尾形崇斗
尾形 崇斗(おがた しゅうと、1999年5月15日 - )は、宮城県黒川郡富谷町(現:富谷市)出身[2]のプロ野球選手(投手)。右投左打。福岡ソフトバンクホークス所属。 経歴プロ入り前富谷町立富ケ丘小学校3年生から「富谷スーパーキッズ」で軟式野球を始め、富谷町立あけの平小学校6年生から富谷町立富谷第二中学校時代は「仙台広瀬ボーイズ」に所属[注 1]。同ボーイズでは東北選抜に選ばれ、東日本報知オールスター戦で優勝を果たした[3][4]。 福島県の学校法人石川高等学校に進学後は1年生の夏からベンチ入りし[3]、2年生の秋にはエースとなった[2]。甲子園出場経験は無いが、1年生秋には秋季東北大会において準々決勝に進出[5]。3年生の春の春季福島大会では、最速147km/hを計測し注目を集めた[6]。3年生の夏の第99回全国高等学校野球選手権福島大会では準々決勝に進出するが、日大東北高校に5対4で敗れた[7]。 2017年10月26日に行われたプロ野球ドラフト会議において、福岡ソフトバンクホークスから育成選手ドラフト1位指名を受け[8]、11月23日、仙台市内にて入団交渉を行い、支度金300万円、年俸360万円(金額は推定)で契約合意に達し[2]、12月7日、福岡市内のホテルで入団発表会見が行われた。背番号は120[9]。 ソフトバンク時代2018年4月8日に行われたウエスタン・リーグ対広島戦において3番手で二軍公式戦初登板を果たし[10]、4月11日の対阪神戦で3番手で登板し二軍公式戦初勝利を記録するが[11]、オーバーワークからの疲労骨折により離脱を余儀なくされ、実戦復帰は9月となった[12]。二軍公式戦登板は4試合の登板で1勝0敗[13]。三軍戦では10試合の登板で36回1/3を投げ、4勝1敗、防御率2.23を記録する[14]。 2019年は三軍戦が主戦場で[15]、二軍公式戦の登板は1試合のみだった[16]。三軍戦では25試合の登板で58回2/3を投げ、3勝1敗、防御率1.85を記録する[17]。11月23日から台湾で開催された2019アジアウインターベースボールリーグに参加し[18]、奪三振を多く記録する活躍を見せた[19]。 2020年はオープン戦5試合に登板し、11回を無失点に抑える好成績を残し[20]、オープン最終戦の翌日である3月16日に支配下選手登録された[21]。背番号は39[22]。開幕は二軍で迎えたが、6月23日に出場選手登録に登録され、同日の対埼玉西武ライオンズ戦にて一軍初登板を果たした。しかし、1回を投げて2三振を奪うも、2安打と押し出しを含む3四球で3失点を喫し[23]、その1試合のみで二軍に降格[20]、以降は一軍登板なくシーズンを終えた。二軍では計16回1/3を投げて防御率2.76という成績だった[24]。 2021年は6月5日の交流戦阪神戦、10対2と大量リードの9回裏に同シーズン初登板で無失点に抑えて以降、7月13日の楽天戦まで計7試合8イニング連続無失点に抑え、同年最後の一軍戦出場となった8月25日の対西武戦で失点したものの失点はこの1点のみだった。 2022年は、4月5日の対オリックス・バファローズ1回戦(福岡PayPayドーム)で、先発の石川柊太がトラブルにより1回で降板した後、0対2の2回表に2番手として登板。先頭打者を二塁打で出した後、2四球で満塁のピンチを招くも無失点で乗り切り、直後の2回裏に自軍が三森大貴の3点本塁打で逆転、続く3回も1四球は出したが無失点で抑え、プロ初勝利を挙げた[25]。 2023年は、ウエスタン・リーグで16セーブを挙げ、小林慶祐と並んで最多セーブを受賞した[26]。 2024年は、右肩のコンディション不良により3月からリハビリ組で調整し、実戦登板は6月9日の高知ファイティングドッグスとの三軍交流戦までずれ込んだ[27]。12試合に登板して2勝0敗、防御率2・31で3ホールドも記録。9月以降は9試合に登板して自責点0で、8回2/3で被安打4、無四球、12三振も奪って4年ぶりのリーグ優勝に貢献した[28]。 選手としての特徴最速157km/h[29]のストレートの本格派右腕[3]。変化球は、カーブ、スライダー、チェンジアップ、フォークボールを操る[3]。 人物詳細情報年度別投手成績
年度別守備成績
記録
背番号
登場曲
代表歴
脚注注釈
出典
関連項目外部リンク
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