東京03
東京03(とうきょうぜろさん)は、プロダクション人力舎に所属する飯塚悟志・角田晃広・豊本明長からなる日本のお笑いトリオ。略称は「03(ぜろさん)」。キングオブコント2009王者。3人とも俳優としても活動している。 メンバー
来歴結成以前飯塚は学生時代からお笑いが好きで、学園祭など人前で披露するわけでもなくネタを書いていたという[5]。高校卒業後の進路で就職か大学進学かで悩んでいた1992年、ノストラダムスの大予言が流行。10年もしない内に世界が滅ぶなら好きなことをしようと内向的な性格ながらも芸人を志す[6]。 また、豊本も高校卒業後の進路で悩み、就職も大学進学も嫌だったためお笑いは楽しそうで上京もできると考え、芸人を目指して養成所に入ることとなる[6]。 スクールJCA2期生だった飯塚は通った1年間で相方を見つけられず、3期生で当時別のコンビにて活動しツッコミを担当していた豊本を誘いコンビ『アルファルファ』を1995年に結成[7]。結成当初から漫才をやろうと思ったことはなく、その理由として飯塚はウッチャンナンチャンとダウンタウンが出演していた『夢で逢えたら』や『ダウンタウンのごっつええ感じ』、『ドリフ大爆笑』(いずれもフジテレビ)など好きになったものがコントで豊本もその世代であり、お笑い=コントだったからだという[8]。 角田は大学時代に高校の同級生2人から誘われてトリオ『プラスドライバー』を1996年に結成。元々角田は長渕剛のファンであり、歌手志望だった。『爆笑オンエアバトル』(NHK総合)ではアルファルファは22戦17勝、プラスドライバーは16戦14勝であり一定の実力を示していた。どちらもゴールドバトラーの資格を数字上満たしている[注釈 6]。 結成 - 現在周りにはアンタッチャブルやおぎやはぎ、ドランクドラゴンなど同じ人力舎所属で活躍する同世代の芸人がいた中、上手くいかず悶々とした時期が続いた[9]。2002年にプラスドライバーが活動休止を経て解散、アルファルファも解散を考えていた。 2003年9月30日、アルファルファに角田が加入する形で現在のトリオが結成された。角田が客演として参加したアルファルファのラストライブが東京03の前身となる。 角田は何気ない普通の事を言いながらそれでいて面白い。日常のちょっとしたズレを起こす角田を原点に、飯塚は日常を切り取った現在の東京03のコントへ昇華させていく[10]。変わった事をやらなければならないという思考から解放してくれたという。当時、コント内で芝居を真面目にする事は一種のボケとして認識されており、現在のコントの主流でもある、日常を切り取ったり前フリの長かったりするコントをする芸人は他に居なかった[10]。 トリオ名は、アルファルファとコントグループ『チョコレイトハンター』を組んでいた作家・オークラが命名。3人組であること、2003年に結成したこと、東京23区の市外局番をかけたトリプルミーニングである。矢作兼(おぎやはぎ)が考案した「トリオ・デ・サンシャイン」(2回目の単独ライブのタイトルになる)[11]、「ウィークエンドジェントルマン」なども候補にあった。角田はネプチューンを意識した「スリーゼウス」を考案するも、最悪な名前と言われた上に却下された。 爆笑オンエアバトルの香川大会(収録日:2003年10月4日)では結成4日目にして初挑戦初オンエアを果たし、同番組におけるデビューからオンエアまでの最短記録を達成した[12]。 2005年1月、人力舎オールスターユニット「ビジトジ」でCDデビュー。『爆笑オンエアバトル』(NHK総合)や『エンタの神様』(日本テレビ)などのネタ番組にも出演。『第3回お笑いホープ大賞』ではキングオブコメディに次ぐ2位という成績だった。その翌年(2006年)の『第4回お笑いホープ大賞』では大賞を受賞した。 テレビ静岡において、2年連続(2006年・2007年)でメインの深夜番組を持った。 2009年、長尺のコントを主戦場とする東京03は『爆笑レッドカーペット』(フジテレビ)などによるショートコントブームの煽りを受け、ライブの客足が遠退いていた。しかしながら同年9月22日、キングオブコント2009で優勝を成し遂げ2代目王者となった。セカンドステージでは全16ネタ(8組が2回ネタを披露するため)中で唯一の900点台(953点)を獲得、当時浜田雅功(ダウンタウン)と共にコンビでのMCだった松本人志(ダウンタウン)からは「優勝は当然。オチまで全てが完璧」と絶賛された[13]。