鳥刺し (将棋)
鳥刺し(とりさし)は、将棋の戦法の一つ。振り飛車に対して用いられる。角道を開けず角行は引き角で用い、左銀を繰り出す戦法。先手で▲7九角と引き角にして前進するナナメ棒銀をサポートする姿が昔の鳥刺しの姿に似ている所から命名されたとされる。 概要先手番なら初手から、▲2六歩又は▲4八銀(嬉野流の初手▲6八銀もある)、▲5六歩、▲6八玉、▲7八玉、▲2五歩、▲3六歩、▲6八銀、▲5七銀左、▲4六銀、▲7九角と進めて基本図となる(相手が四間飛車の場合の例)。 古くからある戦法で、幕末に阿波国の四宮金吾という人物が編み出し[1]、1836年の天野宗歩との左香落で採用されているとも[2]六代大橋宗英が1778年の井出主税との左香落の将棋からヒントを得て戦法を編み出し[3]1779年2月の五代伊藤宗印との左香落ち将棋で採用したのものであるともされ[注 1]、当時は相手が必ず振り飛車となる対左香落ち戦で下手が採用する戦法であったという。 △木村 持ち駒 なし
また、将棋の格言には「鳥刺しは端を狙え」というものがある[4]。 昭和の棋戦では、1943年(昭和18年)に朝日番付戦決勝、先手升田幸三対後手木村義雄戦で、先手升田の三間飛車に対し、後手の木村が図のように鳥刺し+棒金を採用。この一戦は升田の昇段がかかっていたとされるが、先手の升田は▲7六歩△8四歩に▲7五歩とし、升田は自戦記に時の名人であった木村が「平手で(当時素人だましの嵌め手とされた石田流の)三間飛車でこられたのは初めてだ」とつぶやいたとし、よほど頭にきたのかあの慎重な人が居玉のまま図のように一目散に金銀を繰り出してきたと記している。『トップ棋士頭脳勝負―イメージと読みの将棋観3』(日本将棋連盟、2014年)でも検討材料として取り上げられている。 その後のプロの対局では内藤国雄が1969年2月の第18期王将戦第4局や1972年の第13期王位戦七番勝負第3局と第5局、第27期A級順位戦にて採用し、このときの相手はいずれも大山康晴の例や[5]1972年王座戦決勝での採用などの例がある。内藤は1982年には『将棋マガジン』誌に「新・鳥刺し戦法」という連載講座を担当している。 鳥刺しモドキ△ 歩
鳥刺しを応用した指し方で、『将棋・B級戦法の達人』(週刊将棋 編 2016)に掲載されている。第1図のように4六銀左戦法の△6四歩型四間飛車で頻繁に出現される局面で、先手は通常は▲3八飛や▲3五歩~▲3七銀~▲3六銀などであるが、ここで▲3六歩として▲3五銀~▲7九角~▲2四歩を狙う指し方。△6四歩型の方が△6四角の反撃がないので攻撃しやすい。 関連項目脚注注釈出典参考文献
外部リンク
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