TBSラジオ
株式会社TBSラジオ[1](ティービーエスラジオ、英: TBS RADIO,INC.[1])は、TBSホールディングスの連結子会社で、関東広域圏を放送対象地域とする中波放送(AMラジオ放送)事業を行っている特定地上基幹放送事業者である。ラジオネットワーク、JRN(Japan Radio Network)のキー局である。 略称は厳密には存在してはいるが、ラテ兼営時代の通称かつラジオ分社以降の呼出名称(コールネーム)でもある現社名かグループ会社(兄弟会社)のテレビ単営局TBSテレビ共々TBSと表記される場合が多いため、略称が用いられる場合は滅多にない。 AM周波数が954kHzであることから関東ローカル向けにはTBSラジオ954または954 TBSラジオという呼称も使用されていたが、2015年12月7日よりFM補完中継局が周波数90.5MHzで開始したことからジングル等の変更が行われた。 コーポレートメッセージは「聞けば、見えてくる。」「ときめくときを。」。 本項では、法人としての『株式会社TBSラジオ』、および放送局としての『TBSラジオ』について述べる。 概要1950年(昭和25年)、電波監理委員会はラジオ民間放送への門戸開放について、当面は東京2局、その他1局に対し認可を認めることとした。これに対し、個別に民間放送の準備を進めていた「朝日放送」(大阪の朝日放送と同じく朝日新聞社による計画)、「ラジオ日本」(毎日新聞社による計画)、「読売放送」(読売新聞社による計画)、「東京放送」(日本電報通信社による計画)の4社は、原安三郎らの仲介により合同を模索。開局申請を一本化することとし、1951年(昭和26年)1月10日に株式会社ラジオ東京(資本金1億5,000万円)として電波監理委員会に申請書を提出した[4]。同年、12月25日に全国で6番目、東日本初の民間放送局として開局した[注釈 2]。当時の局名はラジオ東京(ラジオとうきょう・社名も同じ)。1955年(昭和30年)テレビジョン放送事業参入の後、1960年(昭和35年)に社名が東京放送(とうきょうほうそう)に、略称がTBSに変更されて以降、ラジオ放送事業はTBSラジオと呼ばれることとなった。 開業当初、ラジオ東京、新日本放送、ラジオ九州の毎日新聞社系のラジオネットワーク、RAPPONの構想があったが、これが後にジャパン・ラジオ・ネットワーク(JRN)結成の前史となる。 2000年(平成12年)3月21日、東京放送の合理化の一環として、同局のラジオ番組の制作と、広告営業を主とするラジオ事業の現業全般を行う子会社として『株式会社TBSラジオ&コミュニケーションズ』(ティービーエスラジオ アンド コミュニケーションズ、TBS Radio & Communications, Inc.、略称:TBS R&C)が設立され、翌2001年(平成13年)10月1日、東京放送から中波放送の免許(周波数954kHz、コールサインJOKR)を承継し、一般放送事業者(現・民間特定地上基幹放送事業者)に事業転換した。しかし、この時点で既に「TBSラジオ」の名の方が広く浸透していたためにその社名と略称はあまり用いられず、2016年(平成28年)4月1日にその名に揃えて『株式会社TBSラジオ』に社名変更した。以降はTBS Rを略称としているがそれすら同じ理由で全く定着していない[注釈 3]。結局のところ「TBS R&C」「TBS R」共に東京放送→TBSテレビと当社を厳密に区別するためだけに用いられるのが実態であり、東京放送時代からの流れに加えてその運営体系も手伝い、TBSテレビ(ともすればTBSHDも)とひとまとめにされる形で「TBS」と略記される[注釈 4]のが一般的であることは相変わらずのまま現在に至る。 その後、TBSグループの再編があり、東京放送から社名変更した東京放送ホールディングス(TBSHD)傘下に、テレビ放送事業者であるTBSテレビ(当社同様、テレビ番組制作会社から事業転換)と、ラジオ放送事業者である当社が置かれる体制へ移行した。実際はテレビ・ラジオ両社は勿論BS-TBS[注釈 5]もTBS放送センター内に本社・演奏所を置く、アナウンサーが後述の理由で3波共通、スタジオも一部共有するなど、実質的には従前のラテ兼営局と同然の運営体系を取っている。それでも会社が別である以上、3社それぞれが日本民間放送連盟の会員となっており、民放連でも「TBSテレビ=地上波テレビ単営」「TBSラジオ=ラジオ単営」「BS-TBS=BSテレビ単営」として扱われている[注釈 6]。なお東京放送時代、ラジオでは時報前などの局名告知の際、「TBS、東京放送です」と言うことが多く、各電波の中でTBSラジオが最も社名を出していた。 