優勝後は人力舎の当時の社長の計らいで全国ツアーを中心に活動し、一方でテレビ出演が増える中思う通りにならないこともあったが、「ありのままの自分を出せる」というプロデューサーの佐久間宣行と構成をオークラが務める番組『ゴッドタン』と『ウレロ☆シリーズ』(共にテレビ東京)で居場所を見い出す[9]。 2009年10月に放送されたオールスター感謝祭にて、司会者の島田紳助に挨拶をしなかったことをきっかけに収録中に紳助から恫喝されるという事件が起きた。これについて、東京03出演時の番組内でも、この話題が何度か触れられることかある。そんな中、番組収録の休憩の合間に松本人志が飯塚に「東京03はええなあ。単独ライブやって全国、回って幸せそうや」と言われたことをFNSラフ&ミュージック 歌と笑いの祭典でコメントした[14]。 2013年3月29日 - 3月31日、結成10周年を記念して同じく当時結成20周年を迎えたバナナマンとユニット『hand made works』を結成し、コントライブ『hand made works live』を俳優座劇場にて開催[15]。 2017年2月15日、毎月30日に過去のライブのコントをランダムで公開するYouTube公式チャンネルを開設[16]。 2018年1月10日、オフィシャルアプリ『TOKYO 03 Company』をリリース[17]。 2020年、コロナ禍の自粛により3月には稽古もままならない状況となり、それは7月まで続いた[5]。その間に飯塚は毎日コントの設定を出しネタ作りしているというゾフィーに触発され、趣味としてネタ作りをしていた[18]。それをオークラに見せたところ好評であり、リモートネタも作り始める[19]。これが1週間後の『隔たってるね。』に繋がる。 2020年5月19日、新しいYouTube公式チャンネル「東京03第2チャンネル」を開設し[20]、飯塚の誕生日である同年5月27日に同チャンネルでリモート単独公演『隔たってるね。』を開催[21]。 2021年9月15日、地上波では初となる冠コント番組『東京03とスタア』が同年10月3日より日本テレビ系にて放送されることが発表[22]。 2022年8月11日、地上波2回目となる冠コント番組『イザミと東京03』が同年9月10日より日本テレビ系にて放送される事が発表[23]。 2022年10月18日、2023年3月4日・5日の2日間にわたって「東京03 FROLIC A HOLIC feat. Creepy Nuts in 日本武道館『なんと括っていいか、まだ分からない』」が開催される事が発表[24]。なお、東京03にとっては初の日本武道館での開催公演となる。また、公演タイトルに特定のミュージシャンがフィーチャリングで併記される事も初である。 芸風日常に潜む「何気ないシチュエーション」を描いた究極のリアル系コント[25][26]。 最初期のコントについては飯塚と角田の2人で作っており、豊本はネタ作りに参加していない。角田が出した設定で書くこともあれば、飯塚が考えた設定で角田が自分のセリフを書くこともあったが、すぐに飯塚が殆どのシナリオを書くようになり飯塚は「結成当初は2人で完全に半々でやってたんですけど、すぐに僕の負担が大きくなって…」と述べている。また、それを受けた角田は「その方が面白いネタが出来上がるんでね!」と語っている[25]。 コント内では本名が使用されており、豊本による女性役にも前述のような本名に由来する名前がつけられている[27]。 ライブ主体で活動するため全員が潤っていないといけないという考えから、メンバー個々の活動であってもギャラは3等分にしていた[28][29]。しかし、2021年10月に豊本がパソコンでネタを清書する仕事を後輩に任せていたことが発覚し、これに対して飯塚と角田が大激怒したことから、ギャラ3等分は廃止となった[30]。 評価テンションの起伏が激しいシチュエーションや、時にリアル過ぎるほど描かれた日常コントを演じる[31]。 『エンタの神様』のプロデューサー・五味一男は「単純なボケツッコミではない高度な笑い。極限のシチュエーションでのやり取りで共感を狙っている。賛否両論あるけど、これが笑えるようになると、笑いの世界をもっと楽しめるはず」と評している[32]。 2018年にzakzakが発表した「一番面白いトリオ芸人ランキング」では、1位を獲得した[33]。 令和4年度芸術選奨新人賞(大衆芸能部門)贈賞理由として「演芸と演劇の区別がつかない独自の境地を切り開き、エンターテインメントとしてのコントの存在価値を確かなものにした」と評され、またライブ中心の活動形態を完成させた功績も評価された[34]。 出演歴メンバー単独での出演は豊本明長、飯塚悟志、角田晃広の項を参照。 テレビ現在の出演番組
特別番組
過去のレギュラー番組
