三笑亭夢之助
三笑亭 夢之助(さんしょうてい ゆめのすけ、1949年〈昭和24年〉6月5日 - )は、元落語家、元タレント。北海道札幌市出身(南富良野町生まれ[3])。本名∶佐藤 信夫。出囃子∶『奴の行列』。 経歴1968年に三笑亭夢楽に入門、前座名「夢九」。 1972年、二ツ目昇進し「夢之助」に改名。 1983年に四代目春雨や雷蔵、二代目柳亭小痴楽、古今亭寿輔、桂京丸、五代目春風亭柳條、三遊亭春馬と共に真打昇進。 タレントとしてはアートプロモーションに所属し[4]、2015年頃までは落語芸術協会の理事も務めていたが[2]、2019年頃に同協会を退会して引退した[1]。若手時代から親交のあった桂米助と三遊亭小遊三がYouTubeの対談で明かしたところによると、夢之助は肺気腫を患って次第に寄席へ出演しなくなり、講演程度の活動は続けるとしていたものの、最終的に同協会へ名跡返上の手紙を出し、完全に廃業したという[5]。 人物「いやっ、どうもどうも!」「はいはいはい」といった底抜けに明るい口調と、機転が利くキャラクター[6] でテレビ番組・ラジオ番組の司会者、リポーターとして一躍人気者となる。東京都やその他の地域の局でレギュラーを持ち、主に司会者として活躍した。 一時は本業の落語に精進するためにテレビ・ラジオの仕事を控えると宣言[6]。しかし、完全にマスメディアでの仕事をシャットアウトさせることはなく、2000年代以降も旅番組やグルメ番組でリポーターとして活躍を見せたほか、『ペケ×ポン』(フジテレビ)などのバラエティ番組にも出演した。 一方、本業の落語では新宿末廣亭をはじめとする東京都内の各寄席に出演し、かつては年2回の独演会を国立演芸場で開催していた。主な演目には『蒟蒻問答』『魚根問』『粗忽の釘』『宗論』『寿限たら』『天狗裁き』『弥次郎』などがある。 趣味は園芸、料理作り、世界の小物集め、麻雀。 逸話
その他2007年9月17日に島根県安来市で行われた同市主催の独演会で、1時間の大ネタ『天災』に臨む際に、舞台上で手話通訳者が待機していたが、事前に告知されていなかった夢之助の「気が散って噺を間違えるとお客さんに失礼なので、後ろに下がってほしい」「気が散るし、落語は話し言葉でするもので手話に変えられるものではない。お客さんがいいと思うなら、かまわないが…」との言をうけて、主催者の担当係は手話通訳者を舞台下の客席へ移動させて通訳させた。当日は聴覚障害を有する観客が3名おり、同市の主要行事は手話通訳が慣例[8][9] であることから、島根県ろうあ連盟は落語芸術協会と同市へ抗議文を送付した。夢之助は直筆の謝罪文を寄せ、市は担当者が当該の聴覚障害者に直接謝罪したが、新聞報道などの騒動から市長が落語芸術協会を訪問して謝罪し、「事前に手話通訳をつけることを伝えていなかったことにより、不適切な発言が起きた」との謝罪文を市のウェブサイトに掲載した[10][11]。 芸歴主な出演情報・バラエティ番組NHK
日本テレビ系列
TBS系列
フジテレビ系列
テレビ朝日系列
テレビ東京系列
BS11
テレビドラマ
舞台
講演
脚注注釈
出典
関連項目外部リンク
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