広報活動の一環として、TBSラジオ番組パーソナリティのインタビューやイベント情報、横浜ベイスターズ情報[注釈 7]や番組表などが掲載されたフリーペーパー「TBSラジオPRESS オトビヨリ」(1980年の発行開始から2021年4月までに誌名は「THE954」→「THE954PRESS」→「954press」→ 「TBSラジオPRESS」と変わっている)を発行(都営地下鉄駅やイトーヨーカドー店舗(東京都・埼玉県・神奈川県・千葉県)、TBSハウジングなどで配布)しており、郵送による取り寄せも受け付けている[6]。2018年からは「TBSラジオfam(ファム)」の名称で同誌の配布サービスを行う施設を募集している[7]。2020年2・3月号までは偶数月1回の発行だったが、4月号からは不定期発行となった。過去にはラジオ編成部による直出情報にて構成されたメールマガジン「954プレスメール!」[8]を毎週金曜日に配信していた。また、分社化以前にはTBSテレビで放送終了前に深夜番組の番宣、スペシャルウィークにはそれ以外の時間帯でもプレゼント企画に関する告知CMなどテレビCMを放送したり、『ムー一族』や『ザ・ベストテン』『キャッチアップ』といった番組でTBSテレビのカメラがラジオスタジオへ入る事もしばしば見られたが分社化以後はそのようなことはなくなった(テレビの企画でカメラが入るケースは分社化後も稀に見られる)。 ロゴマークは企業ロゴと放送局ロゴで分かれていたが、2020年4月のロゴ変更により統一された。以前の企業ロゴは、グループ共通の「TBS」ロゴの右に「ラジオ」[注釈 8](社名変更前は「RADIO &(改行)COMMUNICATIONS」)と書かれた青色のものであった。導入から2001年までは放送局ロゴも兼ねており、その際は「ラジオ」の右にさらに同じフォントで「954」が付け足されていた。 今後の予定として、広告収入の低迷による設備更新の費用負担や、ワイドFMとの二重投資などを解消するためAM(中波)を停波し、北海道・秋田を除く全国のAM放送を行う民放43社と合わせてFM放送への転換を計画していることを2021年6月15日に発表した。現行の制度ではAM局がFM局に転換することは難しいため、2022年度に法規制の改正を行い、2028年秋の免許更新時にFM放送へ一本化する計画である[9][10]。なお、総務省は2024年2月にAMの停波実証実験を行う予定であるが、AM放送の送信所が埼玉県戸田市の親局しか無いことや東京都墨田区の東京スカイツリーから送信されるワイドFMの電波が届きにくい北関東3県(群馬県・栃木県・茨城県)の聴取者への影響が大きいことからTBSラジオを含む在京AMラジオ3局(TBSラジオ・文化放送・ニッポン放送)は停波実証実験に参加しない予定である[10][11]。 聴取率TBSラジオの放送対象地域では、ビデオリサーチが1990年から、東京駅から35km圏内における居住者の聴取状況(個人聴取率)を偶数月(2月・4月・6月・8月・10月・12月)に調査している。調査期間は基本として第3週の7日間だが、2009年までの4月・6月・8月には2週間にわたって実施していたほか、オリンピックの開催年には開催期間中(冬季は2月・夏季は8月)のみ期間を変更している。 TBSラジオは、2001年(平成13年)8月から2021年4月分までの聴取率調査で、119期(19年10か月)にわたって聴取率トップの座を維持。この時期には、「首都圏で一番聴かれているラジオ局」とも称していた[12][13]。 長年にわたって聴取率が好調だった背景には、JRN(TBSラジオが基幹局)やJNN(東京放送→TBSテレビが基幹局)といった全国規模のニュースネットワークの豊富な取材力を生かしたニュース・情報番組が、ラジオ番組に長年親しんできた世代(50 - 60代)から手厚い支持を受けていたことが挙げられている。現に、放送対象地域が同じ(関東広域圏)で全国ラジオネットワーク(NRN)の基幹局である文化放送やニッポン放送と違って、平日の深夜に『ハローナイト』の放送を開始した1986年(昭和61年)秋の改編から(一時期を除いて)聴取者層の年齢を上記の局より高めに設定。 聴取率の調査対象者が2001年(平成13年)10月期より69歳まで引き上げられたことも、TBSにとっては追い風になっていた[14]。 聴取率よりも「radiko」でのアクセスデータを重視する方針への転換2018年10月までのTBSラジオは、前述した聴取率調査の対象週を、他の調査対象局と同じく「スペシャルウィーク」に設定。期間中に予算を増額したうえで、期間外のレギュラー放送では(予算などとの兼ね合いで)招きにくい特別なゲストを期間中の自社制作番組に迎えたり、聴取者向けのプレゼントを手厚くしたりするなどの施策で聴取率の上昇や単独首位の維持を図ってきた[15]。