砂川リチャード
砂川 リチャード(すながわ リチャード、英語名:Richard Makoto Sunagawa-O'Brien[2]、1999年6月18日 - )は、沖縄県中頭郡北中城村出身のプロ野球選手(内野手)[3]。右投右打。福岡ソフトバンクホークス所属。 2020年からの登録名はリチャード。NPBのウエスタン・リーグにおける、シーズン最多本塁打記録保持者。 経歴プロ入り前北中城村立北中城中学校在学中に、軟式野球部と硬式野球の「中部育成会」へ所属[3]。3年時に参加した中頭地区陸上競技大会では、男子砲丸投げの部で3位に入賞した[4]。 沖縄尚学高等学校への進学後は、甲子園出場こそ叶わなかったものの、在学中の対外試合で通算25本塁打を記録[5]。3年時の春季沖縄県大会では、通算打率.444を記録した[6]。 2017年10月26日に行われたドラフト会議では、福岡ソフトバンクホークスから育成3位指名を受け、支度金300万円、年俸360万円(金額は推定)という条件で、育成選手として契約した[6][7]。背番号は127。 ソフトバンク時代2018年は、三軍戦36試合に出場し、打率.159、1本塁打、12打点を記録した[8]。 2019年は、同郷の山川穂高などとの自主トレーニングへ初めて参加[9]。二軍のウエスタン・リーグ公式戦では8試合に出場し、打率.077、1打点[10]、三軍戦ではチーム最多の94試合に出場し、打率.279、11本塁打、54打点、5盗塁を記録した[11]。11月23日から台湾で開催されたアジアウインターベースボールリーグで、NPB RED選抜チームの一員[12]として17試合に出場。リーグ1位タイの3本塁打、リーグ2位の17打点、打率.299の成績を残した[13]。 2020年は、前年に続いて、山川や森友哉などと合同で自主トレーニングに参加[9]。その後の春季キャンプでは、一軍に相当するA組のメンバーへ抜擢された。キャンプ序盤の2月4日に、自身の希望で、登録名を本名(砂川 リチャード)からミドルネームのみ(リチャード)に変更した[14]。チーム内の紅白戦、JR四国との練習試合、オープン戦の初戦(2月22日の対オリックス・バファローズ戦)と、実戦で3試合続けて本塁打を記録[15]。その後、オープン戦でも最後まで一軍へ帯同し、初戦と最終戦(3月15日の対広島東洋カープ戦)で本塁打を放つなど結果を残し、オープン戦終了後の3月16日に支配下登録選手へ移行された[16][17]。背番号は52。新型コロナウイルス感染拡大の影響でNPBレギュラーシーズンの開幕延期後も、開幕一軍の候補に残ったが[18]、開幕を二軍で迎えた。ウエスタン・リーグの公式戦には、72試合の出場で規定打席に到達[19]。リーグ唯一の2桁本塁打(12本)、47打点という好成績で、本塁打王と打点王のタイトルを初めて獲得した[20]。シーズン終了後の12月3日に、推定年俸660万円(前年から60万円増)で契約を更改した[21]。 2021年は、前年に続いて、春季キャンプのA組に参加。新任のヘッドコーチの小久保裕紀の下で1日1000スイングを敢行するなど、厳しい練習でレギュラーシーズン開幕からの一軍デビューを目指していたが、オープン戦の途中から打撃不振で二軍に回った[22]。その後、ジュリスベル・グラシアルが前半戦に故障で戦線を離脱したことを受けて、2020東京オリンピックの開催に伴うシーズンの休止期間中に組まれたエキシビションマッチから一軍へ再び合流すると、4番打者として全9試合でスタメンに起用。打率は.226(31打数7安打)ながら、2本塁打を含む6本の長打と、チームトップの9打点という成績を残した。チーム事情からペナントレースの再開時は二軍だった[23]ものの、9月1日にプロ入り初めて一軍に昇格[24]。翌2日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦(福岡PayPayドーム)で、「7番・一塁手」のスタメンとして一軍公式戦デビューを果たした。同4日のオリックス・バファローズ戦(PayPayドーム)では「8番・三塁手」で先発出場すると、観戦していた両親の目の前で、7回裏の第4打席に初安打を放った[25][26]。翌5日の同カードでも「7番・三塁手」でスタメンに起用されると、2回裏の第1打席で犠飛によって初打点を挙げたことを皮切りに、4回裏一死満塁で迎えた第2打席で初本塁打、7回裏の第4打席で2号ソロ本塁打を放つなど、フル出場で6打点を記録した[27]。この満塁本塁打はチームにとって、シーズン初の満塁本塁打だった。一軍公式戦での初本塁打が満塁本塁打であった事例は、同年5月4日(2021年)に中日ドラゴンズの根尾昂(球団では2017年の甲斐拓也)が記録して以来であった[28][29]。