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谷公一

谷 公一
たに こういち
内閣広報室より公表された肖像
2019年 撮影)
生年月日 (1952-01-28) 1952年1月28日(72歳)
出生地 日本の旗 日本 兵庫県美方郡村岡町(現・香美町
出身校 明治大学政治経済学部政治学科卒業
前職 地方公務員(兵庫県職員)
所属政党 自由民主党二階派→無派閥)
称号 政治学士(明治大学・1975年
親族 大伯父・谷襄(元兵庫県議会議員
父・谷洋一(第30代農林水産大臣
公式サイト 自由民主党 谷公一 オフィシャルウェブサイト

内閣 第2次岸田第1次改造内閣
在任期間 2022年8月10日[1] - 2023年9月13日[2]

選挙区兵庫県第5区→)
比例近畿ブロック→)
兵庫県第5区
当選回数 8回
在任期間 2003年11月9日 - 現職
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谷 公一(たに こういち、1952年昭和27年〉1月28日 - )は、日本政治家自由民主党所属の衆議院議員(8期)、衆議院地域活性化・こども政策・デジタル社会形成に関する特別委員長

国家公安委員会委員長第100代)、内閣府特命担当大臣防災海洋政策)・国土強靭化担当大臣領土問題担当大臣第2次岸田第1次改造内閣)、復興大臣補佐官復興副大臣第2次安倍内閣)、国土交通大臣政務官第1次安倍改造内閣福田康夫内閣)、衆議院国土交通委員長、衆議院東日本大震災復興特別委員長(第10代)、自由民主党政務調査会会長代理、自由民主党組織運動本部団体総局長、自由民主党総務会副会長、自由民主党政務調査会副会長、自由民主党国会対策委員会副委員長、自由民主党副幹事長、自民党たばこ議員連盟幹事を歴任した[3][4]

来歴

2012年
復興副大臣時の肖像画

兵庫県立八鹿高等学校明治大学政治経済学部政治学科卒業。国家公務員上級甲種と故郷兵庫県の両方に合格した[5]1975年兵庫県庁に入庁し、防災局長、政策室長を歴任。

父の政界引退を受け、兵庫県庁を退職して出馬を表明するが、兵庫県議会議員の日村豊彦も名乗りを上げたため、自民党兵庫県連の兵庫県第5選挙区支部と谷洋一後援会の合同役員会において、異例の「予備選挙」が実施された。公一が過半数を獲得し、兵庫5区の候補者に内定。2003年第43回衆議院議員総選挙で兵庫5区から立候補し、初当選。2008年には衆議院議事進行係に就任した。

2009年8月の第45回衆議院議員総選挙では小選挙区で敗北し、重複立候補した比例近畿ブロックでも当選圏に届いていなかった。しかし、当選圏内にいたみんなの党の候補者が重複立候補した小選挙区で法定得票数に達しなかったため比例での当選資格を喪失、その議席が自民党に回り、本来次点であった谷が繰り上がりで当選した。

2012年12月の第46回衆議院議員総選挙では小選挙区で4選。第2次安倍内閣復興副大臣に就任。

2014年10月より復興大臣補佐官に就任。

同年12月の第47回衆議院議員総選挙では小選挙区で5選。

2017年10月の第48回衆議院議員総選挙では小選挙区で6選。

2018年10月、衆議院国土交通委員長に就任[6]

2021年10月31日、第49回衆議院議員総選挙で7選。

2022年8月10日に発足した第2次岸田改造内閣において、国家公安委員会委員長に就任[7]

2023年10月20日、衆議院地域活性化・こども政策・デジタル社会形成に関する特別委員長に就任。

2024年10月27日、第50回衆議院議員総選挙で8選[8]。同年11月13日、衆議院地域活性化・こども政策・デジタル社会形成に関する特別委員長に再任[9]

騒動

2020年4月19日、地元選挙区内の商工会を回り豊岡市から養父市内の事務所に戻る途中、事務所スタッフの運転する乗用車が丁字路の交差点でガードレールに正面から衝突して突き破り、約2メートル下の田んぼに落下する事故を起こした[10]助手席に乗っていた谷も左大腿骨骨折の重傷を負った[11]。自民党からは新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐため、地元選挙区を含む地方への移動を控えるように要請されていた[12]

大臣就任後の2022年12月8日、昼間に体調を崩し、病院へ緊急搬送され検査を受けた結果、異常は認められなかった。翌日に公務に復帰した。谷は会見で当時の状況を「息苦しく、ぼーっとするなと。貧血の症状か、血圧が一時的に下がったのかもしれない」と語っている[13][14]

