瀬戸隆一
瀬戸 隆一(せと たかかず、1965年8月2日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(4期)、内閣府副大臣。 財務大臣政務官、党広報本部広報戦略局次長、情報通信戦略調査会事務局次長、情報・通信関係団体委員会副委員長、国土・建設関係団体委員会副委員長、国会対策委員、政務調査会IT戦略特命委員会幹事を歴任[1]。党香川県連常任顧問。 経歴1965年(昭和40年)香川県坂出市生まれ[2]。坂出市立西部小学校(2010年統合により坂出市立坂出小学校)、坂出市立坂出中学校卒業[2]。1984年(昭和59年)、香川県立丸亀高等学校卒業[2]。1989年(平成元年) 大阪府立大学工学部経営工学科卒業[2]。1991年(平成3年)3月、東京工業大学大学院理工学研究科修了[2]。 官僚として国家公務員採用Ⅰ種試験(経済)に合格し、1991年(平成3年)4月、郵政省に入省[2]。 以下、官僚時の経歴。
政治家として2012年(平成24年)8月 次期衆議院選挙立候補のため、総務省に戻り、退職[4]。香川2区に自由民主党から出馬することが内定し、同選挙区支部長就任[5]。12月 第46回衆議院議員総選挙の香川2区に自由民主党から出馬。民主党の玉木雄一郎に7,123票差で敗れたが、比例四国ブロックで復活し初当選[2]。 2013年(平成25年)8月 自民党の派閥である為公会(麻生派)に入会[6]。 2014年(平成26年)12月 第47回衆議院議員総選挙の香川2区に自由民主党から出馬。民主党の玉木に再び敗れるも、比例四国ブロックで復活し2選。 2017年(平成29年)10月 第48回衆議院議員総選挙の香川2区に自由民主党から出馬。希望の党の玉木に3度敗れ、比例四国ブロックで復活ならず、落選。 2021年(令和3年)10月 第49回衆議院議員総選挙の香川2区に自由民主党から出馬するも、国民民主党代表の玉木に敗れ、比例四国ブロックで重複立候補していた議員で唯一復活ならず、連続で落選した。 2023年(令和5年)1月17日、後藤田正純衆議院議員の徳島県知事選挙立候補準備に伴う辞職により、中央選挙管理委員会の繰上補充の選挙会において比例四国ブロックでの繰り上げ当選[7][8]が決定し、6年ぶりの国政復帰となる。9月、第2次岸田第2次改造内閣で財務大臣政務官に就任[9]。 2024年(令和6年)9月12日、自民党総裁選挙が告示され、瀬戸が所属する麻生派からは河野太郎が立候補した。投票日前日の9月26日夜、麻生派幹部6人は都内のホテルに集まり、決選投票に高市早苗が残った場合は高市を支持する方針を決定した[10]。会長の麻生太郎はさらに踏み込み、河野などの陣営に入っていた派閥メンバーに対し、側近議員を通じて「1回目の投票から高市に入れろ」と指示を飛ばした[11]。同日22時半頃、産経新聞は、麻生が1回目の投票から高市を支援するよう自派閥の議員に指示を出したことをスクープした[12]。9月27日総裁選執行。高市は1回目の議員投票で、報道各社の事前調査での30~40票を大きく上回る72票を獲得した[10]。党員数と合わせた得票数は1位だったが、決選投票で石破茂に敗れた。瀬戸は1回目の投票では河野に投じ、決選投票では高市に投じた[13]。 2024年(令和6年)10月27日、第50回衆議院議員総選挙の香川2区に自由民主党から出馬したが、5度目の対決でも玉木に敗れ、得票率28.81%、惜敗率43.39%と低率であったものの、比例四国ブロックで復活当選した[14]。 同年11月13日、第2次石破内閣で内閣府副大臣に就任[15]。金融庁、経済再生、環太平洋経済連携協定(TPP)、新しい資本主義、スタートアップ、感染症危機管理、経済財政諮問会議、政府税制調査会(政府税調)などを担当した[16]。 政策・主張憲法問題
ジェンダー問題
その他
所属団体・議員連盟
選挙歴
脚注
外部リンク
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