新潟市
新潟市(にいがたし)は、新潟県の下越地方に位置する市。新潟県の県庁所在地であり、政令指定都市である。市域には8行政区が設けられている(後述)。1889年(明治22年)に市制施行。 本州の日本海側では唯一の政令指定都市であり、同地域で最多の市域人口を有する。「新潟」の表記については「新潟県#「潟」の字について」を参照。 概要1889年(明治22年)4月1日の市制によって設置された、日本で最初の市のうちの1つである。 市の中心部にあたる信濃川河口部には古くから港が開かれ、信濃川・阿賀野川水系の河川交通と海上交通のネットワークが交わる結節点の港町として発展した。江戸時代には北前船の寄港地となり、幕末には新潟港が幕末の日米修好通商条約の開港五港の1つとなった[注 1]。現在でも水陸の交通の要衝である。また、大規模農業の改革拠点として国家戦略特区に指定されている。2007年4月1日に政令指定都市となった[1]。また、環日本海を代表する都市である。 1950年代まで、信濃川左岸の新潟島中心部には堀が張り巡らされ、それに沿って柳が植えられていた。そのため、新潟市の広報や地元メディアでは「水の都」「柳都(りゅうと)」などの名称で新潟市を紹介することもある。また、高橋留美子などを筆頭に多数の漫画家を輩出していることや[2]、バイパス網が発達していることで知られる。 萬代橋、NEXT21、朱鷺メッセ、デンカビッグスワンスタジアム、新潟日報メディアシップがシンボル的存在となっている。 市名の由来市の名前である「新潟」という地名については永正17年(1520年)[3] に新潟の表記が歴史記録として残っているものの、地名の由来についての記録は残っていないため、由来については諸説ある。
市章
同日に告示された「市徽章設定ノ件」には、以下のとおり記されている。
すなわち、港を表す「錨」、1858年の日米修好通商条約により指定された「五港」の「五」、そして越後の象徴「雪環」を組み合わせ、開港五港の一つである新潟市を表している。 地理→詳細は「新潟市の地理」を参照
新潟の地は越後平野に位置している。信濃川と阿賀野川が日本海に流れ込む場所で、河川の流域には低湿な平野と数多くの潟湖が、また海岸線に沿って新潟海岸と新潟砂丘と呼ばれる砂丘が形成されている。郊外には湿田や潟湖を干拓した広大な水田が広がる一方、現在でも鳥屋野潟や佐潟、福島潟などの潟湖が残されている。このうち佐潟については1997年(平成9年)に、ラムサール条約登録湿地となっている。 旧来の市街地が位置する信濃川と関屋分水に囲まれた地域は「新潟島」と呼ばれており、島となったのは1972年の関屋分水の開通による。 新潟市の可住地面積は日本の市で最大の670.72 km2(平方キロメートル)を有する[5][注 2]。 地形→詳細は「新潟市の地理 § 地形」を参照
気候→詳細は「新潟市の地理 § 気候」を参照
冬季に降水量が多くなる日本海側気候であるが、沿岸部は緯度の割に温暖である。 冬は海岸近くの為日本海からの北西風が強いが、山地までの距離が遠いため、一日雪の予報でも時折晴れ間が見える事が多い(いわゆる「山雪」現象)。このため島嶼部を除く新潟県内で最も雪が少ない地域で、50センチメートル以上の大雪への備えも十分でなく、豪雪県のイメージとは裏腹に交通マヒが起こることもある。近年では2010年2月5日に81センチメートルの積雪を観測しているが、中央区の観測所において1メートル以上の積雪は1961年以来、半世紀以上に渡ってない。ただし中央区や東区など沿岸部の積雪量が少なくても西蒲区や南区、秋葉区などの内陸部では積雪が多い場合がある。そのため都心部が全く積もっていなくても郊外では雪が積もっているという事も珍しくない。 沿岸部の冷え込みは東京都郊外と比べても厳しくなく、近年氷点下5度以下を記録することは少ない。春から夏にかけては同緯度の東北太平洋側と比べると気温が高く、南高北低の気圧配置になった場合南風が越後山脈を超える際に起こるフェーン現象の影響を受け、高温になることがある(詳細は新潟市の地理#気候を参照)。 人口
健康