しかし、読売広告社を経てJ-WAVE(調査対象局の1つで1988年開局のFM単営局)で編成部長を務めた三村孝成が2018年6月に代表取締役社長へ就任したことを機に、同年12月から既存の聴取率調査に対する方針を転換。営業上は調査データの活用を続けながら[16]も、放送上は「スペシャルウィーク」の設定や上記の施策を取り止めている[17]。 TBSラジオでは、「スペシャルウィーク」の廃止などに踏み切った理由として、radikoでのサイマル配信開始(2010年)を機に聴取者数を「ラジオ365データ」(実測値)としてリアルタイムで把握できるようになったことを明言[15][17]。2010年代の後半からは、レギュラーパーソナリティの高齢化が進んでいることなどを背景に、自社制作で長年放送されてきた生ワイド番組を相次いで終了(詳細後述)。ラジオ東京時代の1952年から続けてきたプロ野球中継の自社向け放送業務も2017年限りで完全に終えるなど、年2回(4月・10月)の番組改編のたびにタイムテーブルを大幅に変更しながら、パーソナリティや「メインターゲット」に当たる聴取者の世代交代を図っている[18]。 (「聴取者が聴取する局の周波数や番組をあまり変えない」という意味で)「習慣のメディア」とされるラジオ[18]の世界で、TBSラジオが上記の「改革」へ舵を切った背景には、ラジオ番組への総接触時間が他のメディアに比べて少ないことや、関東地区の聴取率が2ヶ月に1回のアンケート調査でしか把握できないばかりか、収益や広告料と連動しなくなっていることが挙げられている。2021年10月の時点で「UXプランニング部長」として編成部門を率いていた萩原慶太郎によれば、このような現状の下で、「聴取率調査を『(ラジオでの広告効果を測るうえで)唯一の指標』として信じ続けても良いのか?」「普段の放送とは違う企画で聴取率を『盛る』かのようなスペシャルウィークや、高齢者の聴取をとりわけ意識した番組作りの結果として聴取率1位を獲得することは、今後のラジオ業界にとってどれほど有益なのか?」といった課題が社内から提起されたことが「改革」のきっかけになったという[13]。ちなみに萩原は、「古くからのリスナーさん(既存の聴取者)を大切にしつつも、多様な価値観を提供してきたこと」「こだわりのトークの面白さを追求してきたこと」をTBSラジオの強み、「在京他局に比べて長寿番組が多い一方で社員数が少ない故に、『トライアル』や『チャレンジ』に打って出る機会が少ないこと」を弱みに挙げたうえで、「他局との争いには興味がない。むしろ、リスナーの総数をTBSらしいアプローチで増やすことが大事」「新規(聴取者)層の開拓を目指せば、聴取率は自然と1位でなくなるので、現状では『1位だけ』にこだわる必要はない。今後は(前述した弱みを克服しながら)リスナーさん(聴取者)から愛される番組を3~4年のスパンで作らなければならない」とも語っている[19]。 もっとも、このような矢継ぎ早の「改革」が、リスナーの聴取習慣ばかりかTBSラジオの社風にも影を落としていることは否めない[20]。現に、2021年6月分の聴取率調査ではJ-WAVE、同年10月分の調査ではTOKYO FMが単独首位を初めてマーク。TBSラジオは、2022年4月改編後最初の調査(同月第3週実施分)で、全体の順位を4位にまで下げた[18]。「改革」を機に重視しているradikoでの番組聴取者総数でも、首都圏の全ラジオ局における月単位のデータによれば、2022年には全ての月で1位のニッポン放送に水をあけられていたという。さらに、事情や背景は異なるものの、同年からは「聴取率を高い水準で維持しながら平日に長らく放送されてきた自社制作の生ワイド番組(『伊集院光とらじおと』『赤江珠緒 たまむすび』)が、パーソナリティ(伊集院光・赤江珠緒)からの降板の申し入れを機に(出演者の異なる)関連番組ごと終了する」という事態が相次いでいる[20]。 これに対して、上記の「改革」以降に誕生した自社制作の生ワイド番組(『パンサー向井の#ふらっと』『荻上チキ・Session』『アシタノカレッジ』『武田砂鉄のプレ金ナイト』『こねくと』『金曜ワイドラジオTOKYO えんがわ』『アフター6ジャンクション2』など)では、YouTubeでの「生配信」(スタジオ動画の音声付きサイマル配信)を通じてTBSラジオの放送対象地域(関東広域圏)外からの聴取にも対応。さらに同局では、ポッドキャスト限定で定期的に配信される音声コンテンツの制作に活路を求めている。 なお、三村は2023年6月に代表取締役社長を退任。後任はTBSテレビ出身の林慎太郎で、三村は退任を機に、代表権のないTBSラジオの会長職へ異動した。その一方で、2023年度に入ってからは、関東地区の聴取率調査と重なる放送週限定のリスナープレゼント企画が一部の生ワイド番組で事実上復活している[21]。2024年には、営業担当者によるCM素材の無断差し替えが発覚したことを受けて、三村が9月30日付で会長職を退任。林は社長職にとどまりながらも、10月1日付で代表権を返上した。 支社・支局