その他の出演
ドラマ
ラジオ現在のレギュラー番組
過去のレギュラー番組
その他の出演
WEB番組
WEBドラマ・コント
映画
舞台
CM
ミュージック・ビデオ
作品DVDDVD一覧
書籍
単独ライブ東京03単独公演第1回~第3回まではライブのタイトルのみ、第4回から第9回までは「東京03単独ライブ」、全国で公演が行われるようになった第10回以降からは「東京03単独公演」と銘打っている。 基本的に単独ライブのタイトルは3部作で括られている[49]。以下がその例。
第21回単独公演では4万人以上を動員した[50]。 第22回単独公演に関しても8月から11月にかけて全国公演が予定されていたが、新型コロナウイルス感染症流行の影響により、2020年6月26日に人力舎の公式サイトにて振替公演を含む全公演の中止が発表された[51]。その後協議を重ねた結果、9月から11月にかけて東京と大阪でのみ、感染症対策を行って開催される事となった[52]。また、この回からグループ初の試みとなる公演のライブ配信も実施されている。 「ヒューマンタッチ」「祝!!」の2公演以外は全て映像化されている。ただし「trio de sunshine」は2013年3月27日に発売された東京03の10周年記念DVD-BOX内の特典Discとしての発表のみであり、公式の映像化には至っていない。また「夏下手男」はDVDが発売されたものの、現在は廃盤となっているため、入手困難となっている(後にこちらも先述のDVD-BOX内には収録されたが、BOX自体が数量限定商品で現在は生産が終了している)。 単独ライブで披露するネタは、飯塚と角田によって書かれ、ライブの最後に披露するネタのみオークラが書いている[49]。 『ヒューマンタッチ』(2004年6月23日-25日、恵比寿・エコー劇場)
『trio de sunshine』(2005年2月22日-25日、恵比寿・エコー劇場)
『祝!!』(2005年10月21日-23日、恵比寿・エコー劇場)
第4回 東京03単独ライブ『夏下手男』(2006年7月21日-23日、恵比寿・エコー劇場)
第5回 東京03単独ライブ『傘買って雨上がる』(2007年4月28日-29日、草月ホール)
第6回 東京03単独ライブ『無駄に哀愁のある背中』(2007年11月13日-14日、草月ホール)
第7回 東京03単独ライブ『スモール』(2008年5月24日-25日、草月ホール)
第8回 東京03単独ライブ『機微』(2008年11月11日-13日、草月ホール)
第9回 東京03単独ライブ『いらいら』(2009年5月22日-24日、草月ホール)
第10回 東京03単独公演『自分、自分、自分』(2010年5月22日-24日、全国公演)
第11回 東京03単独公演『正論、異論、口論』(2010年11月-12月、全国公演)
第12回 東京03単独公演『燥ぐ、驕る、暴く。』(2011年5月-8月、全国公演)
第13回 東京03単独公演『図星中の図星』(2011年-2012年11月-3月、全国公演)
第14回 東京03単独公演『後手中の後手』(2012年6月-9月、全国公演)
第15回 東京03単独公演『露骨中の露骨』(2013年5月-8月、全国公演)
第16回 東京03単独公演『あるがままの君でいないで』(2014年5月-9月、全国公演)
第17回 東京03単独公演『時間に解決させないで』(2015年-2016年11月-2月、全国公演)
第18回 東京03単独公演『明日の風に吹かれないで』(2016年7月-10月、全国公演)
第19回 東京03単独公演『自己泥酔』(2017年5月-9月、全国公演)
第20回 東京03単独公演『不自然体』(2018年7月-10月、全国公演)
第21回 東京03単独公演『人間味風』(2019年8月-12月、全国公演)
第22回 東京03単独公演『ヤな塩梅』(2020年9月 - 11月、全国公演)
第23回 東京03単独公演『ヤな因果』(2021年5月 - 8月、全国公演)
特別公演東京03 10周年記念 悪ふざけ公演『タチの悪い流れ』(2013年9月20日-23日、草月ホール)
東京03 FROLIC A HOLIC ラブストーリー『取り返しのつかない姿』(2015年6月4日-7日、東京・赤坂ACTシアター) 東京03 FROLIC A HOLIC 『何が格好いいのか、まだ分からない。』(2018年2月22日-25日、東京・日本青年館) 全国公演
リモート公演脚注注釈
出典
外部リンク
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