スリムクラブは、吉本興業東京本社(東京吉本)に所属する日本のお笑いコンビ。2005年2月結成。共に沖縄県那覇市出身。『M-1グランプリ2010』準優勝、『日清食品 THE MANZAI 2011』、『M-1グランプリ2016』ファイナリスト。
メンバー
- 真栄田 賢(まえだ けん、1976年3月1日 - )(48歳)
- ボケ(たまにツッコミ)・ネタ作り担当、立ち位置は向かって左。
- 血液型はB型。身長184cm。体重85kg。
- 既婚者。那覇市立真和志中学校、沖縄県立首里高等学校、3浪、3年の留年を経て琉球大学教育学部卒業[1]。大学では小学校、中学校、高等学校の各教育職員免許状(中、高は保健体育科)を取得。
- 父親はちんすこう製造工場の工場長、母親は保険会社勤務[2]。父方の親戚に仲本工事(真栄田の祖母と仲本の祖母が親戚)、はとこに横峯さくらがいる(真栄田の父と横峯良郎がいとこ)[3]。
- 5歳の時に双子として産まれた弟たちがいたが、この弟たちは共に生後間もなく亡くなる。その3年後に出来た弟も流産に終わっており、実家ではこの弟たちの話は話すことはなかったという[4]。
- 「アーリー」というあだ名の彼女(後の妻)と同棲しており、彼女を番組内で紹介したことがある。2011年9月28日、結婚することを発表[5]。
- 特技はラグビーで、高校生の時にラグビー沖縄県選抜(ポジションはNo.8)として国体にも出場経験がある。その後も市町村選抜として沖縄県の社会人ラグビー選手権に招待されるほどで、そのための体作りを欠かさず行っているとのこと。現在ではジャパンラグビートップリーグの試合のゲストにコンビで何回か招かれるなどしている。また、JSPORTSの番組『海外ラグビーナビ』のナビゲーターも担当している。
- かすれたような独特の声質は本人曰く「声変わりに失敗した」ことによるもの。小学生の頃、かくれんぼのときに大きな声で「理科室!」と叫んだことが原因らしい[2]。2015年1月7日放送のバラエティ番組『水曜日のダウンタウン』(TBSテレビ)では、ラグビー中にのどにタックルを受けて舌骨を骨折したことが原因だと述べている。
- 相方・内間とコンビを組む前は、オリジンに所属しピン芸人として活動。その後内間の後を追う形で上京し吉本入り。その時期は2005年と遅く、既に事務所へ入っていた内間の紹介を経て所属している。沖縄での活動経験を考慮した上での事務所直入であったため養成所での授業は受けていないが、NSC東京校8期と同期扱いとされている。
- 中学校時代の同級生に漫画家である島袋光年がいる。
- 2015年1月30日放送分のバラエティ番組『探偵!ナイトスクープ』(朝日放送テレビ)では降板した長原成樹の跡を継ぎ、彼が演じていた2代目ガオーさんに就任した。内間がかなりの天然であるためしっかりした印象を持たれがちだが、実は浮気癖が凄く結婚後も100回以上不倫した事がある[6]。パンサーや平成ノブシコブシ、ピースを「(面白くないのに)イケメンというだけでテレビに出ている」と名指しで批判したり[7]、沖縄の先輩であるゴリ(ガレッジセール)との確執を公に明かしたりと[8]、内間とは対照的に毒気の強い気性。
- 母はテレビドラマ『新・だいこんの花』にエキストラで出演した事がある。
- 内間 政成(うちま まさなり、1976年6月19日 - )(48歳)
- ツッコミ(たまにボケ)担当、立ち位置は向かって右。
- 血液型はB型。身長180.6cm、体重66kg。
- 既婚者。交際7年を経て2009年に結婚した妻は、宮城県仙台市出身の元客室乗務員(キャビンアテンダント)。2011年4月3日第1子女児誕生。
- 那覇市立石田中学校、沖縄県立首里東高等学校、2浪を経て琉球大学法文学部卒業[1][9]。
- 相方・真栄田とコンビを組む前はオリジンに所属し、ピン芸人『コットン内間』として活動。その後NSC東京校へ8期生として入学し、何度もコンビ解散を経験した。
- 非常に穏やかな気性であり、真栄田曰く「こいつのポワ〜ンとした雰囲気だけでコンビ組んでる」。
- スリムクラブと知り合いの3人で飲んでいた際に、その知り合いに散々バカにされたにも拘らず怒らなかったため真栄田から「お前、怒らなさすぎるんだよ!!」とキレられた。
- 真栄田曰く「天然」で、よくハプニングを起こす。プライベートではボケ・ツッコミが逆転しているとされる。
- 『M-1グランプリ2009』で初めて準決勝に進出し、それに向けて彼のトレードマークである「ヒゲ」を題材にしたネタを作ったが、当日になって内間がヒゲを剃ってきてしまい困ったとのこと[10]。