方言新潟市を中心とする地域では、新潟弁が用いられている。 行政区・市街地構成行政区新潟市は現在、8区の行政区で構成される。市役所をはじめとする市政の中枢機能は中央区に置かれている。なお、各区にはイメージカラーが設定されている[6]。色の選考は、区民アンケートや専門家のアドバイスを参考にして、市民の代表と区長による「イメージカラー調整会議」で決定し、2007年(平成19年)9月26日に発表された。
中心市街地→「中央区 (新潟市) § 地域」、および「新潟島」も参照
「都心」と位置付けられる地域は中央区にあり、信濃川両岸に跨って所在する[市 1]。新潟駅周辺から万代を経て古町に至る「都心軸」沿線は市によって「にいがた2 km」という愛称がつけられ、2024年12月現在、都市再生緊急整備地域に指定されている。 古町を中心とする左岸側(新潟島)は1655年(明暦元年)の移転[7] 以来の旧市街地であり、新潟の業務・物販・飲食などの複合的中心地である。古町通や本町通、西堀通などは商業施設、商店街などが集まる地区で、花街の時代から続く歓楽街もある(「古町花街」も参照)。一方、白山公園周辺には市役所や新潟県民会館、りゅーとぴあなどの公共施設・文化施設が立ち並ぶ。新潟島地区は古くからの市街地であり、かつ大規模空襲を受けておらず戦災復興都市計画が行われなかった(ただし新潟大火により建物は多くが焼失)ことからモータリゼーションへの対応が難しく、新潟大学や新潟県庁の郊外移転、新潟島自体の人口減少(1965年の約13万人から2005年の約6万人に半減[8])、信濃川右岸側の宅地開発などによる市全体の人口分布変化の影響もあり、商業機能を万代や郊外など他の地域に譲っている。 右岸側の万代は、前述の古町・本町と新潟駅万代口のほぼ中間点に位置する地区である。大正末期の大河津分水路通水によって狭まった信濃川の流路跡が埋立地として開発された地区で、1929年(昭和4年)に萬代橋が現在の3代目橋梁に架け替えられたのを端緒に都市開発がはじまり、戦後から本格的に開発が進められた。1970年代前半から新潟交通の路線バスの運行拠点跡の再開発事業の一環で、隣接する八千代地内に跨って大型商業施設の集中する商業エリアである万代シテイバスセンターを中核とした「万代シテイ」が整備され、主に若年層向けの商業地になっている。 新潟駅周辺はCoCoLo新潟と家電量販店を中心として飲食店などが立ち並ぶ。新潟駅周辺の商業施設は駅前よりも古町・万代に集中する傾向が強かったが、2024年の新潟駅リニューアルオープンで一気に拡大した。 新潟駅南口から鳥屋野潟周辺にかけての地域(笹出線、紫鳥線、弁天線、バイパス沿線)は、新潟バイパスが開通した1970年代から都市開発が本格化した。新潟駅周辺のうち、北側の万代口周辺は1958年の新潟駅移転後から開発が一気に進み、1964年の新潟国体までの間に急速に市街地化し、東大通を中心にオフィスビルが立ち並んでいたが、南口には当初駅舎に出入口すら設けられていなかった。1982年の上越新幹線開通に合わせ南口が開設されたのを前後してプラーカ新潟の開業など急速に市街地化が進み、商業拠点となった。2000年代になると2002年のワールドカップに合わせて弁天線や新潟スタジアム(ビッグスワン)が整備され、その後イオンモール新潟南(江南区)、新潟県立野球場などが相次いで開業した。 古町から新潟駅万代口までの都心軸は柾谷小路・萬代橋通りに沿っており、これらを繋ぐルートで、基幹バスの「萬代橋ライン」が走るが、前述のように新潟駅を境に南北の市街地が別々に発展してきた経緯があるため若年人口の多い駅南側まで直通することが困難となっている。このため、新潟駅の連続立体交差事業とバス網や基幹道路の再編が行われている。 なお、副都心については正式な指定はされていないが、「新潟島」側を都心、右岸側(旧沼垂町側)を副都心と呼ぶことがある。また近年では新潟県庁や国の合同庁舎を中心とする新光町・美咲町地区に行政、業務機能が集積しており、こちらを副都心と呼ぶこともある。 中央区と郊外とは、都市高速に準ずる設備を持つ無料のバイパス網で繋がれており、インターチェンジ近くを中心に郊外型商業拠点が多数存在する。 