聴取手段
戸田送信所
墨田FM補完中継局2015年12月7日 13:00より、FM補完中継局からの放送を開始した[27][28][29][30]。戸田送信所被災時に放送できなくなった時の対策や、都心部での高層建築物による難聴取や雑音などの解消を目的として放送を行う。AM放送での補完目的で放送されるため、AMとFMのサイマル放送となるが、AMはモノラル放送なのに対し、FMはステレオ放送である。
radikoパソコン・スマートフォン向けに地上波放送と同じ番組やCMをサイマル配信するサービス。2010年3月15日の試験配信開始より参加しており、当初は南関東1都3県(東京・神奈川・埼玉・千葉)が配信エリアだったが、同年12月1日の本サービス以降は北関東3県(群馬・栃木・茨城)でも配信されている。音声はモノラルに変更されたAMとは異なり、引き続きステレオで実施[32]。 放送局記号は「TBS」(前述の通り本来はTBSテレビの意味)。 radikoプレミアム2014年4月1日開始。radiko公式サイトのプレミアム会員登録(有料)を行う事で、前述の通常配信対象地域である関東1都6県外の日本国内でもradikoを利用した聴取を可能にするもの。ただし、エリアフリー配信許諾の都合上、2014年4月から2018年4月まで、以下のレギュラー番組放送中は1都6県外での聴取を遮断、休止していた。
なお、以下の番組は当初プレミアムでの配信が行われていなかったが、許諾処理を行った上で順次配信されるようになった。
J:COMケーブルネットワーク2014年5月27日からJ:COMのケーブルネットワーク(J:COMテレビのデータ放送の音声送信機能)を通じてのAMラジオ音声の再送信が行われている[34][注釈 10]。
沿革1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
補足
演奏所・スタジオ→「TBS放送センター § スタジオ」を参照
過去に使用していたスタジオ
番組→「TBSラジオ番組一覧」を参照
番組の編成傾向・歴史1980年代までは「真面目さ」を前面に押し出していて、「民放のNHK」とも呼ばれていた。実際には関東地区の聴取率調査でニッポン放送に長らく水をあけられていたが、2001年8月から2021年4月までは119期連続で単独首位の座にあった(詳細前述)[177]。 2022年4月の改編時点で森本毅郎・生島ヒロシ・毒蝮三太夫が30年以上にわたってパーソナリティを務める番組を制作していたり、『歌のない歌謡曲』の自社制作版を50年以上にわたってレギュラーで放送したりするなど、番組の制作や編成には長期安定志向が見られる。その一方で、在京他局の番組で人気を博していたラジオパーソナリティ(ニッポン放送の伊集院光やTOKYO FMのライムスター宇多丸など)や、ゲストやコメンテーターとして出演していた文化人(荻上チキやジェーン・スーなど)を帯番組のパーソナリティへ抜擢することも多い。 かつては、大相撲が「若貴ブーム」で盛り上がった平成時代初期の『まった無し!大相撲』(大相撲本場所のダイジェスト番組)、第2次声優ブームの下で数多く編成されたアニラジなど、他局(主に文化放送)で好評を博していたジャンルの番組を後から制作することもあった。聴取率で他局の後塵を拝し続けていた1990年代には、他局のアナウンサー出身のパーソナリティ(ニッポン放送出身の高嶋ひでたけ[注釈 37]や文化放送出身の吉田照美[注釈 38]など)に冠番組を一時任せていたが、短期間で終了してからは両者ともTBSラジオの番組にレギュラーで出演していない。 その一方で、2000年代の後半に入ってからは、20年以上にわたって自社制作で放送されてきた番組を続々と終了(下記参照)[178]。2018年に聴取率調査の結果よりもradikoでの実測値を重視する方針へ転換してからはこの傾向が顕著で、関東地区のAMラジオ局および、民放ラジオネットワークの基幹局としては初めてプロ野球中継の自社向け放送業務を同年から完全に取り止めている[注釈 39][179][180][181][182]。
自社制作以外の番組では、2023年春改編の時点で、JRN/NRNクロスネット局の朝日放送(ABC)ラジオから4本の単独提供番組(うち3本はSky提供)を対象にネット受けを実施[注釈 41]。ラジオ大阪(NRNシングルネット局)が制作する『司馬遼太郎短篇傑作選』も、スポンサーの事情や同時ネットが可能な番組編成事情を背景にレギュラーで放送している[注釈 42]。 アナウンサー→詳細は「TBSテレビのアナウンサー一覧」を参照
