山を除けば大部分はシラス台地の地質からなっており、水はけがよく非常に脆い。また、低地や平野が極端に少ないために、県内のほとんどの市町は周囲が山に囲まれている。それ故に各市町は本土の各地に点々と散らばっている。 古くから活火山として知られる桜島をはじめ、噴火活動の頻度の高い火山が多くある。温泉の数も多く、泉源数は約2,730で、大分県に次ぐ全国2位で、県内の入浴施設のほとんどが温泉である。 地形気候北端の蜂ノ島のすぐ南に獅子島が位置しており、無人島を除いても南北の距離は約600kmに及び、緯度も5度以上異なる。本土北部の大口盆地のような積雪地域もあれば、奄美群島のような亜熱帯地域も存在する。鹿児島地方気象台のほかに名瀬測候所が設置されており、吐噶喇列島と奄美群島が「奄美地方」、県内の他の地域と宮崎県が「九州南部」と季節予報区分が異なる[3]。 鹿児島県本土は冬は温暖で、夏は日照時間も多いが降水量は多い。真夏日は長い期間続くが、猛暑日はそれほど多くなく、県内の最高気温記録は肝付町肝付前田の38.5℃で、沖縄県、宮城県、神奈川県に次いで低い。南国のイメージが強いが、薩摩半島は東シナ海に面するため、大陸からの寒気の影響を受けやすく、冬は厳しい寒さとなることがある。冬節風の風向次第では多量の雪雲が供給されるため鹿児島市の中心部でも積雪に見舞われることがあり、2011年1月1日には鹿児島市内でも25cmの積雪を観測するなど、九州の県庁所在地の中で最も積雪する回数が多い。また、屋久島の山岳部では毎年のように積雪があり、種子島・屋久島の平野部でもごく稀に降雪するため、積雪観測地では日本最南端である。また、1901年2月12日及び2016年には奄美市名瀬で降雪が観測されたことがある。2005年3月に奄美大島の山地での積雪が写真家によって確認されるなど、標高の高いところでは近年でもまれに降雪や積雪が見られるが、気象台や測候所での観測ではないため、公式記録とはならない。 夏から秋にかけては台風の影響を受ける。特に薩南諸島(大隅諸島・吐噶喇列島・奄美群島)には多くの台風が接近しており、専門家から『日本有数の台風銀座の鹿児島県』と言われている。1951年(昭和26年)以降の台風上陸数が日本一の県であり[4][注釈 6]、その中には日本列島に大被害をもたらした「枕崎台風」「ルース台風」「洞爺丸台風」「台風13号(1993年)」「台風16号(2004年)」などがある。
自然公園
世界遺産自然遺産文化遺産ラムサール条約登録地域地域区分以下の19市8郡20町4村がある。町はすべて「ちょう」、村は鹿児島郡2村が「むら」、大島郡2村が「そん」という読み方である。◎印は中核市、☆は地域中核都市である。これは鹿児島県が指定した人口10万人以上の市で、施行時特例市・中核市並の権限を委譲されている。 以下、7つの地域振興局ごとに市町村を記述する。 鹿児島地域カラー: 鹿児島地域は、薩摩半島の中央部に位置する3市と、薩摩半島の南西に位置する三島村、屋久島と奄美大島の間に7つの有人離島が点在する十島村からなり、南北300kmの広がりを有している。3市は、東側に桜島、錦江湾を望み、西側には日本三大砂丘の一つで白砂青松の吹上浜によって東シナ海に面しており、それぞれの地域は国立公園、県立自然公園に指定されている。三島村黒島、十島村宝島には、国指定天然記念物の森林植物群落があるほか、渡瀬線で区分される亜熱帯と温帯の生物群が見られる。また、日常的に噴煙を上げる桜島、諏訪之瀬島をはじめ5つの活火山が存在するとともに、多様で豊富な温泉資源に恵まれているほか、桜島・錦江湾や三島村・鬼界カルデラの2つのジオパークが日本ジオパークとして認定されている。 県都鹿児島市を擁し、商業、文化、アミューズメント機能、オフィス、官公庁などの様々な都市機能が集積し、人・モノ・情報の交流拠点として重要に役割を担っている。また、北部九州や関西圏との時間的距離を格段に短縮した九州新幹線をはじめ、九州縦貫自動車道、南九州西回り自動車道などの高速交通網、離島航路の発着機能を持つ鹿児島港が整備されているとともに、国際線を有する鹿児島空港と短時間で結ばれるなど、陸・海・空の交通結節点としての機能を備えている。 