- テレビ番組で漫才中にネタを飛ばし「もういいよ!」と言って終わらせようとしてしまい、真栄田が慌てて止めた事がある。
- 幼少時代は母親が大変厳しく、例えば内間が野球をやりたいと言っても「不良がやるものだからダメ」と突っぱねられ、将棋をやりたいと言っても「将棋はおじさんがやるものだからダメ」と断られ、さらにテレビは視力が悪くなるからと15歳まで禁止された(内間がテレビを見ないよう、母親はテレビのコードをハサミで切っていた)と語っている。また、この母親からの教育の影響で真栄田と出会うまでは本心を喋れず、心を閉ざしてしまっていた。その後、真栄田の働きかけもあって「自分」を取り戻せたという。真栄田は当時の内間について「(内間は)自分の気持ちを言うと怒られると思っていたので、気持ちにロックがかかっていたのです。『本当の気持ち』と遠い人生を送ってきたのですが、時間をかけてリハビリしてきました。『お前でいい、お前でいい』と僕は言い続けてきました。週4で飲みに行ってるんですよ。飽きないですよ」と語っている[11]。
来歴
正式にコンビを組んだのは2005年2月であるが、当初は2人ともオリジンコーポレーションに所属しそれぞれピン芸人として活動していた。
琉球大学在学中に2人は知り合う[12]。高校までは真栄田が一学年先輩であったが大学受験の際に内間が二浪、真栄田は三浪。大学へは共に同期として入学した。出会いは入学してひと月経った頃に真栄田の友人が「面白いやつがいる」と内間を引き合わせた事がきっかけであり、その後はクラブへ飲みに行ったり一緒にナンパしたりする関係となる。大学付近の飲み屋街を2人で歩いていた際、単色のキレイな吐瀉物を見つけた内間の「この人、一品しか食べてない」という何気ない一言に真栄田は彼の人柄を既に垣間見ていたものの、この頃は単なる飲み友達という間柄でしか無かった[13]。
その後真栄田はプロレス同好会へ入り、マサ斎藤をもじった「マサ最高」というリングネームで活動。その時に身内以外の観客を笑わせていた事から自分の笑いは外でも通用するのではといった想いを抱き始め、大学3年時に当時まだ設立して間も無かったオリジンのオーディションを受けるも落選してしまう[14]。しかし当時は所属タレントも少なく、オーディションに落ちた人達にも見習い期間を設ける形で事務所が面倒を見ていた事から、真栄田はその後ピン芸人として事務所主催ライブへの出演を果たし、頭角を現す。デビュー当初は以前からのファンであった陣内智則を意識した正統派の一人コントを披露していた[15]。
その様子を観客として見ていた内間は真栄田に感化されてオリジンへ入所し、ピン芸人「コットン内間」としてデビュー。全くネタのウケない日々が続く中、その翌年に無謀にも東京進出を思い立ちオリジンを退所。NSCの東京校へ8期生として入学し一足先に東京進出を果たす[16]。その当時、沖縄出身ながら東京で頭角を現していたキャン×キャンに感化される形で、内間の東京進出からおよそ3年後、真栄田もオリジンを退社し上京[17]。
東京で活動する際には再び事務所へ所属しなければならないと思った真栄田は、手始めに既に吉本興業で活動していた内間と連絡を取る。その時に内間からコンビ結成の提案を持ち掛けられ、事務所を探していた真栄田はその交渉をとりあえず承諾。しかし「みんな高い金払って、1年間頑張って吉本に入ってんだ。お前だけ金も時間もカット出来るか。お前、何様なの?」といった旨をNSCの校長に切り出され吉本入りを断られかけるが、真栄田は引き下がらず今まで沖縄でやって来た仕事の話など3時間粘って交渉し、特別に吉本興業入りを許可された。そのためNSCへ通っているのは内間のみであり、真栄田はそういった経緯から内間と同じNSC東京校8期と同期扱いとされている[18]。
内間は東京進出から既に5~6回コンビを解消しており真剣に芸人引退を考え始めていた頃だったが、吉本入りを果たし意気揚々としていた真栄田と2005年2月には正式にコンビを結成。親しい仲間たちとコンビ名を考案している時、語感が良く売れそうな言葉として「スリム」を選び、その仲間たちを「クラブ」と考え、それらを足して「スリムクラブ」となった[19]。
2007年秋頃、真栄田が扮する「快物フランチェン」というコントでお笑い番組『エンタの神様』(日本テレビ)に出演。当初は真栄田のみ出演する予定であったが、後から演出の都合でフランチェンに指令を出す博士役が必要となり、内間も声のみという形ながら出演する事となった(しかし、番組内の芸人紹介シーンでのみフランチェン役の真栄田の後ろから素顔を見せていた)[20]。