一軍では最終的に34試合に出場し、7本塁打を記録。ウエスタン・リーグでは12本塁打で2年連続の本塁打王を獲得した[30]。オフに、500万円増となる推定年俸1160万円で契約を更改した[31]。 2022年は一軍スタートとなったものの、開幕カードの対北海道日本ハムファイターズとの3連戦(PayPayドーム)では、3月26日の2戦目で、8回裏に松田宣浩の代打としてシーズン初出場し、四球で出塁したのみで、同28日には登録を抹消された。その後、5月3日に一軍再登録され、同日のオリックス戦(PayPayドーム)では8回裏に代打として出場(結果は二ゴロ)。翌4日には「8番・三塁手」でシーズン初の先発出場を果たし、4回裏に先発宮城大弥からシーズン初安打を放った。5月7日の千葉ロッテマリーンズ戦(ZOZOマリンスタジアム)では、8回表に牧原大成の代打で出場し四球で出塁し、その裏の守備にも就くと、9回表に2点適時二塁打を放ちシーズン初打点を挙げると、翌8日は先発出場し、5打数2安打と活躍した。しかし、その後先発出場した2試合で無安打に終わり、同16日に再び登録抹消となった。7月10日に再昇格すると、同12日のオリックス戦(PayPayドーム)では、6回裏にジェイコブ・ワゲスパックからシーズン第1号ソロ本塁打を、翌13日には宮城からプロ初となる2打席連続本塁打を放つなど、一軍復帰後3試合で9打数3安打3本塁打を記録した。しかし、次の試合以降2試合連続3三振を記録するなど7試合で21打数3安打12三振と不調で、同28日にはシーズン3度目の登録抹消となった。その後二軍戦で4試合連続本塁打を放ち、8月12日に一軍昇格したが、10打数無安打6三振と結果が出なかったため同15日に登録抹消。その後、翌18日に行われるオリックス戦(京セラドーム大阪)の予告先発・宮城との相性を買われて4度目の昇格を果たしたものの、その試合で3打席3三振、続く翌19日の同カードも先発出場したが2打席凡退で代打を送られ、翌20日には登録抹消となり、そのまま二軍でシーズン終了となった。ウエスタン・リーグでは城島健司の持っていたリーグ記録(25本塁打)を更新する29本塁打を記録し[32]、3年連続となる本塁打王と、2年ぶり2度目となる打点王(89打点)の打撃タイトル2冠を獲得した[33]。二軍シーズン終了後、宮崎県で開催されるフェニックス・リーグに参加していたが、クライマックスシリーズファイナルステージ第2戦で再びオリックスの先発・宮城との相性を買われて一軍に召集され先発出場したが、第1打席はワンバウンドするスローカーブを空振り三振、第2打席はフルカウントから真ん中付近のストレートを見逃し三振で2打数無安打、投手交代後の6回の第3打席で代打を送られた。12月25日、160万円減となる推定年俸1000万円で契約を更改した[34]。 2023年はウエスタン・リーグでリーグ史上初[35][36]の4年連続となる本塁打王(19本塁打)、2年連続3度目となる打点王(56打点)の打撃タイトル2冠を獲得したものの[37]、一軍では22試合に出場し、打率.115、0本塁打、1打点に終わった[38][39]。12月13日、現状維持となる推定年俸1000万円で契約を更改した[38]。 2024年はウエスタン・リーグで本塁打18本、打点54を記録し、リーグ史上最高の連続記録を更新する5年連続となる本塁打王と、笹川吉康との当シーズンタイ記録となる3年連続4度目の打点王を獲得[40]。10月のフェニックス・リーグでは参加選手最多の7本塁打を記録した[41]。10月24日、NPBから日本シリーズの出場資格者として公示された[42]が、出場はなかった。11月22日、契約更改交渉で現状維持となる年俸を提示されたがこれを保留し、移籍を志願した[43]。最終的に、12月6日、現状維持となる推定年俸1000万円で契約を更改した。 選手としての特徴長打力に魅力がある長距離砲。和田一浩からは、「お客さんをうならせる遠くに飛ばす打球」を期待されている[44]。片岡篤史からは、逆方向の打球も凄いとパワーを絶賛されており、2023年時点で一軍では結果を残せていないものの「監督が我慢して何打席か使えばポンと結果出してよくなる可能性ある」と予測している[45]。 2024年シーズン時点において二軍で活躍する一方で一軍で結果を出せない要因について山川は「ボールを選びすぎ」と指摘しており、週刊誌系の報道上でも「初球からフルスイングされる怖さがない」と分析されている[35][36]。 守備面では片岡から「スローイングもいい」と評されている[45]。 人物
詳細情報年度別打撃成績
年度別守備成績
記録
背番号
登録名
登場曲
脚注出典
関連項目外部リンク
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