前述の分社化後に「TBSアナウンサー」として番組に出演しているパーソナリティは、会社法上、番組毎に東京放送→TBSテレビから在籍出向してくるという体制を採用しているため、分社化後のTBSラジオは自社でアナウンサーを雇用していない。BS-TBSも同様の体制を採用しているためにTBSグループのアナウンサーは地上波テレビ・地上波ラジオ・衛星(BS)チャンネルの3波で共通になっている。 この「ラテ兼営局から分社したラジオ単営局では原則アナウンサーを自社雇用せずに関連会社のテレビ単営局から番組毎に出向してくる」体制は、後に同じくラジオを分社化したSTVラジオ(札幌テレビ放送から)[注釈 43]・CBCラジオ(中部日本放送→CBCテレビから)・朝日放送ラジオ(朝日放送テレビから)・MBSラジオ(毎日放送〈MBSテレビ部門が残る2代目〉から)も踏襲したことで事実上のラテ兼営局共通の特徴と化している。その上スカイAやGAORAも同様の体制を採用している[注釈 44]ために朝日放送グループとMBSグループではTBSグループと同様に地上波テレビ局のアナウンサーが地上波テレビ・地上波ラジオ・衛星(CS)チャンネルの3波に出演できる体制を維持している。 「TBSアナウンサーのパーソナリティ化」をめぐる動きテレビ・ラジオ兼営体制時代の東京放送(TBS)では、自社のアナウンサーから久米宏・大沢悠里・小島一慶・松宮一彦といったラジオパーソナリティを輩出していた。しかし、1990年代の前半にスポーツアナウンサーの退職・急逝・スポーツ担当からの引退が相次いだことで状況が一変。他局のスポーツアナウンサーを中途採用扱いで1993年から3年続けて入社させたり、新卒採用の男性アナウンサーにスポーツ関連の番組を優先的に担当させたりするなど、スポーツアナウンサーの育成を重視するようになった。その一方で、主にラジオ番組を担当していたアナウンサー(小林豊や鈴木順など)が活動の軸足をテレビ番組へ移す事例や、アナウンス以外の部署に異動する事例も続出。TBSのアナウンサーがパーソナリティを務めた番組が聴取率の面で苦戦を強いられたことや、「ラジオ好き」を公言しながらTBSに採用されたアナウンサーが海保知里や豊田綾乃など少数にとどまっていること[注釈 45]もあって、「TBSアナウンサーのパーソナリティ化」の機運が1980年代までの時代ほどには高まらなかった。 TBSからラジオ放送の事業と免許を承継したTBSラジオでは、ラジオ番組のプロデューサー・ディレクターを志す人材を不定期で募集しているものの、アナウンサーを自前(正社員)では採用していない。このような事情から、実際には前述したように、TBSテレビへ転籍・入社したアナウンサーが「番組出向」扱いでTBSラジオの番組へ出演している。その典型が「テレビ好き」を公言している安住紳一郎で、2004年度のナイターオフ期間に放送された『倶楽部・アナ魂ダ!』(自身をはじめTBSテレビのアナウンサーがパーソナリティを日替わりで務めていた生放送番組)への出演が転機になって、多数のテレビ番組への出演と並行しながら『安住紳一郎の日曜天国』(毎週日曜日午前中の生ワイド番組)のパーソナリティを担当。テレビ番組での知名度や人気の高さとも相まって、『日曜天国』を関東地区の聴取率調査で全局・全時間1位を記録するほどの番組に育て上げている。2000年代の後半からは、安住以外のアナウンサーからも、若干名が生ワイド番組のメインパーソナリティや(パーソナリティと同格扱いの)「パートナー」としてレギュラーで出演。外山惠理が複数の番組へ長年にわたってレギュラーで出演しているほか、2022年の4月改編からは、井上貴博が『Nスタ』(TBSテレビ制作の報道・情報番組)平日版のメインキャスターを務めながら『井上貴博 土曜日の『あ』』(土曜日の午後に通年で放送される生ワイド番組)のパーソナリティとしてラジオ番組へのレギュラー出演を再開。他にも、平日の生ワイド番組のメインキャスター・進行を担当するアナウンサーの中で複数名がTBSラジオの生放送番組にレギュラーで出演しているケースが見られる。 なお、TBSラジオの発足後も、『TBSニュース』の担当キャスターや他番組のレギュラー出演者が休演する場合には、TBSテレビ所属のアナウンサー、TBSラジオ(専属の)キャスター、フリーアナウンサー(TBSアナウンサー出身の生島ヒロシが設立した「生島企画室」所属のアナウンサーなど)から代役を起用している。 