国道31号
国道31号(こくどう31ごう)は、広島県安芸郡海田町から呉市に至る一般国道である。 概要広島県安芸郡海田町を起点として国道2号の大正交差点より分岐して広島湾岸に沿って南下し、呉市本通二丁目の本通二丁目交差点で国道185号に接続する延長約35 kmの一般国道の路線で、主な通過地は、広島市安芸区、安芸郡坂町、呉市吉浦本町である。現道のほとんどの区間は、広島湾岸沿いやJR西日本呉線に沿って走る。並行する広島呉道路(仁保JCT - 呉IC)は、国道31号の有料バイパス道路である[1]。 海田と呉を結ぶ道路は、呉に旧日本海軍の鎮守府が置かれていたため、軍事上の重要な道路として明治時代より国道に指定され、1952年(昭和27年)の道路法改正から13年間は一級国道に指定されていた経緯を持つ[注釈 1]。 路線データ一般国道の路線を指定する政令[2][注釈 2]に基づく起終点および重要な経過地は次のとおり。
歴史海田と呉とを結ぶ国道の起源は、1887年(明治20年)7月8日に「國道表」に追加された国道46号「東京より呉鎮守府に達する路線」である。この路線は、現在の国道1号及び国道2号を経由し、海田で分岐して呉に至るもので、海田以降は今日の国道31号と同じルートで、広島湾東側の海岸線に沿って広い道幅が確保されていた[7]。同時に、各地の鎮守府(横須賀、佐世保)に至る道路が国道に編入されている。現在の国道31号の終点になっている呉は、背後に山々を背負い、複雑な瀬戸内海の島々に囲まれているところから軍事機密を保つための好適地とみなされ、1886年(明治19年)に海軍の軍事拠点である鎮守府が置かれ、1903年(明治36年)には海軍工廠が建設されている[8]。 海軍の街として発展してきた呉は、1945年(昭和20年)3月から7月にかけて度重なる空襲に遇い、呉軍港に停泊中の多くの軍艦が沈められ、港としての機能が壊滅[7]。同年8月、終戦を迎えた。戦後は呉鎮守府が廃止されたが、自衛隊基地や在日米軍基地、造船業や製鉄業の工場など、海軍の街としての面影は残した[7]。 かつて安芸郡坂町から呉市天応町にかけて「中央線変移区間」(リバーシブルレーン)が設けられ3車線の道路となっており、中央の車線は午前は広島方面、午後は呉方面の車が通行するように設定されていたが、1996年(平成8年)にバイパスの広島呉道路が完成したことで廃止され同区間は片側1車線の道路となっている。同区間に複数ある、「駐車禁止」や「制限速度50」の幕式可変標識が取り付けられている門型の構造物は当時の名残であり、当時はこの可変表示機に「中央線↓」「ここから(2)車線」などの表示がなされていた。 2018年(平成30年)7月6日に発生した平成30年7月豪雨で、7が所で土砂流入が発生[9]。その他の呉市周辺道路も被災し、物資不足の状態に陥ったが、同月12日に水尻での迂回路が完成し全線復旧した[10]。 年表
路線状況広島湾の海沿いに道路が走っており、現道は海岸線寄りで瀬戸内海の島々を眺めながら走ることが出来る[1]。バイパスの広島呉道路は、内陸寄りで現道に並行しており、トンネルも多い[1]。 有料道路重複区間道路施設橋梁
トンネル
交通量24時間交通量(台) 道路交通センサス
(出典:「平成22年度道路交通センサス」(国土交通省ホームページ)より一部データを抜粋して作成) 平成22年度の調査において、並行する広島呉道路では全線で高速道路無料化社会実験が行われていた。 地理通過する自治体交差する道路広島呉道路については同項目参照。
交差する鉄道その他
脚注注釈出典
参考文献
関連項目外部リンク |