市域全般市域全般においては、干拓・乾田化が開始される前の内陸部は湿地が大半を占めており、可住地が限定されていたこともあって、市域各地の在郷町や集落は、砂丘周辺や河川の自然堤防に沿うように発展した。しかし干拓・乾田化で内陸部の排水が進捗したことによって、湿田や小規模潟湖の埋め立てが進み、後背湿地も市街地化に充てられるようになったことなどから、各地で宅地の造成が行われ、北区の早通駅周辺などベッドタウンとなるような地域において住宅団地・ニュータウンも建設された。 これらの経緯から、市域に占める可住地の範囲は他の地方都市と比較して広くなっており、その面積は北海道別海町に次いで2位となっている[9]。また新潟市は、住宅地が郊外に分散しているため、一箇所への人口集中はそれほど見られない。 郊外部は農地が多く、海岸沿いの砂丘地帯は畑が多いが、前述の経緯から内陸部は水田が中心となっている(農地構成については新潟市の経済#農業を参照)。 郊外には河川舟運の拠点となった在郷町に由来する古くからの町場が多く分布し[市 3]、現在でも多くの地域で定期市(六斎市)が開かれている[10]ことや、県内他地域と同様に商店街に雁木または片持ち式のアーケードが多く形成されている点が特筆される。 新潟市内の地域は 新潟市都市計画基本方針 において都心、地域拠点、生活拠点、近隣拠点、機能別拠点などに分けて指定されている[市 4]。地域拠点は、中央区と東区を除く行政区に各一ヶ所ずつ指定、生活拠点は各行政区に複数ヶ所指定されている。中央区、東区、西区を除く地域拠点と生活拠点は、2005年(平成17年)の平成の大合併において編入した市町村の中心地である。
隣接する自治体
歴史→詳細は「新潟市の歴史」を参照
原始から古代
中世
近世
近代
現代
行政区域の変遷・市町村合併→詳細は「新潟市の行政区域の変遷」を参照
新潟市は1889年の市制施行以後、1914年の信濃川右岸の沼垂町との合併を皮切りに周辺地域と編入合併していったが、高度経済成長期以後の20世紀の間は合併がなかった。21世紀に入ってすぐ黒埼町を編入。その後周辺12市町村を編入し、次いで巻町を編入した。そして2007年4月1日に政令指定都市に移行し8つの行政区が設置された。 政治行政市長→詳細は「新潟市長」を参照
行政機構
→詳細は「新潟市役所 § 沿革」を参照
特別区域
財政新潟市の財政状況は、2012年度(平成24年度)の決算によれば、歳入は3,576億円、歳出は3,532億円となっている[市 5]。歳入決算の主な項目の構成比は、地方税33%、地方債17.2%、国庫支出金12.9%、地方交付税12.7%、諸収入8.6%、都道府県支出金3.4%などとなっている。また、歳出決算の主な構成比は、義務的経費が計43.9%(扶助費18.2%、人件費15%、公債費10.7%)、その他経費が計38%(物件費12%、補助費9.7%など)、投資的経費が計18.1%(普通建設事業費18%、災害復旧事業費0.1%)である[市 5]。地方公共団体の財政の健全化に関する法律(財政健全化法)に定める指標のうち、実質公債費比率は11.3%、将来負担比率は113.5%であり、それぞれ早期健全化基準などを下回っている[市 5]。財政力指数は0.70で、政令指定都市20市中17番目の値となっている[15]。 議会市議会→詳細は「新潟市議会」を参照
新潟県議会2023年現在 →詳細は「新潟県議会」を参照
衆議院選出議員は所謂小選挙区10増10減による区割変更後のもの また小選挙区は改正後の区域を記す [1]
国家機関行政機関※一部の行政機関に関しては、新潟美咲合同庁舎も参照。
司法機関独立行政法人
施設警察市内には、以下の通り新潟県警察の警察署が9署ある。また、県警本部内に設置されている新潟市警察部が、市内9署の指揮監督や新潟市との連絡・調整を行っている。 交番・駐在所については各行政区の記事を参照。
消防→新潟市内で発生した災害については「新潟市の地理 § 災害」を参照
市内における消防活動は新潟市消防局によって行われており、消防署が各行政区ごとに1署ずつの計8署設置されている。 各消防署については、以下の通り。出張所については新潟市消防局#消防署を参照。
医療