エンタの仕事が定期的に入るようになった影響から月収は数万から一気に50万ほどに跳ね上がったが、2008年の冬に番組への出演が打ち切られる事となってしまう。また、当時は「エンタ縛り」という他の番組に出てはいけない制約があった事も災いし、一気に仕事が激減。その後、2人はこれまで以上に真剣にネタ作りに取り組む事となり、『M-1グランプリ2009』や『キングオブコント2010』で準決勝へ進出する[21][22]。
2010年、『M-1グランプリ2010』で決勝戦に進出。笑い飯との優勝争いの末に準優勝となり[12]、これをきっかけに人気と知名度が上昇した。2011年には真栄田が『R-1ぐらんぷり2011』で決勝へ進出し、同年に開催された『日清食品 THE MANZAI 2011』でも決勝大会に進出。『M-1』復活後、2016年の『M-1グランプリ2016』で2大会ぶりに決勝戦へ返り咲いた。
2019年6月27日、2016年にヘリカルプロモーション所属のものまねタレント・バンドー太郎の仲介で[23]「飲食店オーナーの誕生日パーティー」に出席したが実際は暴力団関係者の会合だった上、いわゆる「闇営業」で吉本興業を通さず出席の対価として金銭を受け取っていた事実が判明し、無期限活動自粛処分を受けた[24][25]。同年8月9日、活動自粛処分が同月19日をもって解除されることが報告[26]。なお、その後も真栄田にとって唯一のレギュラー番組であった『探偵!ナイトスクープ』の出演は見送られていたが[27][28]、2020年4月10日放送分より番組へ復帰した[29]。
2021年1月4日、2020-2021ジャパンラグビートップリーグアンバサダーに就任[30]。
エピソード
- 『M-1グランプリ2009』で準決勝まで進出したとき、審査員を行っていた放送作家の前田政二から「今年はムリ。ただ1年しっかりやってくれば来年は決勝にいける」と言われた。翌年の『M-1グランプリ2010』では沖縄県出身として初の決勝戦進出。独特の間によるスローテンポなネタが話題を呼び、準優勝を果たした。審査員の松本人志(ダウンタウン)に「時間が惜しくないのかと思った」と評されるほどセリフの少ないネタは、NON STYLEやオードリーに代表されるハイテンポの漫才の流行とは一線を画するものだった。また、ファーストラウンドで3番目にネタを披露して最終決戦に進出したコンビは彼らが初であった(2017年にとろサーモンが最終決戦進出および優勝を果たすまでは彼らが唯一)。
- なお、真栄田は『M-1グランプリ2010』のファイナリスト会見で「漫才の持ちネタが1本しかない」「最終決戦は親父の4分のめちゃめちゃいい話があるのでご期待下さい」とボケた。ちなみに2回戦の時点で真栄田は「松本人志さんから96点取ります」とコメントし、実際に決勝戦のファーストラウンドで披露したネタに松本は「96点」をつけた。点数を見た瞬間、真栄田は眼に涙を浮かべていた。最終決戦では「笑い飯さんに4対3で勝つ」とイメージしていた[31]が、結果は逆に3対4で敗れた。その後出演した『ダウンタウンDX』『リンカーン』では松本が票を入れなかったことを未だに根に持っているとコメントしていた。
- 『R-1ぐらんぷり2011』では、真栄田が2本目のネタ(新幹線で向かいの席に座られたら困る男)を披露するも敗退が決定した後、審査員の板尾創路から「テレビでやることではないですね。家でやってください」と冷めたコメントをされた。
芸風
- 主にコント。下記のようなキャラクターが代表的であり、基本的にスローテンポなネタが多い。
- 漫才は独特の間と真栄田のシュールなボケによるスローテンポなスタイルで、コントのネタを漫才に作り替えている。『R-1ぐらんぷり』2011の2本目のネタである「新幹線で向かいの席に座られたら困る男」も、コントネタを1人コントに作り替えたものである。発言しそうな素振りをしておきながら、あえて発言しない長い間と圧倒的な台詞の少なさから『M-1グランプリ2010』決勝戦でも「あれは漫才なのか」という意見が出た[32]が、それについて真栄田は「漫才の定義はないんじゃないかと僕自身は思ってるんで、それで議論するのもどうなんだと思いますね。まあ、ジャルジャルはコントです(笑)」と語っている(コントをベースにした漫才を披露することはルール上認められている[31])。審査員でもあった中田カウス(中田カウス・ボタン)は「ふたりがモノを持たずに出てきてマイクの前でしゃべってお客さんを笑わせればそれが漫才」と語っている[31]。