TBSラジオキャスターTBSラジオの関連会社であるTBSグロウディア(旧ティーエーシー→TBSプロネックス)所属のアナウンサー[183]で、1969年7月にラジオカー「TBS950」(現:TBS954)が導入されたのにあわせて起用された「TBS950キャスタードライバー」がその起こりで[184]、その後「TBS954キャスタードライバー」「TBS954情報キャスター」を経て現在の名称となった。通常は、TBSラジオの生ワイド番組内で中継リポートや交通情報を担当している。 一部のキャスターは、上記の担当と並行しながら、TBSラジオが制作する番組の一部(『クラブ954』『井上貴博 土曜日の『あ』』など)のパーソナリティをレギュラーで務めている。他の番組にも、レギュラー出演者の休演日には、アシスタント代理として随時出演。週末を中心に定時ニュース(『TBSニュース』)、TBSラジオがJRN向けに制作する国政選挙の開票特別番組で速報キャスターやリポーター(放送上の肩書は「記者」)を担当することもある。 以下は2022年6月時点でのキャスターで、*は交通情報の担当経験者。 2022年6月の時点では、楠葉が交通情報の担当をただ1人続けているほか、田中が『井上貴博 土曜日の『あ』』のアシスタントをレギュラーで務めている。 交通情報放送上のタイトルは基本として「TBSラジオ 交通情報」だが、ゴールデンウイーク中の放送では「TBSラジオ ゴールデンウイーク交通情報」、お盆前後の放送では「TBSラジオ 夏休み交通情報」、年末年始の放送では「TBSラジオ 年末/お正月交通情報」というタイトルを使用。1970年代の後半までは「交通ニュース」、AM放送の周波数を954kHzに変更してからワイドFMの本放送を始めるまでは「954 TBSラジオ交通情報」、1990年代には深夜帯(『岸谷五朗の東京RADIO CLUB』)への内包分に限って「東京トラフィック・ナウ」と呼んでいた。 TBSラジオは曜日を問わずほぼすべての回で警視庁交通管制センターTBSスタジオの専属キャスター(女性のみ)からの情報提供である。日本道路交通情報センター(JARTIC)の職員のアナウンスによる交通情報は平日の14時50分頃の1回のみである(首都高速道路会社本部内の首都高速センターと中継[注釈 46])。放送時間は概ね20分台と50分台、日曜の場合は『爆笑問題の日曜サンデー』開始前の12時59分から時報CM開始までスポット枠で交通情報が入る。交通情報は、パーソナリティーからの「時刻は〇時〇〇分、ここで(スポンサーが付く時は「○○がお送りする」)TBSラジオ交通情報です。警視庁(交通管制センター)の○○さん、お願いします。」[注釈 47][注釈 48]という呼びかけに「はい」または「はい、お伝えします」の一言で始まる。その番組の最初の枠ではパーソナリティの「お願いします」が「おはようございます」や「こんにちは」などの挨拶になる場合があり、その時はそれに返す。アナウンス終了時はキャスター本人の名前は名乗らず「以上です」または「警視庁から以上です」で締める。生ワイド番組の最初の枠の場合はその後に「今日もよろしくお願いします。」とパーソナリティーに挨拶する場合もある。時間がある時はスタジオのパーソナリティーと前後に掛け合いが入ることもある。なお、スポット枠のように、呼びかける人がいない場合でも、名乗らずに終わる。スポット枠の場合はパーソナリティの代わりに次の放送時間を告知する。 さらに、2019年(令和元年)9月27日までの平日[注釈 49]昼間[注釈 50]の毎時1回目の交通情報では隣接県(神奈川県・埼玉県・千葉県)の県警の交通管制センターにも専属キャスターまたはTBSラジオキャスターを配置し、警視庁からの報告に続ける形で放送を行っていた[注釈 51]。原則的には、警視庁→神奈川→埼玉→千葉の順で放送されていたが、例外的に2017年度に放送されていた『都市型生活情報ラジオ 興味R』では変則的な順番で放送されることも多かった。なお、県警発がある番組のうちほとんど[注釈 52]は、パーソナリティーが「警視庁から続けてお願いします、警視庁の○○さん。」と警視庁担当者のみ呼びかけ、警視庁以外の担当者は最後に「(神奈川/埼玉/千葉)から○○でした」と名乗っていた。最後になる千葉のキャスターは「◯◯さん(パーソナリティ名)さんどうぞ」などとスタジオに返すこともある[185]。なお、当時『アフター6ジャンクション』内の18時15分頃に放送されていた交通情報では警視庁の後はその都度、一旦スタジオに戻してから神奈川・埼玉・千葉を呼びかけ、最後に警視庁・神奈川・埼玉・千葉をもう一度繋いで、スタジオの計らいで運転中のドライバーへのメッセージ(「今日も安全運転 お疲れ様です!」)を言って終わるという他時間帯とは異なるフォーマットになっていた。 