※「☆」は救急指定病院
文化施設→詳細は「新潟市の教育 § 文化施設」、および「§ ホール・ライブハウス」を参照
新潟市内には県立1館、市立18館の図書館がある他、美術館、博物館、水族館、植物園がある。動物園については小規模な動物関連施設は数箇所所在するが、大型動物を飼育する動物園は所在しない。
郵便局
市内には、日本郵便が集配業務を行う郵便局が11局ある。市内にある集配局は以下の通り。
公園新潟市には、1,500ヶ所以上の公園が存在する[市 6]。以下には記事のあるもののみ掲載。その他は各区の記事を参照。 社会基盤市内のインフラストラクチャー、ライフラインの整備状況について記載。 電話
新潟市内の固定電話には、3つの単位料金区域(MA)が混在し、025・0250・0256の3つの市外局番が存在する。各MAは周辺市町村の全域または一部を含み、MA内の市町村とは市内通話で利用できる。 3つのMAの範囲は以下の通り。[16]
新潟MAは、1986年(昭和61年)11月1日に新潟県内で最初に市外局番を3桁化した。電話番号の逼迫対策及びMA内を市外局番をつけずに通話可能とするため、0252-DE・0253-DE・02537-E・02538-E・025385-の地域を「025-CDE」に統一した。また、新津MAは1985年(昭和60年)3月27日、巻MAは1984年(昭和59年)12月12日に市外局番を統一した。 新潟県内には市外局番「025」を使用している地域が複数あるが、このうち市内局番200・300番台が新潟MAに割り当てられている。 また、3桁化当時、市外からの天気予報番号であった「025-177」を「025新潟MA」に設定するために市内局番100番台も新潟MAに割り当てられた。 しかし後から、県内で新潟MA以外の「025区域」が発生したため「025-177」では新潟MAとしての識別ができなくなり、市外からの天気予報番号はかつての「0252-177」に戻された。 この経緯から(新潟MAの「100番台」は現在もNTTの方形区画を表記する 単位料金区域別市外局番等一覧表・東日本 一覧表において新潟MAの番号帯として割り当てられているが)、 2011年現在「025-177」をダイヤルすると 「下越・新潟地方 0252-177」「魚沼・南魚沼・十日町地方 0257-177」「上越・糸魚川地方 0255-177」の各番号が通話料無料で音声案内される。 なお、加入電話における各MA間の通話料金距離区分は、新潟MAと新津MA・巻MA間は「隣接区域」(昼間・90秒ごとに税別10円)、新津MAと巻MA間は「20km超30kmまで」(平日昼間・60秒ごとに税別10円)の区分となっている。
市域の市外局番が3つに分かれて市外通話となるのは不便なため、市外局番の早期統一化を求める市民の声が「市長への手紙」などへ寄せられることがある。 市としては、市民からの議論が高まった段階で、事業主体であるNTT・総務省に要望していく旨を、新潟市HP内「市長への手紙」で述べている[市 7]。 2008年10月開催の秋葉区及び西蒲区自治協議会[市 8][市 9] において、「電話市外局番の統一に関するアンケート」を実施する旨の報告がなされ、12月に新潟市企画調整課により「電話市外局番に関するアンケート」が実施された。アンケートの対象エリアは秋葉区[市 10] と西蒲区[市 11] のみ。これは市外局番の変更による影響を最も大きく受けるであろう、その区域の大半が「0250新津MA」に属す秋葉区、及び「0256巻MA」に属す西蒲区の住民の意見が重要であると市側が判断したため。それぞれ区において、一般家庭1,000件、事業所1,000件を無作為に選び、両区の合計で4,000件分のアンケート調査を実施した。調査の結果[市 12][市 13]、「事業所側において市外局番を統一することに反対」が半数を超えたため、市としては当面現行の通りとすることが適当と判断した。内訳としては両区とも一般家庭では賛成が半数を超えたが、事業所では両区とも反対が半数を超えた。尚、アンケート実施前の新潟日報のインタビュー記事において市は「賛成が半数を超えたら統一し、過半数に満たなければ統一しないと言うことではない。全体を見てから総合的に判断する。」とし、『過半数』にはこだわらないと述べていた。だが、最終的には『半数以上が反対』と言うことを判断根拠として市外局番の統一を見送った。 電力新潟市内に送配電を行う一般送配電事業者は東北電力(2020年4月1日からは東北電力ネットワーク)である。