南薩地域カラー: 南薩地域は、吹上浜砂丘、坊・野間のリアス式海岸、開聞岳、池田湖、天然砂むし温泉など豊かな自然環境に恵まれている。 また、篤姫ゆかりの今和泉、知覧の武家屋敷群や特攻平和会館、秋目の鑑真記念館などの歴史的資源や川辺仏壇などの伝統工芸品、かつお節、お茶などの特産品があり、指宿菜の花マラソン、川辺二日市、吹上浜砂の祭典や枕崎港まつりなどの個性豊かな多彩なイベントが行われている。 北薩地域カラー: 北薩地域は、県北西部に位置しており、九州三大河川の一つである川内川が流れ、陸繋島や陸繋砂州、潟湖など珍しい地形の見られる甑島をはじめとする島々、東シナ海に面した美しい海岸線やラムサール条約に登録された藺牟田池など豊かな自然に恵まれている。このほか、出水平野に飛来する鶴や奧薩摩のホタル、出水麓や入来の武家屋敷群、ブリやタケノコといった食材などが全国的に高い評価を受けている。 また、2011年春には九州新幹線が全線開業し、肥薩おれんじ鉄道の活用と併せて、観光客の増加が期待されている。 →「北薩」も参照
姶良・伊佐地域カラー: 姶良・伊佐地域は、霧島山系をはじめとする景勝地や温泉、肥薩線を中心とする近代化産業遺産群など優れた自然や観光資源に恵まれている。 地域のほぼ中央に鹿児島空港が位置し、九州縦貫自動車道、東九州自動車道などの高速道路や日豊本線、肥薩線、吉都線などの鉄道が走る交通の要所でもあり、その利点を生かし、IT産業などの企業立地が進んでいる。 また、「霧島国際音楽ホール」、「霧島アートの森」、「上野原縄文の森」及び「県民の森」など特色ある文化・交流施設が数多く存在している。 大隅地域カラー: 大隅地域は、鹿屋市をはじめとする大隅半島の4市5町で、地域の面積は県全体の約23%を占めている。広大な土地、豊かな自然を活かした農林水産業が展開されており、農業生産額は県内の約4割を占めるなど、様々な食材に恵まれているほか、かのやばら園や本土最南端の佐多岬など観光資源として価値ある豊かな自然環境、景勝地を有している。 熊毛地域カラー: 熊毛地域は、種子島・屋久島とそれぞれの属島である馬毛島・口永良部島の4島からなっている。 種子島は、日本唯一の実用衛星打上げ基地を持つ宇宙への玄関口として、また日本で初めて鉄砲が伝来した歴史ある島として知られている。 屋久島は洋上アルプスと言われ、島の中央部には2000メートル近い山々がそびえたち、その自然のおりなす景観などが普遍的な価値を持つとして評価され、日本で初めて世界自然遺産登録がなされた島である。 大島地域大島地域は、奄美市及び大島郡(1市9町2村)からなり、地域内には、南北約400キロメートルに連なる、奄美大島、加計呂麻島、請島、与路島、喜界島、徳之島、沖永良部島、与論島の8つの有人島(奄美群島)がある。奄美群島は、奄美群島国立公園に属する景勝地をはじめ、輝く太陽のもとに広がるエメラルドグリーンの海、サンゴ礁の間を遊泳する色とりどりの熱帯魚、サンゴ礁が砕けてできた白い砂浜、特別天然記念物のアマミノクロウサギなどの希少な動植物、平均気温21℃前後の中で年間を通じて絶えることのない花々、ソテツ・アダン・ガジュマルなどの熱帯樹に囲まれた集落など、豊かな自然に恵まれた、亜熱帯の島々である。のような亜熱帯性・海洋性の優れた自然とともに、島口(方言)・島唄・八月踊り・六調踊りなどの伝統芸能や大島紬・黒糖焼酎さらには亜熱帯性の果物類など、個性的で多様な観光資源に恵まれている。 消滅した市町村→「鹿児島県の廃止市町村一覧」も参照
消滅した郡歴史→詳細は「鹿児島県の歴史」を参照
→奄美群島については「奄美群島の歴史」を参照
