後藤斎
後藤 斎(ごとう ひとし、1957年7月22日 - )は、日本の政治家。 衆議院議員(4期)、山梨県知事(公選第18代)、内閣府副大臣(野田内閣・野田第1次改造内閣・野田第2次改造内閣)、文部科学大臣政務官(鳩山由紀夫内閣・菅直人内閣)、民主党国会対策委員長代行等を務めた。 来歴山梨県甲府市生まれ。山梨県立甲府第一高等学校、東北大学経済学部卒業。大学卒業後の1980年に農林水産省入省[1]。本省勤務の他、国際協力事業団、日本貿易振興会ニューヨーク事務所[1]や食糧庁への出向も経験した[2]。 1996年、第41回衆議院議員総選挙に新進党公認で山梨1区から出馬したが、自由民主党の中尾栄一、旧民主党の輿石東の後塵を拝し、得票数3位で落選。 その後民主党に入党。山梨1区には既に新党さきがけ出身で、前回の総選挙は比例単独で当選した小沢鋭仁がいたため、山梨3区に国替え。2000年の第42回衆議院議員総選挙では山梨3区で自民党の横内正明に敗れたが、重複立候補していた比例南関東ブロックで復活し、初当選した。 2002年、熊谷弘らが民主党を離党し保守新党を結成した際は、一時熊谷に従って離党する考えを示していたが、最終的には離党を断念。横内正明の山梨県知事選挙出馬に伴う、2003年の第43回衆議院議員総選挙では山梨3区で自民党の保坂武に敗れ、比例復活なく落選した。 2005年の第44回衆議院議員総選挙では、郵政民営化法案に反対したため自民党公認を得られず、無所属で出馬した保坂武、自民党公認で小泉純一郎首相の秘書官を務めていた小野次郎、後藤の三つ巴の争いが山梨3区で繰り広げられ、後藤は保坂に1,943票の僅差で敗れたが、再度比例復活した(小野次郎も比例復活し、山梨3区で立候補した3人は全員当選)。 2009年の第45回衆議院議員総選挙では、民主党への強い追い風に乗り、自民党の小野次郎に比例復活すら許さない大差をつけ、圧勝した(小野はその後自民党を離党し、みんなの党公認で参議院議員に転出)。同年、鳩山由紀夫内閣で文部科学大臣政務官(科学技術、の担当[3])に任命され、菅直人内閣まで務める。2011年9月、野田内閣で内閣府副大臣(食品安全、地域主権、地域活性化、公務員制度改革の担当[4])に任命され、11月から拉致問題担当の副大臣も兼務する。内閣府副大臣は野田第2次改造内閣まで務めた。 2012年の第46回衆議院議員総選挙では、山梨3区で4選。選挙後、民主党国会対策委員長代理に就任。2013年9月、松原仁国会対策委員長代行の国対委員長昇格に伴い、後任の国対委員長代行に就任した[5]。 2014年11月4日、翌年の山梨県知事選挙に無所属で出馬する意向を表明し、民主党に離党届を提出[6]。11月7日、衆議院事務局に議員辞職願を提出し[7]、11月11日の衆議院本会議で辞職が許可された[8]。後藤の辞職により、山梨3区は廃止が予定されている選挙区ながら補欠選挙が行われる見通しだったが、直後に衆議院が解散されたため、補選は実施されなかった[9]。 2015年1月25日投開票の山梨県知事選挙では、民主党に加え自民党、公明党の推薦も受けて初当選した[10]。2月17日に山梨県庁に初登庁[11]。 →詳細は「2015年山梨県知事選挙」を参照
2018年10月、翌年1月に行われる山梨県知事選挙への出馬を表明。2019年1月27日の投開票の結果、自民党が推薦する元衆議院議員の長崎幸太郎に敗れ落選。 →詳細は「2019年山梨県知事選挙」を参照
2022年3月、日本維新の会は後藤を第26回参議院議員通常選挙に比例区候補者として擁立することを発表した[12]。7月10日、投票開票の結果、後藤は24,874票を獲得したが、同党が8議席を得たのに対し、11位で落選。後藤は「(比例区で)自分の名前を書いてもらうことが難しかった」と述べた。一方で、山梨県内で維新は比例で後藤への個人票含め約5万票を獲得。前回選(約1万7000票)の3倍ほどで、全国屈指の伸びとなった[13]。 衆議院議員時代の政策・主張
知事としての政策・実績
知事選挙→「2019年山梨県知事選挙 § 関係各所の動向」、および「2019年山梨県知事選挙 § 選挙結果」も参照
後藤は民主系支援団体だけでなく都留市長の堀内富久や甲斐市長の保坂武といった自民系の首長や山梨県医師会、林業団体、農協、山梨県郵便局長会といった自民党支援団体からも支持を受け、超党派の「県民党」を前面に打ち出し選挙戦を戦った。しかし対する長崎がこれまで対立していた堀内詔子と和解したことや自民党が200人を超える党所属国会議員、秘書を送り込む[18]ことで「国とのパイプ」を強調した選挙戦を展開。最終的に3万1千票の差で敗北した。 朝日新聞の出口調査では、無党派層の支持は後藤が5割、長崎が4割と後藤が優勢だったが、長崎は分厚い自民・公明層の支持を7割以上を獲得した。後藤県政を「大いに」または「ある程度」評価する人が79%に達し県民からの支持は多かったが、自民・公明層を取り込めきれなかった[19]。 選挙歴
脚注
外部リンク
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