望月義夫
望月 義夫(もちづき よしお、1947年5月2日 - 2019年12月19日[4])は、日本の政治家。位階は従三位。 環境大臣(第20・21代)兼内閣府特命担当大臣(原子力防災)(第2次安倍改造内閣・第3次安倍内閣)、国土交通副大臣(第1次安倍内閣)、環境大臣政務官(第1次小泉第1次改造内閣)、外務大臣政務官(第2次森改造内閣(中央省庁再編後))、衆議院災害対策特別委員長、同国土交通委員長、衆議院議員(8期)、静岡県議会議員(2期)、清水市議会議員(4期)、自由民主党幹事長代理、同行政改革推進本部長などを歴任[5][6]。 来歴静岡県清水市(現静岡市清水区)生まれ。生家は八百屋。静岡県立清水東高等学校、中央大学法学部卒業。清水市議会議員を4期務めた後、1991年に静岡県議会議員に当選し、県議を2期務める。 1996年、第41回衆議院議員総選挙に無所属(新進党推薦)で静岡4区から立候補。自由民主党新人の倉田雅年を破り、初当選する。当選後、自民党に入党した。第2次森内閣で外務大臣政務官、第1次小泉第1次改造内閣で環境大臣政務官、第1次安倍内閣で国土交通副大臣に任命された。 2009年の第45回衆議院議員総選挙で民主党の田村謙治に敗れ、重複立候補していた比例東海ブロックでも次点で落選した。 2011年1月、比例東海ブロック選出(愛知13区で落選し比例復活)の大村秀章が愛知県知事選挙に立候補するため、衆議院議員を辞職。大村の辞職により、次点だった望月が繰り上げ当選した[2][7]。 2012年の第46回衆議院議員総選挙で前回敗れた民主党の田村謙治に比例復活を許さず、6選。 2014年9月、第2次安倍改造内閣で環境大臣、内閣府特命担当大臣(原子力防災)に任命され[8]、初入閣した。同年の第47回衆議院議員総選挙で入閣後に報じられた政治資金問題の影響を受け、民主党元職の田村に前回より票差を縮められるも7選[9][10]。同月に発足した第3次安倍内閣で、環境大臣、内閣府特命担当大臣(原子力防災)に再任され[11]、2015年10月の内閣改造まで務めた。 2019年秋から病気療養中であったが、同年12月19日7時5分、肝不全のため静岡市清水区の自宅で死去[13][14]。72歳没。死没日をもって従三位叙位、旭日大綬章追贈[15][16]。 政策・主張
家族次女は静岡県議会議員の望月香世子。2021年に静岡市清水区選挙区の県議補選(欠員1)にて、選挙区内の自民党支部三つが別々の候補者を推す保守分裂選挙を制して初当選した[22]。 不祥事年金未納年金未納問題が発覚した際、2002年10月から2003年9月までの1年間の年金未納が判明した[23]。 政治資金2015年、第2次安倍改造内閣の閣僚である望月、上川陽子法務大臣が、それぞれ代表を務める自由民主党の支部への、国からの補助金交付が決定していた総合物流会社「鈴与」からの140万円(2013年)、計620万円(2011~12年)の寄付が報道された鈴与は2011、12年に環境省の「家庭・事業者向けエコリース促進事業費補助金」を申請し、同省所管の一般社団法人が2011年9月、12月に補助金の交付決定を通知していた[24]。政治資金規正法では、補助金の交付決定の通知を受けた企業からの1年以内の政治献金が禁じられている[25]。
望月の関係政治団体「望月義夫後援会」の2008年・2009年分の政治資金収支報告書において、賀詞交歓会での支出660万円を記載しながら、収入は記載しておらず、虚偽記載の疑いが持たれた[26]。また2010年、2011年に実施したゴルフ大会に関しても後援会の収支報告書に収入を記載せず、支出のみ45万円・33万円をそれぞれ記載していた[27]。
日刊ゲンダイの報道によれば、県連会長を務めていた2010~11年の間に自民党静岡県連が7回にわたり、クラブやラウンジの飲食代約66万円を政治資金から支出していた[28]。 献金
エピソード・人物
所属団体・議員連盟
脚注
関連項目外部リンク
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