BGMは番組によって異なる[注釈 53]。交通情報開始時のジングルは同局内で統一されたメロディーではあるものの、各番組によってステレオ音声の左右のチャンネルが異なっている。また、全国ネットの生放送番組ではジングルは無く、各番組独自のBGMに乗って始まる[注釈 54]。なお、このジングルは過去3回変わっており、現在は4代目となる[注釈 55]。 限られた時間内により多くの情報を伝えるため、キャスターによるアナウンスは言葉の簡潔化が図られている。例えば、通常の日本道路交通情報センターの場合「中央自動車道上り線、相模湖と八王子の間の小仏トンネルで20キロの渋滞です。渋滞通過に90分かかっております」というところ、TBSラジオでは「中央道上り小仏トンネル20キロ、通過に90分」と短く、また、高速道路のインターチェンジを言う場合、「○○インター」の「インター」を飛ばしてアナウンスする傾向が強い。3桁国道の場合、頻繁に出てくる国道246号、国道254号、国道298号、国道357号などは数字のみで(ニーヨンロク・ニーゴーヨンなど)呼ぶ場合もある。 警視庁管轄なので建物火災による交通規制や渋滞を伝える場合、火災現場の住所や出動した消防車の台数、怪我人の数など、交通事故の場合は具体的な事故現場の住所、事故車輌の数、怪我人の数などを詳細に伝える。イベント等で交通規制がある場合もそれも伝える。キャスターのアナウンスには各個人に個性があり、例えば阿南京子においては頻度は少ないが渋滞中の通行車輌の速度や、都内で行われるデモ行進の情報を織り込んで伝える場合があった。また、番組中で場所や地名などが話題になると、その周辺の交通情報を差し込む場合もある。 金曜日の午前中からランチタイムにかけて生放送を実施している『金曜ボイスログ』では、一般道での事故や首都高速道路の入口閉鎖の情報が入った場合に、規定の放送時間とは別にスポット交通情報が入る。2022年3月まで6年間にわたって月 - 木曜日の同じ時間帯に放送していた『伊集院光とらじおと』でも、このような措置を講じていた。また、『森本毅郎・スタンバイ!』では道路の情報の前に、鉄道関連の情報をパーソナリティーの遠藤泰子が伝える。他の番組では、交通情報のタイミングとは関係なく、遅延や運転見合わせが発生した場合にパーソナリティ(『アフター6ジャンクション』シリーズでは曜日別にパートナーを務めるTBSテレビの新旧アナウンサー[注釈 56])から伝えられる。 2023年(令和5年)10月現在の各担当キャスター 【警視庁】2018年4月2日からは、出演時間は平日の場合朝番が5時25分 - 10時、昼番が10時 - 15時30分、夜番が15時30分 - 19時40分に変更[注釈 57][注釈 58]。土・日曜日は時間が異なる[注釈 59]。いずれもシフト制となっている。
【各県警】2019年(令和元年)9月27日をもって、神奈川県警・埼玉県警・千葉県警へのキャスターの配置を廃止した[186]。同日の『アフター6ジャンクション』が最後の放送となった。以下は廃止時点での担当者。
【過去の担当キャスター】
時報時報は2000年(平成12年)3月以前はTBSテレビ(アナログ)と同じものを使用しており、正時の2秒前からのカウントされる2点時報[注釈 60]で「ピ(ハ低音)、ピ(ハ低音)、ポーン(ハ高音)」であった(TBSテレビの時報は地上デジタル放送完全移行により、現在は放送されていない)。 TBSラジオ&コミュニケーションズが発足した2000年(平成12年)4月1日からは、当時の技術スタッフだった小沢冬平が時報音を作成[188][189]、これまでの2点時報に音楽をかぶせて、「ピポパポパ、ポーン」(ハ高音)となっている。時報の音楽はラジオのコールサインJOKRをモチーフにしたもの[注釈 61]。radikoでは時報が流れず無音となっているが、『JUNK』や『荻上チキ・Session-22』放送中など、番組によっては薄らかに聴こえる事がある[注釈 62]。 2022年(令和4年)8月1日からは、TBSグループが『最高の“時”で、明日(あす)の世界をつくる。』のブランドプロミスを軸に同年7月より導入したブランドサウンド[注釈 63][190]をベースに、前回同様小沢によって作られた時報音を使用している[191][188][189]。2点時報に音楽を被せるスタイルや音楽のメロディは先代の時報音を踏襲している。 ラジオ時報CMのスポンサーの変遷は以下の通り。
※たまに、TBSラジオからのお知らせ→時報の場合もあり(平日22時の時報は、TBS制作映画や舞台の告知が多い) 時報スポンサー
オープニング・クロージング放送開始・終了時には文化放送(QRソング)やラジオ大阪(OBCソング)と同様に歌が流れる。その歌はキャッチフレーズの変更と共に過去に2回変えられた。