都市ガス市域内の都市ガスは、以下の事業者によって供給される。公営ガス事業を実施している地域は無く、いずれも民営である。
水道施設上水道市域内の上水道は一部を除き、新潟市水道局が配水を行っている。 配水関係(配水場含む)は新潟市配水系統図でおおよそのどの辺りを区域としているかを見ることができる。 [5]
上記に特記した以外の地域の配水業務は全て、新潟市水道局が運営を行っている。 下水道新潟市の汚水処理人口普及率は86.0%(2014年(平成26年)度末現在)である。普及率は都市部などの下水道設備や農村部などの集落排水施設が整備された区域の人口と、合併処理浄化槽の利用者数に基づくもので、新潟県内の全30市町村では22番目と下位に位置する[17]。このうち、全人口に対する下水道処理区域内の人口の割合を示す下水道処理人口普及率は83.4%(同年度末現在)である。 新潟市の下水道事業は1952年(昭和27年)1月、のちに新潟島となる地域の東部(船見処理区)から整備が着手された。1958年(昭和33年)からは地盤沈下対策の一環として整備区域が拡大され、船見下水処理場は1964年(昭和39年)5月から処理を開始したが、同年6月16日の新潟地震で壊滅的な被害を受け、船見処理区の復旧作業は1967年(昭和42年)春にまで及んだ。 新潟市ではこの新潟地震に加え、軟弱地盤という元々の立地条件から整備費が増大し、他都市と比較して下水道網の整備が大きく立ち遅れた。市域内の下水道処理区は1970年代後半まで船見処理区しかなく、1979年(昭和54年)の新潟市の下水道処理人口普及率は14.8%と、当時の全国平均28.0%を大きく下回り、鳥屋野潟の水質汚濁が深刻化するなどの問題を引き起こした。 新潟市の旧市域とのちの編入市域では1980年(昭和55年)以降、下水処理場の新規整備が進んだ。また新潟市では1991年(平成3年)、下水道処理人口普及率の年間3%増加を目指した「第7次下水道整備5か年計画」を策定し、急ピッチで下水道整備を進めた結果、13市町村の編入合併前の2003年(平成15年)の下水道処理人口普及率は72.7%と、当時の全国平均66.7%を上回った[市 14]。 しかし編入市域の一部には下水道の整備が進捗していない地域が残存している。特に南区と西蒲区の普及率は30%前後にとどまり、全国平均を大幅に下回っている。両区域は農地が多くを占めるなど、下水道網の整備が困難な地域が点在することから、市では集落排水施設や合併処理浄化槽の導入なども併せて検討し、市内全域の汚水処理化を目指している。
中部下水処理場では2013年(平成25年)1月28日から、処理過程で発生するメタンガスが主成分の「汚泥消化ガス」を燃料にした発電システムを稼働している。新潟県内の下水道事業として初の発電施設で、出力560kW、年間総発電量約440万kWh(一般家庭約1400世帯分)を有し、同処理場の消費電力の約4割を賄うことができる[18]。 処理施設新潟市が所管する廃棄物処理施設は下記の通り。 ごみ処理施設
廃棄物の焼却や選別、破砕などの中間処理を行う施設として、下記7施設が設けられている。 また資源再生センター(エコープラザ)は施設老朽化のため2024年3月で廃止が発表されている。 [6]
廃棄物の焼却は資源再生センターと白根グリーンタワーを除く5施設で行われる。
焼却灰などの最終埋立処分は下記5施設で行われている。
し尿処理施設市域内のし尿・浄化槽汚泥などの処理は下記4施設で行われている。
対外関係姉妹都市・提携都市海外海外の姉妹都市などは下記の通り。