先史時代今から約2万4000年前、姶良カルデラが大爆発を起こした。この時噴出した火山灰を姶良Tn火山灰と呼ぶ。そのAT火山灰は、遠く北海道まで達している。南九州では入戸火砕流などによりシラス台地が出来上がった。 1924年(大正13年)に指宿市の橋牟礼川遺跡で縄文土器が初めて発見されている。約6300年前のアカホヤ火山灰層より下層が縄文時代とされた[7]。 種子島にある立切遺跡(たちきり、熊毛郡中種子町)の3万1000年前の火山灰層から、磨石(すりいし)・敲石(たたきいし)・礫群・焼土・土坑などが確認された。これらは後期旧石器人のキャンプ場と考えられている[8]。 旧石器時代遺跡が、2005年(平成17年)の時点で約40カ所発見されている[8]。約1万1000年前の掃除山遺跡(鹿児島市)、約1万2000年前の栫ノ原遺跡(南さつま市)、約9500年前の上野原遺跡(霧島市)など、日本国内最古級の定住集落跡が発見されている[7]。 古代古墳時代に入った4世紀末-5世紀前半には、肝属郡東串良町の唐仁大塚古墳(唐仁古墳群)や曽於郡大崎町の神領古墳群など、大隅半島の志布志湾周辺に畿内王権と結び付きの強い首長勢力が現れ、前方後円墳を築いた[7]。同時期の薩摩半島では、4世紀代に日本列島西南端の古墳として南さつま市に奥山古墳(円墳)が出現した。また5世紀後半には指宿市に日本最南端の古墳である弥次ヶ湯古墳(円墳)が出現した。なお、日本最南端の前方後円墳は、肝属郡肝付町の塚崎古墳群51号墳(花牟礼古墳)である。 また、この時代の鹿児島県内では、大隅半島を中心に分布する地下式横穴墓や、薩摩郡さつま町の別府原古墳群など北薩地域に分布する板石積石棺墓(地下式板石積石室墓)など、かつては「隼人の墓制[9][10]」と呼ばれたこともあった南九州地域独特の地下式墓制が出現した[7]。なおこれらの地下式墓制については、1990年代以降の鹿児島県内における古墳の調査成果と研究の進展により、飛鳥・奈良時代の史料に現れる隼人と古墳時代の考古資料とを直接結びつける考え方を疑問視する意見が強まり、今日では「隼人の墓」という捉え方はほとんどなされていない[11][12][13]。 飛鳥・奈良時代に入る7世紀末以降、薩摩・大隅地域の住民の一部は「隼人」と呼ばれた[14]。律令国家の成立とともに隼人は次第に中央の律令制に組み込まれていく事になる。朝廷は太宰府から兵を送り702年(大宝2年)には唱更国(後の薩摩国)を設置し、また豊前国から713年(和銅6年)設置の大隅国にも人民を送り、朝廷の支配体制に組み込もうとする。これに対し7世紀末から8世紀前期まで4つの大きな反乱があり、中でも最大の反乱は720年(養老4年)- 721年(同5年)の隼人の反乱であり、この結果ついに平定される事になる。平定後の隼人は、9世紀初頭まで朝廷に朝貢する形態となっていたが、それ以降班田収授法が本格的に施行される[7]。これらの時期と前後する7 - 8世紀ごろには、遣唐使船の行き来(南方航路)や、南島の島々(奄美、球美、信覚など)から朝廷への朝貢の動きもあった。 1026年(万寿3年)には大宰大監平季基が日向の都城に島津荘を初めて開墾したと伝わる[7]。薩摩・大隅にも進出し日本国内でも有数の大規模な荘園を開墾した。称・桓武平氏流の鎮西平氏や薩摩平氏、河邊氏が南九州を領する事となり国人化していく。 中世鎌倉時代の1185年(文治元年) 島津荘下司職に補任された島津忠久を祖とする島津氏が薩摩国・大隅国・日向国守護を独占するようになり、戦国時代期には戦国大名化した。また、島津氏が守護を務めた南九州の薩摩・大隅・日向のことを「三州」と称し、島津氏が戦国大名化した戦国期には「三州の太守」と称される事になる。ただし、大隅国と日向国の守護は比企能員の変に関与した疑いで早い時期に没収されており、更にに島津氏が県本土全域を支配するのは安土桃山時代に入ってからのことであり、三州に至っては1577年(天正5年)以降の10年程度に限られる。 中世には坊津、内之浦などが貿易港として中国、朝鮮、東南アジア地域との交易を盛んに行ったが、肥前(長崎県)などと同様に黒潮に乗って活動する倭寇の根拠地が南西諸島地域にあった。
近世
近現代
人口1955年(昭和30年)には200万人を超えていた人口は2023年に約156万人にまで減少した。合計特殊出生率は全国平均と比較してかなり高いがそれでも人口置換水準には届かないことや、社会減が続いていることで人口減少率は大きい。鹿児島市やその郊外地域にあたる姶良市などは人口減少が非常に緩慢だがその他の地域は概ね減少率が高く、一極集中の傾向が強まっている。
