森浩之
森 浩之(もり ひろゆき、1965年2月4日 - )は、大阪府泉南市出身の元プロ野球選手(捕手)。右投右打。 1991年から1997年の登録名は森 広之。 来歴PL学園高では、2年次の1981年秋から正捕手となる。2年次秋の府予選の決勝で公立の桜宮高に敗れるまで無敗を続け、続く近畿地区大会でも準決勝まで勝ち上がった。1982年の第54回選抜大会では、榎田健一郎投手を擁して、前年西川佳明投手や吉村禎章主将らを擁した81年春の優勝に引き続きセンバツ甲子園連覇を果たす。昭和5・6年の第一神港商以来52年ぶり、戦後では初となる春のセンバツ甲子園連覇を達成した[1]。準決勝で三浦将明投手擁する横浜商に3x-2でサヨナラ勝ち、決勝で二松學舍大附高に15対2と大勝した。この15点は2006年までセンバツ決勝戦の最多得点記録であり、13点差は最多得点差、両チーム合計17点も最多得点記録であった。夏は府予選準々決勝で、優勝した田宮実投手(のち早大)の府立春日丘高に5-6で敗退した。 1983年、高校卒業後東洋大学に進学。1984年の大学2年生時、巧みなリードと強肩に加え打撃でも一皮剥け、春の東都リーグでベストナイン。秋には打撃ベストテン入り。1985年、3年生の春のリーグでもベストナイン。6月の全日本大学野球選手権大会では、東洋大は4年生北島広行(東芝府中)、3年生日野伸一(本田技研)と弘田旬(大丸)らの投手陣を擁して、準決勝で2年松永幸男投手擁する九州東海大に1-0(延長10回)で辛勝。決勝では法政大先発の3年猪俣隆投手に1-4で敗れ準優勝に終わる。7月の日米大学野球選手権大会では3試合に先発マスクを被った。1986年、主将になった4年生の春に東洋大を優勝に導き、MVPとベストナインを獲得した。6月の大学野球選手権決勝では2年生保坂彰茂(新日鐵名古屋)や4年生日野伸一両投手を擁して流経大を下し初優勝を飾った。自身も打率.368で6打点と大活躍をした。7月の日米大学野球と世界アマ野球では全日本の主将を務めた[2]。 1986年のプロ野球ドラフト会議で南海ホークスから2位指名を受け入団[1]。 プロ1年目の1987年から一軍初出場を果たし、1989年にようやく初安打を放つ。しかし自身の打力不足に加え、吉永幸一郎らの台頭などもあって、1991年に自由契約となり、プロ5年で引退した。 引退後はチームスタッフとなり、ブルペン捕手を経て1993年から2002年までブルペン担当コーチ[1]。ホークス戦のテレビ中継では、先発投手のブルペンでの調子について「森ブルペン担当の談話」としてコメントを出すことがあった。 2003年以降はコーチ職ではないブルペン担当スタッフとして職務を得ていたが、2009年に7年ぶりにコーチ登録され、二軍のコーチ補佐(バッテリー担当)を務めた。その後、2013年からはスコアラーを務め、2017年からは一軍作戦コーチ兼バッテリーコーチ補佐として再び現場に復帰[3]。2019年からは達川光男の後任として一軍ヘッドコーチを担当した[1]。 2021年は三軍監督を務め、2022年からは再び一軍ヘッドコーチを担当[4]。2023年4月4日には、藤本博史監督が身内の不幸に伴いチームを離脱したため、監督代行を務めた。 2023年11月1日、2024年からはコーディネーター(バッテリー)を務めると発表された[5]。 人物詳細情報年度別打撃成績
年度別守備成績
記録
背番号
登録名
脚注
関連項目外部リンク
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