振り飛車穴熊
振り飛車穴熊(ふりびしゃあなぐま)は、将棋の戦法の一つ。主に対居飛車戦において、振り飛車側が穴熊を志向する作戦の総称である。相振り飛車戦においても用いられる。 概要と歴史穴熊囲いは、その原型こそ古くからあったもののバランスが悪く駒組みに手数がかかるとして敬遠されてきた。しかし、昭和に入り居飛車が玉頭位取りを用いるようになると、それまで用いられてきた美濃囲いでは居飛車陣からの圧力に対し玉が近すぎるという欠点があった。そこで、美濃囲いより玉が深くて遠く、位取りの圧力を緩和出来る穴熊が注目されるようになった[1]。 昭和50年代に入ると穴熊の特性を活かした戦術が磨かれ対位取りだけではなく幅広く用いられるようになり、大内延介・西村一義ら穴熊党が活躍したことで人気戦法の地位を確立した[2]。また福崎文吾も振り飛車穴熊を得意とし、谷川浩司をして「感覚を破壊された」とまで言わしめた[3]。しかし、その隆盛と共に居飛車側の対策も進化し、左美濃からの銀冠と居飛車穴熊が有力であることが分かり、いずれも居飛車の勝率が高くなったので衰退した[4]。 なお、大内は振り飛車穴熊を戦法として確立した功績を称えられ、没後の2018年第45回将棋大賞において升田幸三賞特別賞を受賞している。近年のプロ棋界では、広瀬章人が四間飛車穴熊を愛用し、振り飛車穴熊の定跡の発展に貢献した。若手棋士の青嶋未来も、振り飛車穴熊を得意戦法としている。 対居飛車戦対急戦居飛車側は、振り飛車が完全な穴熊に組みきらないうちに急戦を試みるのも1つの作戦である。振り飛車側としては、「低く構えて捌く」というのが大事な指針で多少の駒損でも大駒を捌ければ、玉の堅さ・遠さを活かすことができるため[5]振り飛車穴熊の勝率が良くなる[2]。左銀を角頭を狙われるまでは2段目に置くのがコツで、早仕掛けを警戒し▲6五歩と角交換から捌く手を切り札にする[6]。また飛車を袖飛車に振り直し、居飛車の舟囲いの弱点である玉頭の薄さを突くのも場合によっては有力である[7]。近年では急戦策はあまり得策とされておらず、加藤一二三などが指す程度である[8]。
図は急戦策の1例で、こうした攻めを食らわないように四間飛車で左銀を動かさず、直ちに▲6八飛(△4二飛)とする指し方が推奨されている[9]。また、玉側の端歩を付きあっている場合居飛車側は第3図のように構えて端攻めの速攻を食らう場合がある。 対銀冠
振り飛車穴熊への銀冠は中原誠・森下卓・佐藤秀司らが得意としている。玉頭の厚みと駒の連結の良さで優れた銀冠は飛車交換をするだけのような単純な攻めに強く、振り飛車穴熊の玉頭にも圧力をかけることができ[10]、△2五歩〜△2四角と活用して振り飛車の攻撃陣を牽制できる。振り飛車側がこれらの抑え込みを破るのは容易でなく居飛車からの攻撃手段も豊富であるが、居飛車が銀冠を築くために角道を止めれば(第1図)▲6五歩と突いて(角交換から飛車先を破られる筋がないため)▲6六銀~▲5五歩といった攻撃陣を敷くことができ、手には困らない[11]が、第2図のように進めていくと、後手に3五~2五と次々と位をとられて主導権を握られるため[9]、第3図~第4図のように4筋の位を取って左金を攻めに活用するなどの手段がある[12]。 居飛車が角道を止める手を保留した場合にはどう手を作るかが課題であったが、第3図から袖飛車への転換[13]や金を繰り出す筋を残す、△2四角の筋に備えるために左金は▲4六歩~▲4七金と活用を用意し(▲3八金寄と引き寄せると作戦負け)[14]△2五歩からの玉頭攻めに備えて▲3七金寄を作るのが急所である。 また、居飛車は銀冠から穴熊に組み換えるのも有力で[15]、振り飛車は袖飛車で対抗するなどの手段がある[16]。