2023年4月25日、永田町の都道交差点で、会議に向かうため移動中に谷が乗車していた自動車にバイクが衝突する事故が起きた。けが人はなく、自動車が交差点で右折しようとしたところ、右側から直進してきたバイクが衝突したという。バイクの男性運転手が赤信号を見落としたとみられる[15]

失言

国家公安委員長として在任中の2023年4月25日、東京都内で行われた自民党所属議員のパーティーでの挨拶で、同月15日に選挙遊説先の和歌山県で岸田首相に対し爆発物が投げ込まれる事件が発生した際、当時高知県に視察に訪れていた谷は、事件発生の一報を受けた時の自身の対応に触れ「四万十でおいしい鰻丼を食べられるということで楽しみにしていたが、これから食べようというときに警察庁から電話があった。和歌山で岸田総理にものが投げられたと。そういうことがあったけれども、鰻丼は、しっかり食べさせていただいた」と語った[16][17]

この発言に対し、SNSを中心に治安対策担当の閣僚としての資質を問う投稿が相次ぐなど批判が一部で噴出した[18]日本共産党小池晃書記局長はメディアの取材に対し「由々しき言動だ。職責に対する緊張感のかけらもなく、岸田政権の緩みが表れている」と批判した[19]。また、立憲民主党大串博志選挙対策委員長も「発言は極めて無責任だ。閣僚として資質があるのか疑問だ」と批判した[20]。さらに立憲民主党の安住淳国会対策委員長も「会合でウケを狙った冗談かもしれないが、センスはない」「首相の身辺や聴衆などに危険が及ぶ事態で、国家公安委員長に何よりも先にと伝えているのに、当の本人は何の反応もせず食べてたというんだから、こういう人の下で警察全体が緊張感を持って(5月のG7広島)サミットなどをやれますか」「こういう人が警備の最高責任者なのかという話になるのは首相にとってマイナスではないか。『うなぎ大臣』って言われちゃうよね、これから」などとこき下ろした[21]

一夜明けて26日、参議院本会議で立憲民主党の宮口治子の質疑で谷の更迭を要求した事に対し、岸田首相は答弁で「谷氏は出張先で事件発生の報告を受け、必要な指示、情報収集を行いながら用務を継続したと聞いている」と擁護し「引き続き職務に当たってもらいたい」として更迭要求に応じなかった[22]。また、谷もメディア取材に対し前日の発言について「食事はいずれにしても、しなきゃいけないと思いますよ。限られた時間で、舌足らずな面があったということ、そしてそのことで誤解を招くような発言と受け取られ、いろいろご意見をいただいているということは、しっかり受け止めなければならないと思っています」と釈明した[23]。野党側からも日本維新の会音喜多駿政調会長は自身のTwitter投稿で「ウケ狙いで発した内容として軽率だと思いますが、食事は誰でもする。苦言を呈すくらいなら理解できても、本会議上で辞任まで求めるほどのことではまったくない」「こんなナンセンスな追及をやっていては、野党に対する期待はしぼむばかり」と、立憲を中心とした追及に対しても苦言を呈している[24]

人物

  • 大学の頃は授業に出つつアルバイトにも精を出した[5]。アルバイトは食事付きの食べ物屋が長かったが、家庭教師、キャバレー、日雇いの工事現場などでも稼いだ[5]。その一方、西洋史研究会というクラブにも属していて、当時盛んであったベ平連などのデモにも顔を出した[5]。大学2年の冬、住んでいた木造アパートが全焼という災難に遭った[5]
  • 国家公安委員長に就任後初めての会見で旧統一教会との関係を問われると谷は「献金や選挙応援などでこれまでに関係を持ったことはない」と述べている[25]

家族

父・谷洋一は衆議院議員に9回当選し、農林水産大臣第30代)、北海道開発庁長官第56代)、沖縄開発庁長官第25代)などを歴任した。

妻とは兵庫県庁の最初の配属課で知り合った[5]プロポーズから結婚にまで熱いエネルギーを費やしたため、その後の谷は「女性に対して淡白になっている」という[5]。子供や孫がいる。

政策・主張

憲法

外交・安全保障

内政

部落問題

  • 2019年12月、「自由同和会兵庫県本部」「自由民主党兵庫県同和会支部」「兵庫経済商工連合会」令和元年度研修大会に谷は「偏見や差別のないより良い社会の実現に向けて、皆様の一層のご活躍を心よりお祈り申し上げます」と祝電を送った[30]
  • 母校である兵庫県立八鹿高校で1974年に起きた部落解放同盟による教師への集団暴力事件(八鹿高校事件)について谷は「正義を振りかざす集団ほど抑制が利かず恐ろしいものはない」と述べている[5]