- 漫才では最初に真栄田が観客に「お疲れ様です」「見に来てくれてありがとうございます」などと挨拶してから「そんなわけでね…」と唐突に話題を切り替えて設定に入ろうとし、内間に「話下手ですね」とツッコまれることが多い。
ザ・タカシ
『ヨシモト∞』などで真栄田が演じるキャラクター。青いタンクトップにハーフジーンズ、サングラスにとても大きなリーゼントという格好。的外れな言動で、見ず知らずの相手(内間)をいつも振り回す。内間も何度か同じ格好をしたことがある。真栄田が長年育ててきたキャラクターであり、漫才でも演じている。しかしこのコントでは内間は真栄田を「変態」呼ばわりするが、漫才ではしない。コンビ結成当初は『M-1』にもザ・タカシの衣装で出場していた時期もあり、真栄田曰く「失礼な奴らでした(笑)」[31]。
真栄田のリーゼントのようなカツラはトヨタ・セルシオのアームレストをモチーフとしており、かつて真栄田が仲間内で「即興ギャグ大会」をやった際に一番ウケた他人のギャグをキャラクター作りに生かしたもの。
快物フランチェン
『エンタの神様』での真栄田のキャラクター。フランケンシュタインに登場する怪物をモチーフに「ザ・タカシ」をアレンジしており、丸いサングラスをかけている。内間演じる博士の指示することを行おうとするが、いつもズレたことをしてツッコまれる(たまに厳しいツッコミもすることもある。)。序盤はほぼ必ずと言っていいほど他の芸人・タレントのネタやギャグが入っていた。最後は頭や胸や股間を強く打って思考停止となり「思考停止…パニッパニ、パニッパニ、パニパニパニック、パニッパニ、パニッパニ、パニパニクニッパ!」と踊りながら言って(後半で違う言葉を言うことも)終わる。オチは博士の「次回もお前の力を見せてくれるか?」の問いかけに対し「いぃよ!」と答え終了。また、人造人間という設定である。2008年11月以降は登場しなくなった。
内間は紹介画面(キャッチフレーズ)のみに登場し、フランチェン役の真栄田の後ろで顔出ししていた。ハーモナイザーで低く変えた声のみの出演でステージ上に登場することはなかったが、2008年11月8日放送の最後の出演で初めてステージ上に登場した。
オープニングで使用している曲は、プリンスの「Black Sweat[33]」。
『エンタの神様』に出演していた当時のギャラは最高で月50万円であったという[34]。
評価
- 放送作家の倉本美津留は「M-1のネタはコントベースらしいが、こういうスーツを着て漫才をやることがもっとも型に合っていたんじゃないか」と述べている[35]。
- 2007年の『M-1』王者である富澤たけし(サンドウィッチマン)は共演した番組で彼らのコントを見たときからその実力に目をつけており、2010年の『M-1』の優勝コンビを「スリムクラブか笑い飯」と予想していた。大会後自身のブログで「『テンポよく、ボケの手数を多く』というM-1での勝ち方をひっくり返すほどの『ゆっくりした間の面白い漫才』が現れた時にM-1は変わるだろうがしばらくそんな漫才は現れないと思っていた。ところが意外と早めに現れた。それをやってのけたのがスリムクラブだ。あの間をもたすことのできる2人の演技力は相当なものだ。早い漫才は努力でモノにできる可能性は高い。だが、スローテンポでも面白い漫才はキャラクターやセンス、そして何より勇気が必要だ」と彼らの芸風を高く評価した[36]。
- 一方で、映画監督の井筒和幸は彼らのコントを「プロ根性が見られない」という理由で酷評したこともある[37]。
その他
- 無名時代、沖縄県出身ということで映画「南の島のフリムン」に数秒ながら出演している。真栄田と諸見里大介が言い合うシーン(お互い何を言っているか分からないというオチ)は監督・ゴリのお気に入り[38]。持ちネタ「いぃよ!」も披露している。
- 芸歴は沖縄でのアマチュア時代の1997年からではあるがコンビとしての吉本所属は2005年からのため、吉本所属の芸人には同い年や年下の先輩が多く存在する。吉本では先に入ったタレントが先輩というルールのため、芸歴があっても吉本へ入社すればこれまでの芸歴はカウントされず一からのスタートとなるためである。吉本以外の芸人では1997年デビューの芸人が同期となる。そのため、吉本芸人と非吉本芸人で同期が大きく異なる。