鹿児島県人口動態2024年9月1日現在、鹿児島県の人口は約153万人となっている。現在の人口は1928年(昭和3年)の人口水準、ピーク時の4分の3程度の規模である。鹿児島県の人口は1955年にピークを迎え当時は204万人を擁していたが、1975年には172万人まで減少した。その後は回復基調となり1985年に人口182万人で第二のピークを迎えたが、1985年以降は人口減少が長期に渡って続いている。
政治県政財政平成24年(2012年)度
平成23年(2011年)度
県内の施設
イメージキャラクター
国政国会→詳細は「衆議院小選挙区制選挙区一覧 § 鹿児島県」、および「鹿児島県選挙区」を参照
諸外国関連施設
自衛隊経済・産業産業
金融鹿児島県の指定金融機関は鹿児島銀行である。鹿児島市をはじめ県内の主な市も鹿児島銀行を指定金融機関としているが、県全体としては農業協同組合を指定金融機関としている市町村が多いのが他県ではあまり見られない特徴である[26]。 県内に拠点事業所のある企業工場鉱山
本店
県内に本社のある企業製造業
飲食店建設業金融業卸・小売業情報通信業
サービス(その他)交通・運輸業
教育生活・交通警察交通道路
鉄道県内の普通列車の本数は鹿児島市近郊[注釈 7]を除いて毎時1本以下となっている。
空港
港湾航路
バス医療・福祉→詳細は「Category:鹿児島県の医療機関」を参照
教育
マスメディア新聞遠隔地の離島を多く抱える県内環境から、鹿児島県で購読できる全国紙や県紙の南日本新聞は、発行日付のテレビ・ラジオ欄とともに、発行日の翌日付のテレビ・ラジオ欄も例外なく掲載されるのが特徴である。離島では現状でも鹿児島市(南日本)、福岡市、または北九州市(全国紙)から空輸か、船便輸送をする必要があるので、早くてその日の昼前後、遅くても夕方か翌朝に配達されることもよくある。なお、西日本新聞と西日本スポーツは2018年3月31日をもって宮崎・鹿児島両県での発行を終了した。 雑誌
テレビ局
鹿児島県内を放送対象地域とする民間放送局は4局あり、全社ともに鹿児島市に本社を置いている。テレビ東京系列 (TXN) の放送局は未開局だが、県内の民放各局でテレビ東京系列の番組が遅れネットで放送されている。 鹿児島市の紫原(むらさきばる)に親局を設置している(鹿児島親局テレビ・FM放送所を参照)。標高の低い場所に親局があるため電波の飛びが悪く、県内各地には1局あたり100前後の中継局がある。 民間放送においては全局通常時終夜放送を実施している。 区域外受信については、出水市・阿久根市・長島町を中心に熊本県の放送局を[注釈 8][28]、大隅半島を中心に宮崎県の放送局を[29]、沖永良部島・与論島では沖縄県の放送局を[注釈 9] 視聴することができる。 地上デジタル放送は2006年12月に鹿児島親局のみ放送を開始し、2007年10月に本土の主要地域、2008年に奄美地方の中継局も本放送を開始した。奄美地方の民放局の開局時期に関しては、中継局整備費用が4局で約29億円掛かる(中之島・名瀬・瀬戸内・徳之島・知名の5中継局だけでも約13億8,300万円)ことから、2007年3月初めまで整備時期が明らかにされていなかった。 地上波デジタル放送のリモコンキーIDは全国で唯一、東北地方の宮城県と全く同じ番号(系列が一致)であり、アナログテレビの親局チャンネルもFNN系列とNNN系列局を除き宮城県仙台市と同じ番号である。 ラジオ局
NHK・MBC のAMラジオ放送局(中波)はともに霧島市隼人町に送信所を設けている(隼人ラジオ放送所を参照)。MBCラジオとエフエム鹿児島は radiko を経由することで、地域判定により鹿児島県内とみなされる環境下でインターネット上でも聴取が可能である。 エフエム鹿児島の開局は1992年と九州のJFN系列局としては最後発であった。エフエム鹿児島は離島地域に中継局を設置しておらず、エフエムたつごう・エフエムうけんにおける一部番組の再送信を除けば、 インターネット配信(radikoなど)を利用しない限り同局を聴取することができない。 