吉田泉
吉田 泉(よしだ いずみ、1949年(昭和24年)2月26日 ‐ )は、日本の元政治家。 衆議院議員(5期)、財務大臣政務官(菅直人第1次改造内閣・菅直人第2次改造内閣・野田内閣・野田第1次改造内閣)・復興大臣政務官(野田第1次改造内閣[1])、復興副大臣・内閣府副大臣(野田第2次改造内閣)、いわき市議会議員(1期)などを歴任した。 来歴福島県いわき市生まれ。福島県立磐城高等学校、東京大学経済学部卒業。大学卒業後、石川島播磨重工業勤務を経て、福島県へ帰郷し、生家のお茶屋を継いだ。1996年、いわき市議会議員選挙に立候補し、トップ当選。2000年、市議を任期途中で辞職し、第42回衆議院議員総選挙に福島5区から民主党公認で立候補したが、自由民主党の吉野正芳に敗れ、落選。 2003年の第43回衆議院議員総選挙では、福島5区で自民党の坂本剛二に敗れたが、重複立候補していた比例東北ブロックで復活し、初当選。2005年の第44回衆議院議員総選挙では福島5区で自民党の吉野(コスタリカ方式により坂本、吉野が交互に小選挙区と比例代表を入れ替え)に敗れたが、比例復活により再選。2009年の第45回衆議院議員総選挙では福島5区で坂本を破り、初めて小選挙区で当選した。 2010年9月、菅直人第1次改造内閣で財務大臣政務官に任命され、菅直人第2次改造内閣でも留任。 2011年6月27日、東日本大震災復興対策本部福島現地対策本部長に就任。同年8月26日、菅直人首相が民主党代表辞任を正式に表明[2]。菅の辞任に伴う代表選挙(8月29日投開票)では、野田佳彦に投票した[3]。同年9月、野田内閣で財務大臣政務官に再任され、野田第1次改造内閣まで務めた。 2012年2月10日、復興庁の設置に伴い初代復興大臣政務官(福島復興局及び茨城事務所担当)に任命された(財務大臣政務官も兼務)。野田第2次改造内閣では復興副大臣及び内閣府副大臣に任命された。 同年12月の第46回衆議院議員総選挙では、福島5区で自民党元職の坂本に敗れたが、重複立候補していた比例東北ブロックで復活し、4選。 2014年の第47回衆議院議員総選挙で、福島5区で自民党前職の吉野に敗れ、今度は比例復活もできずに落選[4]。次期衆院選に立候補せず政界から引退する意向を示した[5]。 2017年7月21日、郡和子の仙台市長選挙立候補に伴う退職(自動失職)により、次点だった吉田の繰り上げ当選が決定[6][7]。25日当選証書が付与された。 同年9月、表明していた政界引退を撤回し、次期衆院選の福島5区に希望の党公認で立候補する意向を示した[8]。投開票の結果、落選。落選後の11月11日に国政から身を引く意向を示した[9]。 2019年5月21日発令の春の叙勲で、旭日重光章を受章[10]。2020年、立憲民主党福島県連顧問に就任[11]。 政策・主張
所属団体・議員連盟脚注
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