※以前、毎月1日は緊急警報信号の試験発射のため無しだった(月曜日を除く)。現在は緊急警報信号が第2週目の日曜放送終了後(試験が無い場合もある)に移動したため放送されている。なお、緊急警報信号のアナウンスは生放送で行っており、宿直のスタッフなどが行っている。稀にクロージング終了後にTBSラジオキャスターが台風情報を読み上げることがあり、その流れでラジオキャスターが緊急警報信号のアナウンスを読み上げるケースも存在する。2023年4月23日深夜の放送終了時にはこの日行われた統一地方選に関する臨時ニュースを読み上げた記者がそのまま生放送でクロージング・コールサインを読み上げた。
完全分社化に伴う告知放送2001年(平成13年)9月30日の23:59から10月1日の0:01にかけて、完全分社化(正式には放送事業・免許を東京放送(その後テレビ専業を経て現在は放送持株会社のTBSホールディングス)から当社に継承)に伴う告知放送が行われた。
歴代コーポレートメッセージここでは、「ラジオ東京スピリッツ〜TBSラジオ開局60周年」内の過去の番組表より確認できたものを示す。なお、一部使用期間が重なるものもある。
その他のメディア以下はTBSラジオが制作する、中波放送・FM補完放送・radiko以外のマスメディア。 現在運営中
放送終了
著名な在籍者在籍中
過去
トラブルによる放送休止
不祥事放送番組での不祥事2023年(令和5年)4月、土曜日深夜の番組『俺達には土曜日しかない』同年4月22日(23日午前)放送回で紹介したラジオネーム「サキピ」からのメールがスタッフの自作であったことを明らかにした。さらにそれ以前にも同様のケースが現時点で13件確認されたことも併せて報告した。これについて局は「番組をお楽しみ頂いているリスナーの皆様、パーソナリティ、番組を支援いただいているスポンサー及び関係者の皆様の信頼を損ねる行為であったこと、深くお詫び申し上げます」等とする謝罪文を局の公式サイトに掲載した[201][202]。 この件について同年5月31日に行われた定例記者会見で社長の三村孝成(当時)は「番組を楽しみにしていただいているリスナーの方々。パーソナリティーの綾小路翔さん、スポンサー、関係者の皆さまの信頼を損ねる行為」とし「今回の件は重く受け止めておりまして、二度と起きないように徹底しております」等と謝罪。原因について「あるリスナーの悩みを解決するための回答が同じような内容が多かったために、スタッフが(回答の)バリエーションを増やすために自作してしまったのが原因」と述べた[203]。 CM素材を巡る不祥事2022年(令和4年)4月、広告主から納品された複数のCM素材のうち、一部のCM素材について、「放送には検討を要する」との意見が考査において出されたことを受けて、TBSラジオの担当者が独断でCM素材の進行表を書き換えた上で既に考査を通過している別のCM素材に約2年超にわたって差し替えていたとして、2024年(令和6年)6月19日に謝罪した[170][171][172][173][174]。 その後同年9月4日に同局の社内調査およびTBSホールディングスの第三者を交えた委員会による調査の結果を公表、その中で6月に公表した広告主1社の無断差し替えに加え、同広告主と別の広告主1社の計2社の生CM無断差し替えが確認されたことが判明した。いずれも同じ営業担当者と広告会社が担当しており、担当者は2022年11月から2024年6月にかけて、考査の見解をもとに生CMの原稿に変更を加え、広告会社・広告主に報告しないまま放送していた。放送確認書の偽造は公表した分以外にはなく、他の担当者による不正や上長からの指示など組織的な関与もなかったとしたが、社内規定に基づき担当者や上長などを懲戒処分するとともに、経営責任を明確にするため、会長の三村孝成が9月30日付で辞任、社長の林慎太郎が10月1日付で代表権を返上し、同日付でBS-TBS専務取締役の向山明生を代表取締役会長に就任させる人事を決定、あわせて林は役員報酬の月額30%を3ヶ月間自主返納することになった。また再発防止策として、不正の余地を無くすため営業担当者をCM進行表や放送確認書の業務に関与させない体制作りを徹底するとともに、社員教育の見直しを実施するとしている[204]。 9月6日、日本民間放送連盟はTBSラジオに対し4日に厳重注意を行ったと発表した。再発防止に向けた取り組みの着実な実行も求め、また同時に会員全社に対し、CMをめぐる社内プロセスの再点検などを要請した[205][206]。 脚注注釈
出典
参考文献
関連項目
外部リンク
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