国道49号
国道49号(こくどう49ごう)は、福島県いわき市から新潟県新潟市中央区に至る一般国道である。 概要福島県浜通りから新潟県下越地方に至り、太平洋側と日本海側を結ぶ連絡線の1つである。旧道はいわき市平市街地、バイパスは平郊外から発して、浜通りから中通りの郡山市、会津地方の会津若松市などへと福島県内の主要都市を連絡し、県境を鳥井峠で越えて新潟県下越地方に入ると、阿賀町津川地区からは阿賀野川に沿って東蒲原郡を通る。阿賀野市の安田、水原地区を経由し、京ヶ瀬地区北西部からは一部連続立体交差方式のバイパス区間(横雲・亀田バイパス)。新潟市江南区を経由して、新潟市中央区に至る。阿武隈高地以外の全線で磐越自動車道と並走する。 路線データ一般国道の路線を指定する政令[1][注釈 1]に基づく起終点および重要な経過地は次のとおり。
歴史国道制定以前江戸時代には、現在の福島県いわき市付近から中通り地方の郡山市付近までを結ぶ岩城街道[4](現在は磐城街道とも称される)、同県二本松市付近から会津地方の会津若松市付近を結ぶ二本松街道、また会津地方と新潟県を結ぶ越後街道が存在していた。これらの街道と現在の国道49号が経由する場所は異なる部分もあるが、それぞれの街道が現在の国道49号が経由する地域を連絡していた。 1879年(明治12年)10月、当時の陸羽街道から分岐(現在の福島県本宮市付近)して新潟県へと向かう道路が仮定県道の一等路線として指定された。その後、三島通庸の福島県令就任後、越後街道の区間は会津三方道路として重点的に改良された。また、1885年(明治18年)11月には磐城街道と呼ばれる区間も仮定県道の二等路線として指定された[5]。 国道制定以降1963年(昭和38年)4月に二級国道115号から一級国道49号に昇格し、平市(現いわき市)から内郷市(現いわき市)の区間が国(当時建設省、現国土交通省)の直轄となる。1966年(昭和41年)には郡山市内と新潟県北蒲原郡水原町(現阿賀野市)から新潟市の区間も国の直轄となり(後に1971年(昭和46年)には全線が指定区間となる)、東北地方建設局の磐城・郡山両国道工事事務所が福島県内を、北陸地方建設局の新潟国道工事事務所が新潟県内を担当し、改築事業に着手した。 だが、1967年(昭和42年)に発生した集中豪雨(羽越水害)では交通が寸断され、また冬は豪雪によって雪崩の危険を生じ、積雪時には不通となる険しい地形に位置するため、国道昇格と同時に新ルートの調査が始められ、阿賀野川の洪水、地滑り、雪崩の恐れがない地点を求めながら慎重に決定された。そして1971年(昭和46年)10月25日、福取トンネルの開通を以って会津若松から新潟間の第一次改築が完了し、現ルートによって全線が開通した。 1997年(平成9年)に磐越自動車道が全線開通するまでは福島と新潟を往来できる事実上唯一の幹線道路であった。しかし、ほとんどの区間が片側一車線であり現在でも朝夕の通勤時間帯は渋滞が激しい。阿賀町津川地区から三川地区にかけての区間では阿賀野川右岸沿いにJR磐越西線と併走しているが、この区間は断崖絶壁となっており、土砂災害が頻発している。特に1995年(平成7年)4月1日の新潟県北部地震においては、本尊岩トンネル付近で大規模な岩盤崩壊と土砂流出が発生する大きな被害が出た。当時の建設省ではこの区間の防災対策を重点的に行う「揚川改良」の事業を1978年度(昭和53年度)から実施してきたが、抜本対策として阿賀野川左岸側の山間部を経由するバイパス道路の整備に着手し、2013年(平成25年)3月30日全線供用開始した。 2010年(平成22年)12月25日 日本海側からの低気圧による大雪で福島県会津若松市から耶麻郡猪苗代町までの約22 キロメートル (km) と耶麻郡西会津町から河沼郡会津坂下町までの約12 kmの両区間で約300台ほどの車両が身動きがとれず立ち往生となった。 年表路線状況福島県いわき市の上矢田交差点を起点とする国道49号は、同交差点で国道6号常磐バイパスより分岐し、平バイパスとして整備された区間[6]を経て、いわき市郊外好間地区、三和地区へ至る。続いて平田村北部、郡山市田村地区を経由し同市中心部に至る。ここまでの区間の大部分は片側1車線で整備されており、中間部では阿武隈高地を横断するため、山間部を経由する区間も多い[7]。 その後、国道は郡山市中心部を経由するが、同市の市街地はバイパス等の迂回路が存在しない上、郡山警察署前交差点付近から桑野三丁目交差点まで片側一車線の対面通行の区間であるため渋滞が慢性化している。中心部を経由後、下亀田交差点で国道4号あさか野バイパスと立体交差し、同市喜久田地区に至る。この区間の前後は、片側2車線で整備されている。続いて、同市熱海地区、中山峠、猪苗代町を経由し会津若松市に至るが、この区間も大部分が片側1車線で整備されており、奥羽山脈の横断などを含むため、多数のカーブや坂道が存在している[7][8]。 その後、続いて経由する同市市街地も片側2車線区間があるが郊外型店舗が多く渋滞は激しい。このため会津若松市街地を通らない車両の大半は福島県道33号会津坂下河東線を経由している[注釈 6]。会津若松市街地を経由後、国道は湯川村、会津坂下町を経由して会津盆地を横断し、柳津町から西会津町、県境を経て新潟県阿賀町津川地区に至る。この区間の大部分は片側1車線で整備されており、会津坂下町以西では越後山脈などが経路上に存在しているため七折峠、藤峠、車峠、鳥井峠、さらには惣座峠と峠道が連続し、坂道、カーブの多い道路になっている[7]。 新潟県阿賀町津川地区からは、三川地区、阿賀野市に至るまで阿賀野川に近い土地を経由する。この区間も片側1車線が続くが、特に阿賀町の揚川ダム付近には道幅の狭い箇所・急カーブ・旧規格の狭いトンネル[9][10]があり、大型車同士のすれ違いが難しかった。このため津川バイパス途中の津川トンネル手前より道路改良事業「揚川改良[11]」を行い、2013年(平成25年)3月30日に供用開始した。その先、阿賀野市安田地区を経由し、阿賀野市中心部の水原地区へと至る。この水原地区も片側1車線で渋滞が慢性化しており、現道の南西側を経由して水原地区の市街地を迂回する阿賀野バイパスの建設が進められている[7][12]。 阿賀野市中心部からは、新潟市江南区を経由した後、同市中央区に至る。横雲バイパス、亀田バイパスなどがあり、国道7号、国道8号との交差点、紫竹山インターチェンジに至る亀田バイパスは全区間で4車線で整備されている。同ICから先は終点の栗ノ木橋交差点まで新潟市中心部を経由するが、国道7号、国道8号などとの重複区間で、栗ノ木バイパスとして6車線で整備されている[7]。 バイパス道路※旧国道115号時代のバイパス道路を含む。
別名
重複区間
道路施設橋梁
トンネル道の駅道路情報ラジオ放送区間
事前通行規制区間
交通量2005年度交通サンセス 平日の24時間交通量
地理通過する自治体交差する道路
主な峠
ギャラリー脚注注釈
出典
関連項目外部リンク |