- 「お笑い第五世代」にあたるコンビであるが、この世代の芸人を数多く輩出したネタ見せ番組「爆笑オンエアバトル」には結成してから一度も出場したことがなかった。因みに『オンバト』と『M-1』の放送時期がほぼ重なっている2001~2010年大会までに出場した『M-1グランプリ』のファイナリストの中で『オンバト』に出場経験のないコンビはスリムクラブの他に南海キャンディーズ[39]、変ホ長調[40]、サンドウィッチマンの3組しかいない。
- 舞台の出囃子はジュディ・オング「魅せられて」。
賞レース成績・受賞歴など
M-1グランプリ
その他
ライブ
- ヨシモト∞ - 「ザ・タカシ」というキャラクターを中心に、二人揃って「AGE AGE LIVE - ウェイバックマシン(2007年7月4日アーカイブ分)」に出演。
- 神保町花月 - 「クリープ(2007年7月28日 - 8月3日)」「4.5階の狂気(2007年8月25日 - 30日)」「コーポきよはる804(2007年10月30日 - 11月4日)」「ことのは(2008年2月26日 - 3月2日)」「ミセス・ダディー(2008年3月28日 - 30日)」に素顔で出演。
- 新宿7キャンプシアター(2008年7・8月、大久保公園特設テント) キングコング班「ドーナツ博士とGO!GO!ピクニック」
出演作品
テレビ番組
現在出演中の番組
過去に出演した番組
その他
ほか多数
ウェブテレビ
テレビCM
映画
脚注
外部リンク
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番組終了時点の出演者 |
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パネリスト | |
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芸人リポーター | |
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アナウンサー | |
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お天気お兄さん | |
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その他コーナー担当 | |
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気象予報士 | |
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ニュース担当 | |
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ポシュレ担当 | |
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歴代の音楽担当 |
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歴代の出演者 |
歴代MC |
杉上佐智枝(2010.4 - 2012.3、2013.4 - 2014.12) - 佐藤良子(2012.4 - 2014.9) - 上田まりえ(2014.10 - 2015.9) - 徳島えりか(2015.1 - 9)
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過去のレギュラー出演者 | |
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関連人物 | |
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関連番組 | |
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関連項目 | |
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※注 曜日は太字で出演者の前に表記。Nはナレーション。▲は隔週出演。 |
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テーマ曲 | |
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