くみ上げて以降は端攻め等を敢行するのが主流で、一例として上の図は先手の居飛車銀冠、いずれも指し手は羽生善治。第1-1図は1989年の王将戦予選の途中経過で、以降は▲8六龍△9三銀▲9八香打△8二金上▲6一角…と進行した(第1-2図)。第2図は2005年2月の王将戦第4局で、以降は▲9四歩△同歩▲9五歩△同歩▲9四歩△同香▲9二歩△同玉▲9五香△同香▲9三歩、で後手が投了している。 相穴熊プロ間において、居飛車穴熊は対振り飛車に最も有望とされる作戦であり、対振り飛車穴熊にも同様である。平凡に指し進めては居飛車有利が定説で(居飛車は飛車先を伸ばしているので主導権を握りやすい)振り飛車側は工夫が求められる。この戦型では四間飛車か三間飛車・中飛車かの違いが如実に現れる。それは、四間飛車では飛車が邪魔して左銀を6八~5七~4六と穴熊に効率良く引きつけることができないからである[17]。そのため左銀は腰掛け銀の形を急いで▲4五銀~▲3四銀を見せて居飛車に△4四歩または△4四銀と受けさせて角道を止めさせるのが急所[18]。その後は右四間飛車模様にし、4筋に争点を求める[18]。また、5筋から手を作るのも1つの作戦で、その場合金を4八と4九に並べるのが5筋でのと金攻めに備えた形で、広瀬章人が創案したことから広瀬流と呼ばれる[19]。 三間飛車・中飛車では左銀を4六に活用したあと袖飛車から攻める筋があるほか[20]、後手番なら△6四銀~△4五歩から四間飛車に転じ、千日手含みで指す矢倉流が有力で[21]、矢倉規広により体系化され渡辺明らが用いている。 その他の戦略角交換四間飛車において玉を美濃囲いではなく穴熊に囲う形は、「白色レグホーンスペシャル」(通称レグスペ)と呼ばれ、アマチュアの将棋愛好家に人気がある。
玉が堅く低い陣形にして相手の攻めから遠くする一方で、穴熊側から攻める手段は多いので、一局の時間が短いアマチュアトーナメント戦などで有力な戦法とされている。 開発者である早稲田大学将棋部(当時)の大窪俊毅が先輩部員に命名された白色レグホーンというニックネームを持ち、1988年春の関東大学将棋名人戦で予選から全9局をこの戦法を用いて優勝したところから、大窪スペシャル転じてレグスペとの呼称が広まるようになった。 穴熊は美濃囲いに比べて構えが低くなることで、居飛車側からの角の打ち込みなどや位取りに対しても攻撃が緩和されていて相手からの取っ掛かりを消しており、ここから千日手模様に注意しつつ反撃手段を待つような指し方を目指す。主な攻め方は普通の角交換型振り飛車のように四間飛車でも▲6六歩~▲6五歩~▲6六銀を目指すのではなく、▲8八飛と回って居飛車側の飛車先から反撃を目指すことが多い。 角交換型で安全に穴熊に組む手順として、▲8八飛と回っての△4五角や△7四歩を突いた形からの△7五歩▲同歩△6五角といった筋の考慮、2七や4七の地点ケアのため、図1-1のように▲1八香~▲1九玉の前に▲3八金を先に入れて潜ることがある。 但し図1-2のように穴熊側が攻める手だてがなく持久戦となった場合で、振り飛車側陣形が飽和状態になってくると、図の後手陣(居飛車側)のような陣形からの△4三角打ちが防ぎにくい。こうなると穴熊側からの攻めや反撃が難しくなる。 また、ゴキゲン中飛車において居飛車が穴熊を目指した場合は相穴熊にするのが主流で、袖飛車を含みに駒組みを進める[22]。 相振り飛車の穴熊相振り飛車においては従来は金無双が主流であったが、美濃囲いや矢倉囲いの登場による囲いの多様化の一環として現れた。金無双から端に速攻を受けた場合は弱いが、矢倉などに対しては持ち前の堅さを活かして存分に暴れることが出来るのが特長。戸辺誠は相振り三間飛車から穴熊に囲い、相手の攻撃陣を責めるB面攻撃を得意としている[23]。 脚注
参考文献
関連項目 |