上記のように、環日本海地域との繋がりが深く、市内の案内板では英語、中国語の他に朝鮮語、ロシア語表記の物が目立つ。また、環日本海地域であることのほかに港町であることや、サッカー・FIFAワールドカップの開催などの共通点がある。 日本周辺の拡大図 国内新潟市は2015年5月現在、国内には姉妹友好都市として交流している都市は存在しないものの、県内外の多くの都市と災害時の事務協力や、観光誘客、文化交流などに関する連携協定を締結している。
新潟市は1858年(安政5年)の日米修好通商条約により日本最初の開港地となった、いわゆる「開港五港」のひとつである新潟港を擁するが、1993年(平成5年)から、この開港5都市にあたる函館市、横浜市、神戸市、長崎市の行政関係者や市民団体が集い、まちづくり活動などに関して意見交換や交流を行うことを目的に「開港5都市景観まちづくり会議」を開催している。この会議は5都市が持ち回り制で各々5年おきに主催しており、新潟市は1997年(平成9年)、2002年(平成14年)、2007年(平成19年)、2012年(平成24年)に開催地となっている。また横浜市とは2006年(平成18年)、2008年(平成20年)夏の第34回主要国首脳会議(サミット)の開催誘致を共同で行っている。両市は「開港都市サミット」として横浜で首脳会合、新潟で閣僚会合を開催するとしていたが、結局開催地は北海道となり(北海道洞爺湖サミット)、新潟では労働大臣会合が、横浜ではアフリカ開発会議がそれぞれ開催された。
2005年の編入市域に含まれる4町村が、国内各地の市町村と姉妹都市を締結していたが、編入合併以降は市の交流促進事業の一環に組み込まれ、各地区ごとの交流事業として継承されている。
国際機関領事館
経済新潟市の市内総生産は、2兆9,682億円(平成18年度)である。市域内は水田などの耕作地が多くあるが、それら第一次産業の割合は1%程度と全体を占める割合は低いが米の生産量とチューリップ栽培が日本一の自治体である。[20] 第三次産業が全体の約8割を占め、次に第二次産業が約2割を占める。 →詳細は「新潟市の経済」を参照
商業→「§ 中心市街地」も参照
新潟市に本社を置く主な企業上場企業のみを記載。 →その他の企業については「Category:新潟市の企業」を参照
マスメディア新聞・通信
テレビ放送局
ラジオ放送局
教育→詳細は「新潟市の教育」を参照
学校教育→詳細は「新潟市の教育 § 学校教育」を参照
生涯学習・社会教育施設→詳細は「新潟市の教育 § 生涯学習・社会教育施設」を参照
交通→詳細は「新潟市の交通」を参照
新潟市とその周辺は、本州日本海側の交通結節点としての機能を担っている。 鉄道ではJR東日本の上越新幹線をはじめ、新潟駅を中心として新潟県内の上越地方や中越地方、東北地方などとを結ぶ在来線の特急・快速列車が運行されている。 道路交通では、高速道路が新潟市を中心に北陸自動車道、磐越自動車道、日本海東北自動車道が放射状に広がり、万代シテイバスセンターを拠点として高速バスの路線網が県内外の主要都市とを結んでいる。特に県内線の高速バス路線(ときライナー)は市内中心部の繁華街や主要施設に直接アクセスできる利点を活かし、各路線とも高頻度で運行されている。さらに国道・県道などの一般道路においても郊外を経由するバイパス道路網が発達しており、市内外各地への移動や都市間輸送に大きな役割を果たしている。新潟空港は国内外各地に路線網を有し、新潟港は海上交通の要衝として国際拠点港湾、中核国際港湾、日本海側拠点港のうち総合的拠点港に指定されている。 空港→詳細は「新潟空港」を参照
東区の阿賀野川河口左岸側に位置する新潟空港からは、国内各都市および東アジア各都市とを結ぶ路線が就航している。新潟駅からバスで約25分の地点に立地し、市街地からのアクセスは比較的良好である。 新潟県と新潟市では国内線・国際線の路線網拡充をはじめ、県内外各方面から空港へのアクセス改善、航空貨物輸送の活性化など空港の利便性向上を図る活性化策を進め、利用喚起を行なっている。 鉄道→詳細は「新潟市の交通 § 鉄道」を参照
道路→詳細は「新潟市の交通 § 道路」、および「新潟市内のバイパス網」を参照
港湾→詳細は「新潟港」を参照
