原田泰造
原田 泰造(はらだ たいぞう、1970年〈昭和45年〉3月24日 - )は、日本のお笑いタレント、俳優。お笑いトリオ・ネプチューンのボケ担当。愛称はタイゾー、泰ちゃん。広島県広島市出身。ワタナベエンターテインメント所属。血液型はB型。既婚者で一男一女の2児の父。姉と弟が1人ずついる。 略歴1970年3月24日、父親の故郷である広島市で生まれた[2][3][4]。3歳まで同市で育ち、父親の転勤により、その後小学校1年生まで札幌市、さらに小学5年生まで狛江市[2]、小学6年生以降は立川市で育ち、その後、現在の実家がある東村山市に転居[2][3]。 両親は過去に、所沢市松葉町(新所沢駅東口付近)で「ランチショップたきたて」という屋号の弁当店を営んでいた。幼少からテレビの世界に憧れ、内緒で児童劇団に応募したこともあったが、両親が月謝を払うことができず断念した[5]。実家の家業を継ぐことを見据え、農業高校(東京都立農芸高等学校)に進学。自身は、「中3で進路を決める時は芸人になりたいとは思っていなかった。両親や、店を手伝っていた姉を少しでも楽にさせるために本気で弁当屋を継ごうと思い、そのためには何も知らないよりかは何か知っていた方がいいと思い、農業高校を選んだ」と語っている[6]。 高校卒業後、「何でもいいからテレビに出たい」という思いのもと、モデル・俳優などのオーディションに応募する[5]。 お笑い芸人として 1990年、高校時代の友人を誘い、当時のアルバイト先の居酒屋「村さ来」にちなみ「パープルン」という名でお笑いコンビを結成し[5]、渡辺プロダクション(現在のワタナベエンターテインメント)のオーディションに合格[2]。しばらく活動していたが、すぐに解散した。 新しい相方を探していたところ、オーディション時に一緒で、当時ピンで活動していた堀内健に目が止まり、泰造から声をかけ、1991年に堀内と通りすがりのラブホテルから命名した「フローレンス」を結成[5]。1993年に元ジュンカッツで先輩の名倉潤が加入し、お笑いトリオネプチューンを結成[7][8]。 ネプチューンはバラエティ番組『タモリのSuperボキャブラ天国』(フジテレビ)に出演後、泰造はショートコントの"ホストのアキラ"役として人気上昇。テレビ出演が増加した。 トリオでは堀内と共にボケ担当だが、堀内がピンでバラエティやお笑い番組にゲストで出演することはあるが泰造は全くない。 俳優、マルチタレントとして 10代の頃、芸能雑誌『JUNON』(主婦と生活社)が主催するジュノン・スーパーボーイ・コンテストに応募したが落選(オーディションでは長渕剛の『とんぼ』を歌った)[9]。その後エキストラの会社に所属し、1991年のNHK大河ドラマ『太平記』には死体役として出演していた。 1995年、TBS愛の劇場『ママに宿題』に出演。1998年ネプチューン初主演映画「どつきどつかれ」にて主人公のリイチ役として主役デビュー。2000年に『編集王』(フジテレビ系列)でテレビドラマで単独初主演を務め、その後『水曜日の情事』、『ビッグマネー!〜浮世の沙汰は株しだい〜』等数々の民放ドラマに出演、2004年公開の『ジャンプ』では単独映画初主演も果たし、2008年にはNHK大河ドラマ『篤姫』にて大久保正助役、2010にはNHK大河ドラマ『龍馬伝』にて近藤勇役として出演。 2005年7月、舞台「キスへのプレリュード」に主役で出演、これにより同年度の第43回ゴールデン・アロー賞・新人賞を受賞。(なお、その7年前にはネプチューンとして同・芸能賞(現在の放送賞バラエティ部門)を受賞したことがある。) 他にもネプチューンでの活動としてCDリリース・バラエティ番組の司会・クイズ番組のパネリスト等で活躍し、泰造単独でも声優・ドキュメンタリーのナレーション・キャスターなど様々な分野でマルチタレントとして活躍しているが前述のようにバラエティー番組やお笑い番組にはピンでゲスト出演することはない。 