国道333号
国道333号(こくどう333ごう)は、北海道旭川市から北見市に至る一般国道である。旭川市の起点から上川郡上川町までは国道39号と、そこから紋別市方面への分岐までは国道273号と重複する。 概要北海道中央部に位置する道北の中心地である旭川市の4条通・昭和通の交差点を起点に、東へ北見山地の北見峠を経て北見盆地へと抜け、北見市の国道39号に至る一般国道の路線である。起点側のルートは、国道39号と国道273号との重複区間となることから、上川郡上川町字上越から東が単独区間(実延長区間)となる。主な通過地は、旭川市、上川郡当麻町、同郡愛別町、同郡上川町字日東・上越、北見峠、紋別郡遠軽町白滝・丸瀬布・豊里・生田原水穂、常呂郡佐呂間町、北見市仁頃町・端野町である。北海道の国道愛称名による道路名は、北見峠を境に西側の上川町内が「上越(かみこし)国道」、東側の遠軽町から北見市までの間が「遠軽国道」の名が付けられている[1]。交通難所となる北見峠には、国道450号旭川紋別自動車道(上越白滝道路)が並行して、峠をトンネルで抜けており、冬季通行を可能としている[1]。このルートは、旭川 - 遠軽間がJR北海道石北本線とほぼ並行しており、明治時代にはじめて開削された中央道路(別名:囚人道路)のルートを踏襲する。本路線の南側で並行する一般国道で、石北峠を越えてゆく国道39号の迂回路としての役割も果たしている[1]。 路線データ一般国道の路線を指定する政令[2][注釈 1]に基づく起終点および重要な経過地は次のとおり。
歴史現行の道路法(昭和27年法律第180号)に基づく一般国道の路線として、1974年(昭和49年)11月12日政令第364号の公布によって第3次追加指定され、翌1975年(昭和50年)4月1日施行によって国道になった路線である。上川郡上川町上越 - 紋別郡遠軽町豊里は道道334号遠軽上川線の一部から、紋別郡遠軽町生田原水穂 - 北見市仁頃町は道道725号北見生田原線の一部から、北見市仁頃町 - 北見市端野町二区は道道618号仁頃端野線から昇格した。 現在の国道333号の道筋のルーツは、明治期の北海道開拓時代に開削された中央道路である。中央道路は、ロシアの南下政策に対抗すべく、軍事拠点である旭川から北見を経て、オホーツク海に面する網走までをつないだ国防のために建設された道路で、囚徒らの使役によって開削された[5]。1889年(明治22年)に約160 kmにわたる中央道路の仮道が、わずか60日で作られたという記録もある[5]。1891年(明治24年)春に本格的な工事が行われ、同年12月に北見峠を越える中央道路が開通している[6]。囚人たちへの強制労働は過酷を極め、逃亡者には刑罰も行われたことから200名以上の犠牲者を出し、その遺体は道端に埋められていったことから、北見市の国道333号の道路沿線には鎖塚とよばれる囚人たちの墓標跡が残存している[7]。中央道路開通後は、道の険しさから利用する者が少なく、次第に灌木が生い茂るほど荒廃していった[7]。(詳細は、「囚人道路」を参照) この道筋が初めて国道に指定されたのは1952年(昭和27年)のことで、当時は「一級国道39号」であったが、北見峠は改良もままならない状態であったといわれている[1]。のちに、北見峠の南に位置する石北峠に道路が開通すると、国道39号は石北峠経由のルートに付け替えられて、かつて中央道路だった旧道は移管されて道道に降格となる[1]。この道路が再び国道に再昇格となったのが1975年(昭和50年)のことで、「一般国道333号」に指定されて国による道路整備が再開された[1]。 国道333号に指定された当初は、北見峠、旭峠、ルクシ峠、端野峠の四つの峠を越えていた[8]。北見峠を除く三つの峠は道路改良によってトンネルが開通し、北見峠も一般国道の自動車専用道路で国道450号指定の旭川紋別自動車道(上越白滝道路)のトンネル開通によって、国道333号に平行した道路が通年通行を可能にした。佐呂間 - 北見間の端野峠越えの旧道は、1993年(平成5年)8月にトンネルが開通するまでダート区間が残されていた[8]。 年表路線状況別名
バイパス重複区間
道路施設トンネル
かつては旭トンネルや佐呂間トンネルがあったが、旧道化および廃道により当道から外れている。 道の駅
交通量平日24時間交通量(平成17年度道路交通センサス)
道路管理者国道39号、国道273号との重複区間は省略
地理通過する自治体交差する道路上川総合振興局
オホーツク総合振興局
峠
脚注注釈出典
参考文献
関連項目外部リンク |