市域には1858年の日米修好通商条約では開港五港の1つとして指定された新潟港があり、本州日本海側の海上交通の要衝の一つになっている。特定港、特定重要港湾、日本海側の港湾として唯一の中核国際港湾に指定されているほか、日本海側拠点港のうち全国5港の総合的拠点港の一つに、部門別では国際海上コンテナと液化天然ガスの2部門の拠点港に指定されている。 新潟港は、中央区・東区の信濃川両岸を港域とする河口港湾の西港区(新潟西港)と、北区・北蒲原郡聖籠町に跨る堀込み港湾の東港区(新潟東港)の2港域から成っている。東港区には本州日本海側では最大の取扱個数を有する国際海上コンテナターミナルが設けられており、西港区は佐渡汽船や新日本海フェリーの佐渡・北海道・敦賀航路などが発着する。
観光
新潟市の観光入込客数は約1,862万人(2017年(平成29年)[22])で、都市型観光と祭事やイベントなどによる集客が全体の6割を占める。また、新潟県下越地域の観光入込客数の約61%、新潟県全体では約26%を占める[22][市 15]。 新潟市の主要な観光地は、港に関するものが新潟島や信濃川周辺に集中する他、農業や自然に関するものが平野部に分散している。以下に記述する文化財や名所以外の観光資源に関しては「新潟市の教育#美術館」「新潟市の教育#博物館」「新潟市の教育#動植物園」「#スポーツ」「#文化」を参照。 広域連携県内外の都市との観光に関する広域連携については「#観光連携・文化交流協定」を参照。 文化財新潟市内にある国指定の文化財
主な観光資源行祭事・イベント
都市型観光
歴史・文化温泉・健康
自然
スポーツ・レクリエーション
かつては市域内にも遊園地が複数存在したがいずれも現存せず、最寄りの遊園地は阿賀野市のサントピアワールドとなる。かつては西区寺尾(のちに西蒲区越前浜へ移転)の「新潟遊園」や中央区長潟の「鳥屋野苑ファミリーランド」、同区鐘木の「とやのレイクランド」、同区八千代・万代シテイの屋内型アミューズメントパーク「新潟ジョイポリス」などがあったものの、既にいずれも閉園されている。閉園後、新潟遊園のうち寺尾の旧園地の大部分は市が所得し、チューリップ園やバラ園など、かつての施設の一部をそのまま活用した「寺尾中央公園」となっている他、とやのレイクランドは新潟市産業振興センターの臨時駐車場となり、またジョイポリスは商業施設に転換され「ビルボードプレイス2」となっている。他方、オイルショックなどの影響を受けて廃業したファミリーランドの跡地は宅地化され、往時の痕跡はほとんど存在しない。 その他
文化江戸期の新潟町は北前船などの往来によって文化が流入し、音楽芸能が栄えていた[24]。中でも盆踊りは一週間近くも踊り続けたといわれ、1843年(天保14年)に初代新潟奉行に就任した川村修就は、「蜑(アマ)の手振り」絵巻物としてその様子を描かせた。明治に入りその祭りは祭禁止令により無くなったが、現在でも伝統芸能を含めた踊りを中心とした文化活動が盛んに行われている。また、新潟市では「新潟市文化創造交流都市ビジョン」を策定している。 祭事・催事
伝統工芸
伝統芸能
新潟市における能楽についての最も古い記録は、長岡藩三代目藩主牧野忠辰が1715年(正徳5年)の新潟巡見の際に、4月25日と29日の二回にわたって白山神社で催能したというものである[29]。能楽は武家の武楽であるとされたため城下町ではない新潟には愛好者が少なかったが、宝生流が盛んな地である会津若松、金沢、佐渡が近いため、新潟も宝生流の影響を強く受けていたとされる[29]。
新潟市における日本舞踊は、幕末に市山流三代目市山七十郎が新潟を訪れて流儀を広め、慶応2年(1866年)に新潟出身の門弟である市山七十世が三代目家元を継いだことから始まる。その後、大正元年(1912年)に藤間流の名取となった藤間小藤が大正3年(1914年)に帰郷してからは[32]、市山流と藤間流が新潟の代表的な流派となった[33]。 戦後になると坂東流や花柳流などの他流派が活動を開始し、1947年(昭和22年)に新潟市邦楽舞踊協会が発足[33]。1951年(昭和26年)には新潟市芸能文化協会が発足し、一般大衆の中に溶け込んでいった[33]。新潟市では、以下の流派が活動を行っている。
芸能