二児の父として 1995年、村さ来でアルバイト時代に出会った女性スタッフと結婚[10]。結婚・出産当初は無名時代だったため、結婚の事実を公表する機会がなく、1998年のブレイク後、マスコミから「"隠し子発覚"」と誤報されたため、釈明会見を開いた。 2017年6月12日放送の『ネプチューンの!なんでそんなこと言ったの?TV』で他のメンバーの前で、ネプチューンが解散の危機に陥った原因について、明かす場面があった。泰造はその理由について、当時の歩合制の給料が月3万円だったことから、当時の恋人とお腹の子供を養うために普通に働くしかないと考えていたと語った。本気で脱退するつもりだったが、名倉と堀内から祝福されたため辞める必要のない雰囲気になる。恋人(現在の妻)からも「泰ちゃんは夢を追いかけていい。私が稼ぐ」と励ましてくれたと言い、その母親も「私たちが助けるから心配しないで」と泰造を応援してくれたため、芸人を続けられたと説明していた[11]。 人物芸風がっちりとした体格をアピールした裸芸(力の限りゴーゴゴー!!での「ふんどし先生」、笑う犬の冒険の「ザ・センターマン」等)、「曲がったーことが大嫌いー♪はーらーだたいぞうです!」という自己紹介ソングで一世風靡した。近年は積極的に使わなくなったが、ドラマや映画などの制作発表会見などで披露することがある[注 1]。 かつては『タモリのSuperボキャブラ天国』で頻繁にパフォーマンスした巴投げをベースに、『おネプ』(テレビ朝日)では「ネプ投げ」「フェニックス(不死鳥)投げ」(女性を巴投の要領で下着が見えるように開脚させる投げ方)で人気を集めたが、2000年BPOから「女性を投げる際に下着や肌を意図的に見せるのは、“セクシュアルハラスメントや女性蔑視に当たる”」と指摘を受け中止、以降泰造がテレビで巴投げを披露することはなくなった[12][注 2]。 容貌・身体的特徴ジム・キャリー、三ツ木清隆、イ・ビョンホンに似ていると評され、コントで扮したり茶化して自己紹介することもある。 メンバー3人とも酒が飲めないネプチューンの中でも特にアルコールに弱く、本人曰く「飲むと必ず吐く」ぐらい弱いという。そのため「モルツ」のCMに出演したときはアルコールを抜いて撮影していたことを映画「ジャンプ」での舞台挨拶で明かした。 前歯は差し歯を詰めており、『笑う犬の生活』や『ネプリーグ』等番組内で笑った拍子に取れるハプニングも経験している。 『サタネプ☆ベストテン』(TBSテレビ)の企画にて十二指腸潰瘍が発覚し、寿命残り20年と診断されたが、禁煙・ジョギング・野菜の摂取で治癒し、寿命も平均以上まで回復した。 趣味・嗜好
その他エピソード
東京都出身と表記されることが多いが出生地は広島県で[2]、出生した広島には全く縁がないわけではなく、ローカル番組『TIM神様の宿題』(中国放送)の仕事で来広したことがある。 20歳の時、『ねるとん紅鯨団』(関西テレビ)に一般参加者として出演した経験がある。なお、結果的に泰造はカップル成立しなかった。その後泰造が芸能界に入り、石橋に再会した際このことを話したが、石橋は全く覚えていなかった[16]。 少林寺拳法の経験があり、実際に型を披露したこともある。 1998年2月17日放送の「黄金ボキャブラ天国」で、二度寝が原因で収録に大遅刻したことがある。その際、スタジオにいた堀内は「泰造はここに来る途中で山手線とロマンスカー間違えて乗っちゃって箱根に行っちゃいました」とフォローし、名倉も同調した。その後、泰造は私服姿で登場し「山手線とロマンスカー間違えました」と被せるも、直後に司会のヒロミから叱責され、土下座で謝罪し、遅刻の理由を二度寝だと認めた。 出演→ネプチューンとしての出演は、ネプチューンの項目を参照
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脚注注釈
出典
外部リンク |