博多華丸
博多 華丸(はかた はなまる、1970年〈昭和45年〉4月8日[2] - )は、日本のお笑いタレント、司会者。 福岡県福岡市早良区出身[2]。旧芸名は鶴屋 華丸(つるや はなまる)。お笑いコンビ・博多華丸・大吉のボケ担当。相方は博多大吉。 本名は岡崎 光輝(おかざき みつてる)。吉本興業所属。足のサイズは27.5cm[4]。 R-1ぐらんぷり2006優勝者。福岡吉本での活動を経て、2005年からコンビで東京吉本へ移動した。 来歴→「博多華丸・大吉 § 来歴」も参照
土建業を営む一家の長男として生まれる[5]。福岡市立大楠小学校、福岡市立高宮中学校・福岡大学附属大濠高等学校卒業、指定校推薦入学で私立である福岡大学工学部へ(後に中退)。在籍していた落語研究会での高座名は「福々亭茶崙(さろん)」。 長らく「鶴屋華丸・亀屋大吉」として活動していたが、福岡吉本の元職員で占いに詳しい人物に相談したところ、「博多」の屋号に改名するように言われ、コンビ名も博多華丸・大吉に改名[6]。 福岡では名が知られていたが、福岡吉本で同期だったカンニング竹山がカンニングとしてブレイクし、福岡吉本時代の後輩芸人だったヒロシが東京で売れたことなどに刺激を受け、2005年より拠点を東京に移した。神奈川県横浜市に在住[注 1]。 同年12月以降開催されたR-1ぐらんぷりの予選に初エントリーし、決勝に進出。決勝では児玉清のモノマネ芸を披露し「R-1ぐらんぷり 2006」で優勝。2014年には博多華丸・大吉として「THE MANZAI 2014」で優勝した。 華丸は、R-1とTHE MANZAIの両方で優勝した事のある唯一の芸人となっている。 2000年の1年間、月1回吉本新喜劇に出演していた。 人物主な愛称は華丸。一部のファンや芸人からは本名の『岡崎さん』と呼ばれている。岡崎さんと呼び始めたのは雨上がり決死隊の蛍原徹であり、そのことに華丸本人は感謝しており、家族からも喜ばれている。『アメトーーク』では「ネギ芸人」や「ポテトサラダ芸人」、「油揚げ芸人」などの飲食芸人に毎回出演しており、「そこだけが唯一、相棒の大吉先生に勝ってるとこ」として食べ物へのこだわりが強く[9]、自身の結婚式も福岡市内の料亭で挙げた[10]。 福岡ソフトバンクホークスの熱狂的ファン[11]。ホークスの選手とは福岡を拠点に活動していた頃から公私共に交流が深く、2011年の日本シリーズでホークスが優勝した際には祝勝会のビールかけにゲスト参加した[12]。キャッチボールは、左投げ。かつては、ホークスが福岡に来て以降も当時の福岡吉本の所長に半強制的にホークスファンに変えられるまでは広島東洋カープのファンであった。高校時代には「月刊カープファン」を予約購読しており、前田智徳については、2013年現在でも「大きな声では言えませんが 僕が一番好きな選手は、前田です」と述べている[13]。 学生時代、ドラマ『愛しあってるかい!』に出演する陣内孝則を観て、全国放送で博多弁をしゃべりたいと思い立つ[14]。 青春時代は「長渕一本だった」と公言する[15]長渕剛のファンでもあり、上京後も長渕の新曲発表コンベンションに赴くなどしているほか[16]、「アメトーーク」『長渕剛芸人』の回に出演し本人とのエピソードを語ったり、2015年8月には、「ゴリパラ見聞録」(テレビ西日本)のロケで「長渕剛 10万人オールナイト・ライヴ2015 in富士山麓」に赴いたパラシュート部隊、ゴリけんらと共に同コンサートを観賞するなどしている[17]。 NHK『連続テレビ小説』を始めテレビドラマの大ファンでもある。朝ドラに関して、『おしん』、『はね駒』(ファンである斉藤由貴がヒロインを担当)、『走らんか!』(地元・福岡が舞台)、『あまちゃん』『ひよっこ』を特に気に入っている[14][18]。『ひよっこ』に関してはオープニング映像や主題歌になった桑田佳祐の「若い広場」を「かっこ良かった。昭和のあの感じ」と高く評価している[19]。 家族弟が1人いる。妻とは、華丸が居酒屋でアルバイトをしていた際に客として来た縁で知り合い[20]、1998年に結婚。 2人の娘がおり、次女は女性アイドルグループ「さくら学院」、BABYMETALのサポートダンサー「アベンジャーズ」を経て2023年より「MOMOMETAL」名で正規メンバーとして活動する岡崎百々子[21]。 モノマネ
児玉清との関係福岡での活動中から児玉清のモノマネを披露していた。2005年11月に『とんねるずのみなさんのおかげでした』内のコーナー「細かすぎて伝わらないモノマネ選手権6」に出場し、児玉清のモノマネで優勝した。12月29日に放送された「全国大会」でも児玉清のモノマネで再度優勝し、賞金100万円を手にした。2006年はR-1ぐらんぷりに出場し児玉清のモノマネ(あいうえお作文「あ行」から「た行」)で優勝、トロフィーと賞金500万円を獲得した。自身のブレイクのきっかけをつかむネタでもあったため、「もし、(児玉のモノマネが)なければここにはいません」と断言している[22]。 児玉本人は、自身のモノマネに対し「僕は似てないと思うんだけど、家内が似てると言うんだよ」と述べていた[22]。 2006年9月3日放送の「アタック25芸能人大会」で、児玉本人と初共演した。 児玉のモノマネとして、2007年8月25日に等々力陸上競技場で行われたJリーグ・川崎フロンターレ対ガンバ大阪戦で川崎が行った集客PRキャンペーン「アタック!25日」に登場した。福岡市にもJリーグクラブ・アビスパ福岡があり、その応援もしている華丸は川崎からの依頼にためらったものの、この年は福岡がJ2リーグにおり、川崎とは直接対戦しないので出演を決めたと自らのブログで説明した。 児玉に対しての敬意として、「アタックチャンス」の宣言の際、児玉は右手を用いているが、華丸は左手を用いている。2011年5月16日、児玉が胃癌で死去した際に、自身が偽物であることに由来し、また児玉本人への敬意の表れでもあると言った[23]。先述の「アタック25」に出演した際のみ、児玉自身の提案により児玉・華丸ともに右手での宣言が実現した。5月21日に営まれた児玉の葬儀には大吉と共に参列した。 児玉の死去後の取材で、華丸は児玉に「僕のモノマネで食っていけるの?」「そろそろいいんじゃない」と言われたことを明かしており、「新しいことにチャレンジしなさいと言われていたのかも」と解釈しつつ「もちろん、そういう(モノマネする)機会があればさせていただきます」と述べ[22]、現在も児玉のモノマネを続けている。 出演※ピンで出演しているもののみ記載。 →「博多華丸・大吉 § 出演」も参照
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脚注注釈出典
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