国道166号
国道166号(こくどう166ごう)は、大阪府羽曳野市から三重県松阪市に至る一般国道である。 概要国道165号などとともに、紀伊半島の北部を東西に横断する国道路線のひとつ。大阪 - 奈良間の生駒山地を越える区間は竹内街道(竹ノ内街道)、紀伊山地北部の三重県内の区間は和歌山街道ともよばれる。 大阪 - 奈良区間において、阪和道美原JCTから伸びる南阪奈道路の羽曳野IC以東はバイパス(国道165号と重複)として作られている。橿原市四条町から葛城市東室間は以前は国道24号だったものが2005年(平成17年)4月に国道166号に変更になっている。 道幅が狭い区間が多く、羽曳野市内の近鉄古市駅から臥龍橋西詰付近と、大和高田市内の大中橋から旭北町国道165交点の2つの区間は西向き(終点→起点方向)の一方通行となっている[1]。そのため起点から終点方向へは自動車や原付による全線走破は不可能である[注釈 2]。また、一方通行でない区間でも道幅が狭い部分は多く、羽曳野市内の駒ヶ谷駅から上ノ太子駅間においては未整備区間が多く、民家の軒が張り出した路地のような狭路が続く。そのため「国道」でありながら、大・中型車の通行は不可能で「都市型酷道」と呼ばれる[1]。 路線データ一般国道の路線を指定する政令[2][注釈 3]に基づく起終点および重要な経過地は次のとおり。
歴史国道166号のなかでも奈良と大阪間の生駒山地を越える区間の道筋は、奈良県葛城市と大阪府堺市を結ぶ竹内街道のうち、葛城市 - 羽曳野市間を踏襲している[6][7]。『日本書紀』によれば、竹内街道は飛鳥時代の推古天皇21年(613年)に設置された道で、現在の一般国道の中でも「国(朝廷)が管理する道」という意味では最も古い道である[6][7]。 道路法(昭和27年法律第180号)に基づく二級国道として初回指定された路線のひとつである。1953年(昭和28年)の国道指定当初は、大和高田市から松阪市に至る路線として「二級国道166号大和高田松阪線」に指定された[8]。その後、1965年(昭和40年)4月の道路法改正により、一級国道・二級国道の区分が廃止されることとなり、「一般国道166号」となる。1975年(昭和50年)に大阪府道羽曳野太子線、大阪府道大和高田富田林線の一部、奈良県道大和高田富田林線を編入[9]し、羽曳野市から松阪市に至る路線として指定された[10]。 1975年の羽曳野 - 大和高田間の追加指定の経緯についてはっきりしていないが、一説には生駒山地の暗峠を越える国道308号(大阪 - 奈良)と同様に、自動車専用道路の南阪奈道路(堺 - 葛城)を一般国道のバイパス道路として建設するために、狭隘道路を改良することを名目にダミーとして竹内街道を国道に追加指定したものと推察されている[11]。 年表
路線状況全体的には、紀伊半島を横断するように大阪府羽曳野市と三重県松阪市とを東西に結ぶ道路である[13]。大阪・奈良の府県境にある竹内峠付近に、かつての旧街道が残されている[13]。奈良・三重県境の高見峠では、自動車通行に配慮したループ橋が設置されていて、この路線の起点付近を除いて全体的には自動車が走りやすい道路となっている[13]。 起点である大阪府羽曳野市の白鳥交差点には、国道166号の表記がある案内標識類は立てられていない[14]。白鳥交差点から国道に沿って東へ近鉄古市駅方面に進むと、古市駅近くの踏切で車両進入禁止になり、踏切を含む約130 m区間が東から西方向への車両一方通行規制である[7][14]。羽曳野市古市の国道166号は、道幅は狭く制限速度20 km/hに規制され、路上駐車も多いうえに道路の線形も悪く曲がりくねっており、都市型の「酷道」とよばれるほど自動車の走行には向いていない[15]。古市駅の踏切から近鉄南大阪線に沿って2駅隣の上ノ太子駅前まで、民家が密集する旧市街のなかを縫うように路地のような様相の竹内街道の経路を進み、約4 kmにわたり道幅が広くなったり狭くなったりを繰り返す[16]。 バイパス通称重複区間
道路施設道の駅地理酷道とされている竹ノ内街道沿いには、近鉄南大阪線が並走している[7]。竹ノ内街道の要衝として発展した上ノ太子駅周辺には、叡福寺、河内源氏や小野妹子の墓などの史跡が多い[17]。 通過する自治体交差する道路
※ 交差する場所の括弧書きは地名、それ以外は交差点名で表示 作成: 2010年3月10日 主な峠ギャラリー
脚注注釈
出典
参考文献
関連項目外部リンク
|