その他

政治資金

2009年9月20日、谷が支部長を務める自民党兵庫県第5選挙区支部が第44回衆議院議員総選挙公示直前の2005年8月19日、国と請負契約を結んでいた建設会社から100万円の寄付を受けていたことが、同支部が提出した政治資金収支報告書から判明した[32]公職選挙法では、国と契約を結んでいる企業が国政選挙に関連した寄付を行うことを禁止している。同支部では、選挙資金としてでなく通常の政治活動への支援として受け取ったとしている[32]

所属団体・議員連盟

選挙歴

当落 選挙 執行日 年齢 選挙区 政党 得票数 得票率 定数 得票順位
/候補者数
政党内比例順位
/政党当選者数
第43回衆議院議員総選挙 2003年11月09日 51 兵庫県第5区 自由民主党 11万2437票 47.56% 1 1/3 /
第44回衆議院議員総選挙 2005年09月11日 53 兵庫県5区 自由民主党 11万8063票 45.30% 1 1/4 /
比当 第45回衆議院議員総選挙 2009年08月30日 57 兵庫県第5区 自由民主党 10万9497票 42.19% 1 2/3 8/9
第46回衆議院議員総選挙 2012年12月16日 60 兵庫県第5区 自由民主党 10万4403票 47.03% 1 1/4 /
第47回衆議院議員総選挙 2014年12月14日 62 兵庫県第5区 自由民主党 11万439票 56.94% 1 1/3 /
第48回衆議院議員総選挙 2017年10月22日 65 兵庫県第5区 自由民主党 12万3360票 56.89% 1 1/3 /
第49回衆議院議員総選挙 2021年10月31日 69 兵庫県第5区 自由民主党 9万4656票 42.49% 1 1/3 /
第50回衆議院議員総選挙 2024年10月27日 72 兵庫県第5区 自由民主党 9万6659票 46.00% 1 1/3 /