花柳界中央区には、江戸時代中期に大阪で創流した市山流の舞踊を樽砧などの伴奏によって踊る古町芸妓が現在も残っている。 これは、明治以前の旧来の港町である新潟町(古町)が、港に集まる船乗りたちの相手をする遊廓で栄えていたことに始まる。明治以降に遊郭と花街が分割され、芸妓による芸事のみで客を接待する古町 (花街)が形成され現在に至る。 →詳細は「新潟の花街」を参照
音楽新潟市における西洋音楽は、1871年(明治4年)に群馬師範学校から新潟高等女学校に赴任した斎藤正直が、1919年(大正8年)に「如月会音楽研究所」を創設したことから始まる[39]。その後の1924年(大正13年)に新潟県初の混声合唱団「如月合唱団」が創設され、1931年(昭和6年)に管弦楽団である「新潟交響楽団」が設立された。
ホール・ライブハウス
映画館かつて現市域内の映画館は、中心市街地の中央区古町周辺をはじめ江南区亀田地区、秋葉区新津地区、西区内野地区、西蒲区巻地区など郊外にも所在していた。だが、郊外の映画館は映画産業の斜陽化が顕著となった1960年代後半から次第に閉鎖が進み、さらに中心部の映画館も老朽化や集客力の低下などの問題から1980年代以降に相次いで閉鎖された。それに代わって1990年代中盤からはシネマコンプレックスが数多く進出。現在は大手によるシネコン4館と、単館系1館の計5館が営業を行っている。
名物・特産品
スポーツプロスポーツチーム
2001年(平成13年)に竣工した新潟スタジアム(デンカビッグスワンスタジアム)はJリーグ・アルビレックス新潟のホームスタジアム。2002年(平成14年)には2002 FIFAワールドカップの開催地となり、日本側の開幕戦が行われるなど3試合が開催された。その後もJリーグオールスターサッカーや日本代表戦などが開催されており、サッカー以外にも陸上競技やラグビーなどのスポーツをはじめ、各種イベントが行われている。 また2009年(平成21年)に竣工した新潟県立野球場(HARD OFF ECOスタジアム新潟)は、建設構想から約20年の紆余曲折を経て完成した野球場で、BCリーグ・新潟アルビレックスBCが月に1 - 2回ホームゲームを開催する。また同年以降、プロ野球公式戦が開催されているほか、2010年(平成22年)にはオールスターゲーム第2戦が開催された。本州日本海側の都市でオールスターゲームが開催されたのは1996年(平成8年)の富山市に次いで2箇所目。 アマチュアスポーツチーム
球技
アニマルスポーツ
スポーツ大会毎年開催されているスポーツ大会 過去に開催されていたスポーツ大会 スポーツ施設新潟スタジアムと県立野球場は中央区清五郎・長潟にある新潟県スポーツ公園の園地内に所在する。同公園は2009年(平成21年)秋開催の国民体育大会「トキめき新潟国体」と全国障害者スポーツ大会「トキめき新潟大会」に合わせて整備されたもので、同国体・大会ではそれぞれ11競技が市内各地で実施された。 前述の県立野球場の他に、市域内には硬式野球で使用できる市有の野球場が6球場ある。このうち旧市域には中央区女池南の鳥屋野運動公園野球場あるが、築40年以上を経て老朽化が進んでいる。市では編入市域の合併建設計画の一環として2箇所で新たな野球場の整備事業を進め、西区板井(黒埼地区)のみどりと森の運動公園野球場は2011年夏から、南区真木(白根地区)の新潟市白根野球場は2013年4月から供用を開始している。
その他
出身・関連著名人→50音順の一覧については「Category:新潟市出身の人物」を、出身地、分野別の一覧については「新潟市出身の人物一覧」を参照
名誉市民1950年11月30日、定例市議会で名誉市民条例が可決[41]。翌年から制度が発足した。 新潟市を舞台にした作品唱歌 大和田建樹作詞の「鉄道唱歌」では、第4集北陸篇において新潟は5番を割かれて歌われている。日本海側の都市で、日米修好通商条約における開港指定五港に認定され、大きく栄えていたことなどが関係していると見られる。なお、歌が作詞された当時は新潟駅は存在せず、沼垂駅がこの地のターミナルになっていた。
脚注注釈
出典市発表
その他
参考文献
関連項目外部リンク
市内の地図
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