AMラジオ各局はFM補完中継局を設置している。MBCラジオの鹿児島局は周波数92.8MHzで2014年12月に免許を取得し[30][31] 2015年1月より本放送を開始した。2015年11月には阿久根・枕崎・鹿屋の各中継局も開局し、県本土のほぼ全域で受信できるようになった[32]。鹿児島・阿久根・枕崎・鹿屋局はワイドFM(90MHz超え)の帯域で送信しているが、2017年度に開局した蒲生・種子島局は従来のFMラジオ放送の帯域(90MHz以下)で送信している。NHK鹿児島放送局のラジオ第1放送・ラジオ第2放送は奄美地方および北薩地区でFM波による中継局を設置している(ラジオ第2放送は徳之島と与論の2局のみ)。NHKラジオのFM補完中継局はいずれも従来のFMラジオ放送の帯域で送信している(各局の周波数はNHK鹿児島放送局公式サイトを参照)。 AMラジオ(中波)では奄美地方・南薩地方を中心に沖縄県の放送局が、北薩地方を中心に熊本県・長崎県・福岡県の放送局が、大隅半島を中心に宮崎県の放送局が聴取可能である[28][33][34][35][36]。FMラジオ(VHF)では沖永良部島・与論島では沖縄県の放送局、北薩地方を中心に熊本県・長崎県の放送局、大隅半島を中心に宮崎県の放送局が聴取可能[37][38][注釈 10]。特にエフエム宮崎は鹿児島市を含めた県内の6割以上をカバーしている[39]。
1997年にフレンズFMが開局した後、2006年のFMかのや・きもつきの開局まで長らく1局体制が続いた。その後、2007年から2013年にかけて大隅半島や奄美大島、薩摩川内市、霧島市にも相次いで開局している。県内のコミュニティFM局のうち7局(大隅半島に4局、奄美大島に3局)は特定非営利活動法人(NPO法人)による運営である。FMぎんがも2011年の開局から2012年6月まではNPO法人が「FMさつま」として運営していた他、瀬戸内町もFMせとうち時代はNPO法人運営であった。 FMうけん、SOO Good FM、あいらびゅーFM、FMおおさきを除くコミュニティFM局はインターネット経由により日本国内で聴取することができる(FMたつごう、せとラジ、FMたるみずは自社番組のみ)[注釈 12]。なお、曽於市ではシティエフエム都城(宮崎県都城市のコミュニティFM)も聴取できる。 ケーブルテレビ
文化・スポーツ
言語・方言伝統的に話されてきた言語・方言は、トカラ列島以北と奄美群島とで大きく異なり、日本語の薩隅方言と、琉球諸語に属する奄美語に分かれる。 食文化→「Category:鹿児島県の食文化」も参照
→詳細は「薩摩料理」および「日本の郷土料理一覧 § 鹿児島県」を参照
伝統工芸
→詳細は「日本の伝統工芸品の一覧 § 鹿児島県」を参照
スポーツ→「Category:鹿児島県のスポーツチーム」も参照
観光→詳細は「鹿児島県の観光地」を参照
有形文化財建造物→詳細は「鹿児島県指定文化財一覧」を参照
名所・旧跡・観光スポット→詳細は「九州・沖縄地方の史跡一覧 § 鹿児島県」を参照
祭事→詳細は「Category:鹿児島県の祭り」を参照
対外関係姉妹都市などは以下の通り。
鹿児島県を舞台とした作品→詳細は「鹿児島県を舞台とした作品一覧」を参照
小説漫画ドラマアニメ
演劇
映画
ゲームモデルになった・登場した作品
人物→詳細は「鹿児島県出身の人物一覧」を参照
鹿児島県名誉県民鹿児島県名誉県民の称号は、2019年(平成31年)3月22日に制定された鹿児島県名誉県民条例(平成31年3月22日鹿児島県条例第2号)に基づき、「社会の発展に卓絶した功績があり、県民が誇りとしてひとしく敬愛する者」へ贈られる(条例第1条)[46]。対象者は「社会福祉の向上、文化の振興その他の社会の発展に大きく貢献した者で、県内に居住し、又は居住していたもの」であり、鹿児島県知事が鹿児島県議会の同意を得て選定することが定められている(条例第2条)[46]。
鹿児島県民栄誉表彰受賞者
脚注注釈
出典
参考文献
関連項目
外部リンク
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