脚注

  1. ^ 第2次岸田改造内閣閣僚等名簿”. 首相官邸ホームページ. 内閣官房内閣広報室. 2023年9月8日閲覧。
  2. ^ 『官報 令和5年特別号外第62号1頁 人事異動 内閣』(プレスリリース)国立印刷局、2023年9月13日。 
  3. ^ 谷 公一(たに こういち)”. 内閣総理大臣官邸. 2022年9月5日閲覧。
  4. ^ “国会議員情報 谷 公一(たに こういち)”. 時事ドットコム (時事通信社). https://www.jiji.com/sp/giin?d=58e4a0cae3a601f0dd06c6f0b477a5ce&c=syu 2022年9月5日閲覧。 
  5. ^ a b c d e f g h プロフィール2 | 谷公一オフィシャルサイト”. www.tanikouichi.jp. 2024年12月4日閲覧。
  6. ^ 自民党が衆院常任・特別委員長ら了承 予算委員長に野田聖子前総務相
  7. ^ 国家公安委員会委員長 谷 公一 (たに こういち) | 第2次岸田改造内閣 閣僚等名簿 | 内閣”. 首相官邸ホームページ. 2024年12月4日閲覧。
  8. ^ 日本放送協会. “衆議院選挙 兵庫5区 谷公一氏 自民・前 当選|NHK 兵庫県のニュース”. NHK NEWS WEB. 2024年12月4日閲覧。
  9. ^ 日本放送協会 (2024年11月13日). “衆議院の委員長決まる 予算委員長には立民の安住淳氏 | NHK”. NHKニュース. 2024年12月4日閲覧。
  10. ^ “自民党の谷公一衆院議員、交通事故で重傷のもよう”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社). (2020年4月19日). https://www.nikkansports.com/general/news/202004190000328.html 2020年4月19日閲覧。 
  11. ^ “地元入り自粛要請中に事故 谷衆院議員に「批判、励まし」”. 神戸新聞 (神戸新聞社). (2020年4月25日). https://www.kobe-np.co.jp/news/tajima/202004/0013295368.shtml 2020年4月28日閲覧。 
  12. ^ “自民 谷公一衆院議員の乗った車が地元の兵庫 養父で事故”. NHKニュース (NHK). (2020年4月19日). https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200419/k10012395491000.html 2020年4月19日閲覧。 
  13. ^ 谷の活動日記第2684号【救済法案合意、緊急搬送】”. 谷公一オフィシャルブログ (2022年12月8日). 2022年12月9日閲覧。
  14. ^ 「私もびっくりした」8日に救急搬送の谷公一国家公安委員長が公務復帰 検査で異常なし” (Japanese). 神戸新聞NEXT (2022年12月9日). 2024年12月4日閲覧。
  15. ^ 産経新聞 (2023年4月25日). “谷国家公安委員長の車にバイク衝突、けが人なし”. 産経新聞:産経ニュース. 2024年12月4日閲覧。
  16. ^ 谷国家公安委員長 爆発事件後も「うなぎ丼食べた」会合で発言 - NHK NEWS WEB 2023年4月25日
  17. ^ 産経新聞 (2023年4月25日). “首相襲撃後も「うな丼食べた」 谷国家公安委員長、批判浴びる可能性も”. 産経新聞:産経ニュース. 2024年12月4日閲覧。
  18. ^ 国家公安委員長の「うな丼」発言 SNSでトップの資質に疑問相次ぐ”. 毎日新聞. 2024年12月4日閲覧。
  19. ^ 緊張感のかけらもないと共産幹部が批判 - 共同通信 2023年4月25日
  20. ^ 極めて無責任、閣僚の資質疑問と立民幹部 - 共同通信 2023年4月25日
  21. ^ 国家公安委員長の「うな丼」発言、立憲・安住氏「センスない」”. 毎日新聞. 2024年12月4日閲覧。
  22. ^ 首相、谷国家公安委員長の更迭を拒否 「うな丼」発言巡り”. 毎日新聞. 2024年12月4日閲覧。
  23. ^ 「食事はしなければいけない」“うな丼発言”谷公安委員長が釈明「舌足らずな面あった」 野党は更迭要求、首相は否定|FNNプライムオンライン”. FNNプライムオンライン (2023年4月26日). 2024年12月4日閲覧。
  24. ^ 〝うな丼大臣〟への更迭要求に維新・音喜多駿氏「ナンセンスな追及」”. 東スポWEB (2023年4月26日). 2024年12月4日閲覧。
  25. ^ “谷国家公安委員長「旧統一教会と関係を持ったことない」”. テレ朝ニュース. (2022年8月10日). https://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000264667.html 2022年12月23日閲覧。 
  26. ^ a b c d e f 2014衆院選 毎日新聞候補者アンケート
  27. ^ a b c “第48回衆院選 自民 近畿 谷 公一”. 毎日新聞 (毎日新聞社). https://mainichi.jp/senkyo/48shu/meikan/?mid=D08001002028 2020年4月19日閲覧。 
  28. ^ 第174回国会 128 たばこ税の増税反対に関する請願”. 衆議院. 2021年4月11日閲覧。
  29. ^ Company, The Asahi Shimbun. “朝日・東大谷口研究室共同調査 - 2014衆院選:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル. 2024年12月4日閲覧。
  30. ^ 令和元年度研修大会”. 自由同和会兵庫県本部 (2019年12月). 2023年12月31日閲覧。
  31. ^ 但馬関係国会議員ら賛否 永住外国人参政権法案 日本海新聞
  32. ^ a b “国契約業者から百万寄付 谷元国交政務官の自民支部”. 共同通信社. 47NEWS. (2009年9月20日). https://web.archive.org/web/20130628041741/http://www.47news.jp/CN/200909/CN2009092001000511.html 2012年10月6日閲覧。 [リンク切れ]
  33. ^ 「自民党たばこ議員連盟」役員(2017/3/7現在)及び役員へのタバコ販売&耕作者政治連盟からの6年間の献金額(万円)”. 2018年4月11日閲覧。
  34. ^ 自民党たばこ議員連盟臨時総会(出席者)”. 2018年4月11日閲覧。
  35. ^ 政務調査会(部会・調査会・特別委員会等)”. 自由民主党 (2022年4月28日). 2022年5月26日閲覧。
  36. ^ 俵義文、日本会議の全貌、花伝社、2016年

外部リンク

公職
先代
二之湯智
日本の旗 国家公安委員会委員長
第89代:2022年 - 2023年
次代
松村祥史
先代
二之湯智
日本の旗 内閣府特命担当大臣防災
第33代:2022年 - 2023年
次代
松村祥史
先代
二之湯智
日本の旗内閣府特命担当大臣(海洋政策
第11代:2022年 - 2023年
次代
松村祥史
先代
黄川田徹
今野東
前川清成
日本の旗 復興副大臣
浜田昌良
寺田稔岡田広
秋葉賢也愛知治郎と共同

2012年 - 2014年
次代
長島忠美
浜田昌良
西村明宏
先代
梶山弘志
吉田六左ェ門
藤野公孝
日本の旗 国土交通大臣政務官
金子善次郎
山本順三と共同

2007年 - 2008年
次代
谷口和史
西銘恒三郎
岡田直樹
議会
先代
橋本岳
日本の旗 衆議院地域活性化・こども政策・デジタル社会形成に関する特別委員長
2023年 -
次代
現職
先代
鈴木俊一
日本の旗 衆議院東日本大震災復興特別委員長
2017年 - 2018年
次代
古川禎久
先代
今村雅弘
西村明宏
日本の旗 衆議院国土交通委員長
2016年
2018年 - 2019年
次代
西銘恒三郎
土井亨
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